土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

安保法案を参院で早期可決せよ!まだ危機は去っていない!

2015-08-28 10:43:30 | この国を守るために

土佐のくじらです。

南北朝鮮の高官協議が終わり、ひとまずの難は逃れましたが、何やらまだ彼らは不穏な動きを続けており、決して安心はできません。

事実上は、まだ交渉中であると思えます。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150826-00000121-jij-kr


国際社会から孤立し、国内に産業と呼べるもののない、世界の最貧国北朝鮮。


今回の動きは、日本の嫌韓意識の高まりや、日本の集団的自衛権に関連する法案(通称安保法案)可決への動き、また今月14日に首相から発表された安倍談話などが無関係ではないと、私個人的には思っております。


八方美人的気配り談話(安倍談話)が、ここ最近、日本周辺諸国に影響しているように思えてなりません。

先日のロシア首相の択捉訪問も、そう言った背景があると見た方が良いです。


さて、ここ最近の嫌韓意識の高まり、これは日本の歴史上、かつてないほどのものではないでしょうか。

今はネットの普及によって、誰でも自由な記事の投稿・拡散・閲覧ができる社会です。


その中で、嫌韓の記事の投稿数、またそのアクセス数は膨大なものに及びます。

その結果今の日本人は、韓国のために戦う気など、まったくないと思われます。



朝鮮半島は地政学的に、日本の国防上、極めて重要な地理的な位置にあります。

そのため日本の歴史では、朝鮮の騒乱のときには、「なんとかせねば!」という意識はあったと思われるのです。

そのような歴史的事実が、聖徳太子以前の時代から、日本には数限りなく存在いたします。


たとえば、古事記・日本書紀によれば、神功皇后の三韓征伐は、南九州の熊襲(くまそ)征伐をやめて行われました。

これは、日本の国防上の判断からすれば、「国内の反乱勢力鎮圧よりも、朝鮮半島の安定の方が優位」と思われていたということではないでしょうか。

そうでなければ、整合性がない判断だと思います。

 

 

つまりそれだけ、朝鮮半島が日本に与える国防上のリスクは大きく、それは古代から今も、まったく変わりなく続いているのです。

それは、地形が変わっていないからです。

それが日本の歴史であり、そういう視点なき日本史解釈は無意味です。


しかし、今の日本人の韓国に対しての思いは、ドン冷え状態と言い切れます。

北朝鮮は、そういう現代日本人の韓国への意識を、当然感じ取ってると思われます。

皆さん、「韓国に自衛隊を派遣して、韓国のために戦ってください」と懇願されても、「嫌だな」と思うのではないでしょうか?

しかも、心の奥底から。

 

 

北の諜報員(スパイ)などは、日本国内に無数にいますので、そういう日本の国民意識を感じ取っているはずです。


ネット情報というのは、言い換えれば「本音の情報」であり、そういった意味での付加価値は高いです。

そういう現実的な本音情報などから、北は日本人の韓国に対する意識を、判断材料にすることが十分可能です。

つまり、北から見れば、
「今の日本の民意なら、日本政府は、韓国を助ける目的では、自衛隊を送れない」と判断できる わけなのですね。



また北朝鮮には、「日本が、集団的自衛権行使容認を法制化し、体制を確立する前に何とかしたい」という思いはあるかも知れません。

いや、あると思っておいた方が良いです。

日本の国防力は強いからです。


なぜかというと、日本の兵器は命中率が高く、撃つ弾が当たるからです。

それは性能と、自衛隊員の訓練の賜物です。

他の国の兵器は・・・ご想像にお任せします。

 

ですから、日本が日米同盟を建前に、韓国領内で戦うアメリカ軍や韓国軍の、後方支援体制や応援体制を確立すれば、少なくとも数年は、北朝鮮は手出しはできません。

ただし、空中を飛んでくる飛翔体(ミサイル)以外は・・・という但し書きが付きますけれども。




北はこれまで度々、恫喝パフォーマンスや瀬戸際外交を繰り返してきました。

ですから「またか」とか、「ああ、またあれね」とか思うかもしれませんが、今回は案外本気かも知れないのです。

日本の集団的自衛体制の確立まえに、まだ朝鮮半島で、一波乱あるかも・・・と身構えている方が良いと思います。

何事も、「ある」と思って、なければそれで良しです。

しかし、「ない」と思ってあった場合は、取り返しはつきません。


安保法案は60日ルールで、参院で否決されても、この秋には確実に衆院を通過します。

ゴチャゴチャ言わずに、参院で早期可決するべきですね。

先日の八方美人的な安倍談話が、まだ記憶に新しいうちに、「何らかの手を打ち、現状を打開したいたい」と思っても何ら不思議ではありませんから。


北朝鮮の国家経済や国内統治体制を見る限り、数年間何も打つ手がない状況というのは、あの国の政治体制にとって、極めて危機的は状況となるからです。

今の北は、「手っ取り早い経済」「手っ取り早い政権の成果を欲している」と思っておいた方が良いです。

泥棒だって何だって、相手が無警戒だからこそできることは多いのであって、警戒している相手に対しては、そう易々とことは起こせません。

 

 


本来であれば、集団的自衛権行使は、国際的には議論したり法制化する余地のないものです。

その国の宰相なりが、一言宣言すればそれで済むことだからです。

日本のマスコミは、そこの事情を一言も言いません。

なぜですか?

日本のマスメディアの主流の意見は、一体どこの国のマスコミなのか、さっぱりわからないです。


集団的自衛権行使を、なぜ議論する必要がないかというと、「あったりまえ」の話だからです。

なぜ当たり前かというと、その方が抑止力が高まって、紛争が起きにくくなるからです。


某左翼系政党などは、「安保法案は戦争法」と言いますが、国連などの国際社会に向かって、その言葉が言えるものなら、どうか言ってみてください。

日本人が世界から笑われて、世間知らずと思われて、恥をかくのは忍びないですが致し方ありません。

さあ、どうぞ言ってみてくださいませ。

集団的自衛権行使容認の法制化は、「戦争抑止法」であり「紛争抑止法」です。

本来なら、国家として当然の権利であり、法制化する必要すらないものです。


 
病気にならないためには、免疫力を高めるのが一番です。

国防も同じです。

国防にとっては、戦略的に抑止力(免疫力)を高めることです。

今、戦略的に国防抑止力を高める工夫をすれば、朝鮮半島有事の発生を防げます。


準備や体制を整えることで、何事もない結果を残すことこそ、現代における現実的な平和であり、そして最高の国防です。

戦わず、誰も血を流さず、国を護れるのですからね。

手術なしで、病気が治るようなものです。

「予防に勝る治療なし」なのは、健康も平和も同じです。


そして今の日本の国力ならば、それが十分に可能なだけでなく、ならず者国家の自滅をも実現できるはずです。

それは、あのならず者(北朝鮮政府)に支配されている、哀れな北朝鮮国民をも救える判断です。

 


 


美しき国日本。

この麗しき国が末永く平和で、子供たちの笑顔が絶えない国であり続けることを、

そして今の日本の判断が、世界に平和と繁栄をもたらしますことを、切に願い、心より神に祈ります。


国会は共産党小池議員に、自衛隊内部資料の入手方法を問え!

2015-08-26 10:06:30 | この国を守るために

   高知選出 中谷元(なかたに げん)防衛大臣



今月19日参議院において、安保法案の一般質疑がありました。


私はそのニュースを、職場のテレビで見ておりましたが、まぁ、見ちゃいられなかったですね。





もちろん、中谷防衛大臣ではないですよ。

質問した、共産党の議員さんの方です。


大臣というのは、こういう質問にも答えないといけないんですね。

日本共産党の小池議員は、このように発言していました。




 
「国会に一度も出さない資料で内部で検討している。大問題だ」
「米軍のヘリが敵潜水艦を攻撃して、それが海上自衛隊のヘリ空母に着艦。給油して、また戻って攻撃を繰り返す。これ世界がどうみるか。誰が見たって一体としての行動ですよ」


小池氏は、 「軍部の独走」 と、さも鬼の首を取ったように言いました・・・が・・・、

小池氏が、もしも本心からそう思っていらっしゃるならば、国会議員としての見識が・・・!です。


国の防衛が仕事の自衛隊が、防衛において、あらゆる行動パターン想定しておくのは当然のことです。

それが仕事ですから。


もし何もしていなかったら、国民は叱らなければいけません。
それは仕事を、さぼっとるわけですから。

 
 

 

しかし、共産党小池議員曰く、

 
「それらをすべてオープンにして、国会に知らせないといけない。」

というのですから、驚きですねぇ。

そんなことは、シビリアンコントロール(軍の文民統制)とは、何の関係もございません。 

もしもですよ、小池議員の発言通りの国だと、国会そのものが、売国の府と成り果てます。

なぜならば、そんなことをしたら、他国に国防の機密がばれますがな。(大笑)

さあそれが、国益(国民の利益)にかなうのでしょうか?


国防に関する機密まで国会に出していたら、強盗や泥棒に、セキュリティーシステムの解除方法を教えるようなものです。


ですから、こういう類のものは、秘密裏に行うのが国際常識です。

小池議員は、国会の場で一所懸命泥棒の手引きをしている状態が、理想の政治なのでしょうか?

国民の代表として、日本を侵略しようとしている者たちを、国民の税金を使って手引きすることが、共産党の目指す政治?

そうかも知れませんね。(笑)
きっとそうなんでしょう。(爆笑)
国民の皆様、そうだと思っておいて下さい。(大爆笑)


 
 
 
日本はスパイ天国です。
日本はのんきなものですけれども、他の国は生き残るために、必死で情報収集しております。

あらゆるルートを使って、いろんな情報を盗むのですね。


ですから、国際常識的にまた、安全管理面で言うならば、

国防に関しては、すべてがオープンでない方が正しいのです!

むしろ!このような質問が出ること自体が問題です。


さあ、閣僚でもない小池氏。
どうやってこの、自衛隊内部資料を入手しましたか?

 
国会ならびに与党は、共産党小池議員に、自衛隊内部資料の入手方法と入手先を、きっちりと問いただすべきです!




今回の内部資料にあるのは後方支援であり、一体的軍事行動には当たりません。
 
共産党などは、「軍部の暴走」などと言いますが、それは法を超えて行うものです。
これは法を理解するための、勉強用の資料です。
 

ですから、何も問題はありません。
また法案成立を見込むのも、これは当然やっておくべきことです。
 
 
 
 
 
 
 
むしろ、何もしていないようでは困ります。
仕事として、状況に何か変更があるならば、事前準備は絶対にしますよね。

北朝鮮は韓国に向け、恫喝と不穏な動きがありました。
昨日南北高官協議が一応の合意を得ましたけれども、何がどのように合意したか、あの両国のことですから、何かの「利」が働いたと見るべきです。
 
また南北朝鮮が融和関係になることは、日本の安全保障上、最適とは言えません。
朝鮮半島における、日本の安全保障の条件には、「あの地域が、親日である」という項目が必須です。
 
 
ここ最近の朝鮮半島の動きには、日本の嫌韓意識の高まり、そして日本の集団的自衛権行使容認法制化の動きと、何らかの関係性があると思います。
そして14日に発表された、隙だらけの安倍談話の影響も。
 


とにもかくにも、日本が集団的自衛権を行使できれば、突発的なミサイル攻撃以外、少なくとも数年間は、軍事的に何もできません。

それは北にとっては、政府存亡の危機となるからです。
北は、「手っ取り早い経済、手っ取り早い政権の成果を欲している」と思っておいた方が良いです。


小池参議院議員は、自衛隊内部で検討=軍事行動と、思想的にリンクさせようとしたのでしょうけれども、ことは重要です。

共産党小池議員は、自衛隊内部資料入手方法と入手先を、偽証できない国会の場において証言するべきです。

そして、先日の安倍首相の八方美人的全包囲談話が、国防有事の際に、国家の判断の足かせにならないことを、日本国民として切に願います。
 
 
 

安倍談話から垣間見える、矛と盾と近未来社会。

2015-08-16 18:34:30 | この国を守るために

 

土佐のくじらです。

本日も、先般発表になった「安部談話」の話題に触れてみたいと思います。

昨日投稿した記事では、「首相が願う平和の理念を、現実的に具体化する術が必要だ。」ということが言いたかったのですね。

でなければ、パリ講和会議で日本が訴えた、理想主義的な提言、「人種差別撤廃提言」の後、日本がじわじわと孤立化していったときの、二の舞になりかねないからです。

日本人は平和を好みます。

「和を以って尊しと為せ」の聖徳太子の精神は、しっかりと国民の価値観として、心に染み渡っております。

しかし「和」の精神と、現実的な「平和」とは、決して同じではないのですね。

また、「平和」には、具体的努力が伴うのです。

これは、絶対に必要です。

戦前日本の孤立化は、日本が大正デモクラシーで、のんきに平和を享受している最中に起こり、着実に進行しているのです。

 

日本人は草食系思考の民族で、「自分がケンかをしかけなければ、相手もやらない。」と思いがちです。

しかし世界は、悲しいかな、そうはなっておりません。

「日本から一歩出れば、そこはまだ、戦国時代である。」と思った方が良いです。

そして、「どこまでちょっかいを出せば、相手が報復してくるか。」ということを仕掛けてくるのが、世界的標準だと思っておいた方が良いです。

ですから、警備機能的な軍事装備、そしてその装備が実質的に使える状況つくりは、世界が日本的価値観に染まりきるまでは、絶対に必要です。

でなければ絶対に、やられ放題になってしまうのが、今の世界の悲しい現実です。

それは、やろうとしていることが良いことだからといって通用はしないのです。

 

 

たとえば、学校には校則がありますよね。

学校内で校則に違反すると、生徒には何らかの罰則が適応されます。

タバコを吸うと、停学何日・・・とかです。

もしも、

「タバコを吸うのは、健康に悪い」「だから大人であっても、この学区内に適応しよう」「これからは、タバコを吸ったら、大人であっても、自宅謹慎3日」

と、生徒会の会長さんが提案したら、さあ、学区内の大人たちは、生徒会の方針に従いますでしょうかね?

従うはずありませんよね。(笑)

なぜならば、そもそもその校則に従う道理がないのは確かですが、最も大きい理由は、罰則を実行させるだけの現実的な力が、生徒会にはないからです。

つまり校則違反を摘発しようにも、警察力がなければ、一般市民は言うことは聞かないわけですね。

しかし、学校の生徒で、柔道の有段者などがいて、タバコを吸った市民の摘発などに尽力すれば・・・、致し方なく生徒会に従うかも知れませんね。(笑)

このように、何かを実行しようとすれば、必ずそれをかなえるだけの実行力、平和を実現しようとすれば、必ず警備機能としての軍事力というのは、絶対に不可欠なのです。 

 

 

 

前置きはこの位にして、それを踏まえた上で、先の安陪談話を検証してみましょう。

「子や孫、子孫まで謝罪させ続けるわけにはいかない。」と言いつつ、その返す刀で、「先の大戦で、過ちを犯したことは、真摯に受け止めなければいけない。」と言っていますね。

将来の日本人は、謝らなくても良いけど、日本の悪の歴史は代々伝え、教え続けられるのでしょうか?

精神衛生上、とてもよろしくないのではないでしょうか?

それでは将来の日本人は、卑屈になるか居直るかしか、選択肢はありませんよね。

 

 

また、憲法の文まで引用して、「国際紛争を解決する手段として、武力は一切使わない」と言っています。

これはまるで、共産・社民・民主などの左翼政党が言っていたフレーズです。

ならば仮に、シナが武力を行使して、「かつての大戦の報復で、領土をよこせ」と言って来たらどうするのか・・・という疑念が湧いてまいります。

 「国際紛争を解決する手段として、武力は一切使わない」ならば、外交努力だけで解決でしょうか?

それでは、学校外で、一般市民に喫煙をやめさせる行為に等しいです。

 

 

 

安保法案で、右極化を懸念されていますので、左翼支持者にもりっうサービスし、中国や韓国に不要な警戒心を持たせない配慮があるやも知れませんが、全方位リップサービスだと必ず隙が出ます。

失礼に当たるかも知れませんが、首相は、兵法を知らないかも知れません。

だとすれば、陸・海・空自衛隊の三軍の長をして、その資質が???ですね。

意外ですけど。

「これもするけど、反対のこれもするよ。」というような為政者の公的発言は、むしろ有事の際に、手かせ足かせとなるのではないでしょうか?

この安倍談話が持つ隙は、この談話を機軸に、今後反対勢力や反日国家などが、仕掛けや揺さぶりをかけてくると推測します。

また、コアな安倍支持者は、今回の談話を、決して心の底から喜んではいないと思います。

この談話が有効な限り、日本の誇りを取り戻すことも、英霊の名誉を回復することもできないからです。

相変わらず日本悪玉説を堅持し、「先の大戦は間違いであった論」を継承しています。

そして何より、安倍談話が有効な限り、憎っくき9条のフレーズが、国際社会で有効だからです。

私自身、少し引きました。

河野・村山談話は反吐(へど)が出ますが、安倍談話でも嘔気がしますね。

旧社会党や民主党など、左翼政党で政権の座についたところは、政権に就くや否や、急激に支持率を落とし、解党または、解党寸前まで行きました。

それはそれまでの持論を撤回し、現実路線を行わざるを得なくなることで、コアな支持者が離れたからです。

 

 

安倍政権は今回の、全方位リップサービス的な談話を発表したことで、ここ1ヶ月の間に、急速に窮地に立たされると思います。

 

だとすれば、集団的自衛権の行使容認が危うくなり、日本の安全保障の前提が大きく揺らぎます。

 

首相の談話には、実行不可能な矛盾を多く含んでおり、それがネックになって、安倍首相は身動きが取れないはずです。

首相が何かをしようとすれば、必ず矛盾点を突かれます。

その釈明と弁明に、膨大な時間と労力が費やされるでしょう。

それを解決する術は、今回の安倍談話を撤回し新談話を発表するか、それでもだめなら、憲法9条改正を機軸に、衆議院解散総選挙をする以外は、おそらく手立てがないと推測します。


先の大戦を、深く反省した上で導き出される、国家の平和的選択とは。

2015-08-15 10:08:30 | この国を守るために

 

土佐のくじらです。

昨日14日首相官邸にて、「戦後70周年記念談話」が発表となりました。

 

「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」

この一文は胸を打ちました。

全くもって同感です。

河野談話、村山談話を発表した両氏に、日本の為政者として、この思いはあったのでしょうか?

 

ただ気になる点がいくつかあります。

総じて、「どのようにも解釈ができるような文体である」ということですね。

誰が誰に対して決意しているのか、また決意させようとしているのかが、今ひとつわからないという文言が続きます。

これは恐らく、国内に相当数いると思われる、左翼的史観を推し進めようとしている政治勢力、これは他党のみならず、自民党内にもいると思われる反対勢力に、揚げ足を取られないようにという、政治的妥協の結果であろうと推測されます。

日本の侵略および、従軍慰安婦などの強制性を詫びた、河野・村山両氏の談話から比べると、雲泥の差ではあると思います。

河野・村山談話には、歴史的事実の根拠が全くありません。

反吐が出ます。

しかしこの談話で、果たして日本の誇りが取り戻せたか、また、先の大戦で尊い命を散らせた英霊の方々に、真なる名誉回復がなされたかと言えば、「NO」という他はありません。

首相は、「靖国神社において、これと同様の声明を発表できるか」と言われれば、残念ながらできないでありましょう。

 

そして気になる文言があります。

「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。」

「植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。」

この2文です。

 

一見、とても素敵な言葉で綴られた文章です。

それ自体は、とても良いことです。

しかしこれを具体的にどうするのか、また、これは一体誰に向かって発表し、決意し、また決意させるものなのかで、それは全く結論が違ってまいります。

すべては原因あって結果あり。

これは2500年前に、釈尊が喝破した真理です。

真理とは、誰が見ても、どこから見ても、いつ見ても正しい真実です。

この2文は、我々日本人が、きちんと先の大戦を反省しているか否かで、これからの未来を変えてしまうほどの力があるのです。

 

 

先の大戦以前において、日本は孤立しました。

よく言われるのは、「軍部が独走したから、世界から孤立した」と言われるものですが、決してそうではありません。

軍部が独走したのは、孤立化したから独走せざるを得なかったからであって、日本の孤立化は、それ以前から始まっているのですね。

それは歴史を順番に辿っていくならば、そういう結論に達してしまうのです。

つまり、一般的に論じられていることと、原因と結果の順番が違っているのです。

正しい診断なくば、正しい治療はできません。

歴史の反省も同じです。

 

反省とは、懺悔ではありません。

反省とは過去を振り返ることです。

結果がなぜ起こったかを突き止める、つまり原因を探るリサーチ(分析すること)です。

その結果、間違っていることがあれば懺悔すれば良いことで、反省=懺悔ではありません。

平和が良くて、争いを起こしたくないならば、きちんと、原因と結果に照らし合わせて、論理的に情報収集し、分析して原因の結論に達するべきです。

正しい分析に至れば、それは真理です。

真理ならば、原因と結果に整合性が出てまいります。

つまり、つじつまが合うわけですね。

歴史を精査するには、つじつまが合うか否かが、とても重要なのです。

 

 

では、なぜ日本が孤立化したのか。

それは第1次世界大戦終結後に行われた、パリ講和会議において、日本が提案したことから始まっていると思うのが、最もつじつまが合う結論となります。

 

日本が何を提案したか。

それは、「今後は世界から、人種差別をなくしていこうではないか。」という、とても有意義な提案でした。

これは世界で始めて、人種差別の撤廃を訴えた国際的提案であり、それ自体は人類的貢献とも言える内容でした。

しかしそれは、当時の国際的社会背景からすれば、とても都合の悪い提案だったのですね。

なぜならば、世界は植民地主義が横行していたからです。

植民地主義とは、言わば侵略主義・占領主義です。

占領する側は数が少ないので、植民地主義は、人種差別を前提としていたのですね。

でなければ、とてもではないが、大多数の現地人を支配することができないからです。

つまり、当時の日本の素敵な提案は、当時の列強諸国にとっては、とても都合の悪いものだったのですね。

だから、日本は孤立し始めたのです。

 

明治末期ころのアジアの地図

 

第1次世界大戦で、ボロボロだったヨーロッパと比較して戦力に被害のなかった日本は、当時世界では相対的に最も強い国でした。

ですから、植民地大国・・・その後の連合国ですが・・・、彼らは戦略的に日本を弱める方向性で進み、それが日本の孤立化へつながっているわけです。

そして当の日本は、素敵な提言を訴えただけで、「人種差別をなくしていくだけの、具体的な実行力」について、深く言及していたとは思えません。

当時の日本に、「その理想主義的な提言を世界に納得させ、具体的に叶えさせるだけの、覚悟はあったのか!」と言われれば、ひょっとしたらなかったのやも知れませんね。

はっきり申し上げれば、相対的に世界最強国であった第1次世界大戦直後の日本が、

「今後は世界から人種差別をなくしていこう。でなければ日本は、すぐにアジアに軍を進める覚悟がある。」と言えば、それで大東亜共栄圏は成立できたはずなのです。

侵略者というのは、敵わない相手なら撤退しますからね。

なぜならば、侵略というのは、軍事力を使ったビジネスだからです。

日本人にはなかなか理解しがたいものがあると思いますが、ビジネスですから、割の合わないことはやらないのですね。

ですから荒っぽいように見えて、これが最も、平和的解決の具体的な方法となるわけです。

 

さあ、そういった歴史的な背景を踏まえた上で、安倍首相の言葉を見直してみましょう。

「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。」

「植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。」

 

これは今、事大主義的軍事拡張路線を引いている中国への行動も、立国以降、チベット・内モンゴル・満州・ウィグルなどを占領してきた中国の行動も、そしてなおかつ、第2次世界大戦の要因ともなった、欧米の植民地占領政策をも、非難しようと思えば非難できる内容となっております。

 

これがどう、国際的な評価を受けるのか。

また世界的に見て、どのような印象をもたれるのかまでは、英語等の文化的解釈に疎い現在の私では、理解し難いものがあります。

ただ理解しておかなければならないのは、一見受けの良さそうな文面であったとて、世界がどのように受け取るか、また世界がそれを、自国の都合の良いとらえるか否かは、全くわからないということです。

 

つまり、現在の日本の世論の妥協点的な、今回の戦後70周年記念談話は、全世界を巻き込んだ、歴史認識戦争の引き金を引く可能性もあるわけですね。

であるならば、首相の言う、

「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。」

「植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。」

を、具体的に、なおかつ現在の中国や、元来侵略的思考を強く持つ欧米諸国にも守らせるだけの覚悟と、具体的な世策が必要かと思うのです。

これが先の大戦を、深く反省した上で導き出される、国家の平和的選択ではないかと私は考えます。

 

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戦後70周年記念首相談話全文 

サンケイニュース http://www.sankei.com/politics/news/150814/plt1508140016-n1.html

終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。

 百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

 世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。

当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。

 満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

 そして七十年前。日本は、敗戦しました。

 戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。

 先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。

 戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。

 何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。

 これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。

 二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。

 事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。

先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。

 我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。

 こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。

 ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。

 ですから、私たちは、心に留めなければなりません。

戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。

 戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。

 そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。

 寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。

 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。

しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

 私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。

 そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。

 私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。

私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。

 私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。

 私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。

 終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。

 平成二十七年八月十四日

 内閣総理大臣 安倍晋三

 


坂本龍馬の瞳に映る夏

2015-08-13 03:31:30 | この国を守るために

                                      

                  長崎の坂本龍馬像

土佐のくじらです。

 

日本の夏。

それはどこか、過去への郷愁を秘めていると感じるのは私だけでしょうか?

夏休みがあり、子供たちが無邪気に遊ぶ夏。

お盆もあり、久しぶりに家族が集う夏。 

そしてかつて、戦争が終わった夏。

日本人にとっての夏とは、過去への慙愧(ざんき)の思いと、希望と開放感が入り混じる、複雑な季節なのかも知れません。

 

今月8月9日は、長崎に原爆が落された日です。

私は仕事で当日のニュース報道が見れておりませんが、長崎では平和の集いが開かれたのでしょうか?

そこでは通年の如く、女子学生らによる、平和への論考が読み上げられたのでしょうか?

 

最近は被爆地長崎ですら、若い世代への原爆への関心が、薄れてきているとお聞きしております。

しかしそれは、致し方ないのかも知れません。

なぜならば、被爆地である広島や長崎には、ただ平和を唱え、日本の過去を断罪するだけでは、その歴史的使命は果たせないことは、地元にいらっしゃる方こそ、深く認識なさっているのではないかと思うのです。

平和を願うだけで、平和だった時代は、もう終わっているからです。

 

 

日本本土の、最西端(西の国境)にある長崎。

日本の国際人のさきがけであった、坂本龍馬先生が拠点を構えた長崎。

その長崎に暮らす人々の本心は、「これで、いいはずはない」と思っていらっしゃると思うのです。

 

 

今の状況下において、日本が現実に平和を続けるためには、平和にいたるための要因を創り出していく努力が、要求される時代となっているのです。

先の大戦における、日本がしなければならない反省の大きなポイントとして、

「地政学的に、東アジア全体が平和でなければ、日本は平和でいられない。」ということがあると思うのです。

その条件に対して、国際的なパワーバランスが、急速に崩れてきているのです。

 

 超大国アメリカの没落が目に見えて顕著となり、共産主義の中国が、急速に軍事的脅威を増しているからです。

日本はその中で、国の自由と未来を賭けて主体的に判断し、それを実現できるだけの力を、現実的に持たなければなりません。

でなければ、日本の地理的条件であれば、2つの大国に翻弄され続けるか、いずれかに飲み込まれるかの、どちらか一つの選択を、絶対にしなければなりません。

 

 

日本がそういう未来で、本当に良いのか・・・ということです。

戦後これまで続けてきた、祈るだけ、願うだけの平和活動では、未来は必ずそうなります。

 

私は子や孫が暮らす日本が、自由で豊かで幸福で、世界に善き影響力を与えていける国であって欲しいと願っています。

被爆地長崎に像の建つ、郷土の英雄坂本龍馬先生の瞳には、何が映っているのでしょうか。

龍馬先生が、今の時代を見たならば、国民一人一人に、熱く何を語りかけるでしょうか。

 

 

戦後70周年の夏、それは日本が誇りを取り戻す最後のチャンスです。

80周年では、先の大戦は、確実に歴史の一コマとなっているからです。

終戦記念日に発表されると言われている安倍談話。

それは、日本の未来の道筋を決める、重要なメッセージとなります。

日本の未来に生まれ生くる子供たちに、美しき心を持った先祖のことを、誇れる国を残したいと願います。