土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

世界を動かした、平安日本の繁栄 

2013-08-24 10:09:47 | 歴史のミステリー

土佐のくじらです。

拙ブログでは今、平安時代についての考察をしております。

日本は平安時代初期段階において、日本は遣唐使を廃止いたします。
この最後の遣唐使で、正式に日本は、国号を【日本】と唐に報告いたします。
元は、日の本(ひのもと)です。

それまでは、ヤマトや海外には倭国、または和国と自らの国を呼んでいたようです。
古代の日本人にとって、【日の本】というのは、世界の全てのことであったようです。

日の本とは、呼んで字のごとく、日に照らされたところ・・・という意味ですから、当時の世界観で言えば、地上世界全てのことなのですね。

その日の本=全世界を、国の名前としたのですね。
これは当時の日本人の、大きな自身の現れの一つであろうと思われるのですね。

中国の正式名称は、中華人民共和国ですね。
中華・・・というのは、世界の中心という意味です。

今の現状はさしずめ、中華思想(世界の中心) VS 日の本(全世界)思想ですな。(笑)

日本(にほん・にっぽん)という名前の読み方は、音読みですね。
この音読みの国号である日本という言葉の響きには、私には不思議な響きに思えます。

音読みというのは、中国の読み方ですからね。
つまり外国語読みなのです。
今で言うなら、【ジャパン】を国号にしたような感じですね。

平安時代においては、朝廷は既に強力な政治体制を国内で保持しておりましたが、
やはり国内諸国の、感情への配慮があったのかも知れません。

今でも、平成の大合併においては、新たな市町村名は大きな問題でした。
埼玉県では浦和市と大宮市とで、どちらの名前にするかでもめ、結局 【さいたま市】に落ち着きましたね。

一方の古い名前を残すと、地域住民感情としては、シコリが残るんでしょうかね?
私の暮らす四国でも、愛媛県に四国中央市という名前の都市ができました。
音読み熟語の町ですと、なんだか言葉の響きがしっくり来ないのは、私だけではないと思います。

やはり古来から続く町の名前には、長い歴史で培われた、独特の言葉の力があるように思います。
一時的に混乱しても、やはり古い名前を残す努力をした方が良いと私は思います。

とりもなおさず、日の本の国は 【日本】 という名前で、その後世界の舞台に立っていく訳です。 

しかし遣唐使を廃止した・・・といことは、これはつまり、日本が鎖国状態に入った・・・ということなのですね。
日本は、江戸時代に初めて鎖国した訳ではないのです。
遣唐使の廃止=鎖国なのですね。

ただ、国家としては唐とのお付き合いはなくなりましたし、貿易の保護システムもないのですけど、江戸時代のように罰則もなかったので、どうやら民間レベルでのお付き合いは、その後も続いていたようですね。
朝廷の目の届きにくい東国以北では、盛んに沿海州(ロシア)や朝鮮半島と、交易していたようです。

ですから日本の情報自体は、国外にも出ていました。
それが有名な、マルコポーロの【東方見聞録】につながるのですね。

マルコポーロは、もちろん日本には訪れておりません。
マルコポーロは、当時の中国の王朝「元」の国家文書で東方見聞録を書いたのではなく、巷(ちまた)の一般市中の中国人たちから情報収集し、東方見聞録を記したのです。

中国歴代の日本への評価は、一貫して侮日論で統一されていますが、これは国家の建前というか、彼ら独特の俺様思考がそうさせるのであって、一般中国国民の感情としては、日本への憧れを強く抱いていたのが、歴代中国の隠れた歴史でもあります。
日本は食べ物が豊かで、盗みもなく、飢饉でも人を食わないからのようです。

中国では、飢饉で食べ物が底を突くと、人肉を食べる習慣が最近までありました。
それが中国の歴史が、戦乱と王朝交代の連続であった、本当の理由なのではないかと、私は密かに思っております。

この日本への密かな憧れの基本感情は、恐らく今の中国でも人民レベルの水面下では、同じではないかと私は推測いたします。

さて、マルコポーロは当時の日本を、【黄金の国】と表現いたします。
有名な【ジパング】ですが、これは【日本】の中国読み【ジッポン】から来ております。
具体的には、当時の奥州平泉(岩手県南部)の、繁栄のことではないかと、私は思っています。

このマルコポーロの東方見聞録は、その後のヨーロッパ諸国の人々の、富への憧れを鼓舞いたしました。
いわゆるエルドラド、黄金郷伝説ですね。

それがその後のヨーロッパの、大航海時代につながったのです。
アメリカ大陸を発見したコロンブスは、マルコポーロの東方見聞録を読んだことで、大西洋ルートでジパングに至り、ジパング黄金を手に入れて、その金(きん)でインドからコショウを買い付ける計画を立てたそうです。

平安日本の世界レベルでの繁栄は、その後の元寇の要因ともなりましたが、この国際的には神秘のベールに包まれた一国の繁栄が、大きく大きく、その後の世界の時代の歯車を回したことは、間違いないと私は考えています。

                                      (続く)