土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

【再掲】 アジアの皆様に対する、反省と謝罪

2013-10-29 11:16:33 | 神国日本の心

 
朝鮮半島のみなさま 本当にごめんなさい

我々は 彼の地から 引き上げるべきではなかった

さすれば 民族が分断されるような悲劇も

北朝鮮という ならずもの国家によって かつて愛した方々が 

あれほどの苦渋に満ちた人生を 送るようなこともなかった

引き上げるならば 

アメリカが 真に信頼できる国家であることを確認した上で

統一した状態で 統治させるべきであった

我々の力不足が 朝鮮の南北分断の要因だ 許して欲しい 


満州の方々には 誠に申し訳ないことをした

せっかく満州族の皇帝を擁立し あなた方の国家をつくって差し上げたのに

我々は それを守りきることができなかった

ソ連が連合国入りした際に 日ソ不可侵条約は破棄して 

沿海州やモンゴル、シベリアを制圧するべきだった

そしてこれらの地域に 満州をお手本にして 

新たな国家を 創るべきであった

さすれば あの時点で ソ連は崩壊していただろう

悪魔スターリンは 少なくとも失脚していたはずだ 

そして中共による 内モンゴルやウイグルの悲劇も 

歴史には 存在しなかっただろう

中央アジアや東ヨーロッパの国々も 長年ソ連によって抑圧されており

ゴルバチョフの降臨まで 不幸を味合わせてしまった

樺太や 千島列島の方々も同様だ

我々の力不足だ 許して欲しい


沖縄のみなさん 本当にごめんなさい

我々は あなた方を 守ることができなかった 

尊い同胞を たくさん失った 

断腸の思いだ

敵国を上陸させてしまったのは 返す返すも残念だ

もう二度と本土に 敵国を上陸させたりはしない 約束する


台湾の皆様には もはや謝罪の言葉が浮かばない

ああ我々は なぜあなた方の土地を 放棄してしまったのだろう

見捨てた と思われても 仕方のない判断だ

あなた方と我々は その時すでに 同胞だった

我々の 判断の間違いだ やはり引き上げるべきではなかった

さすれば 二つの中国問題など 存在しなっかたのだから

中国人民に 謝らなければならないとするならば 

我々が台湾を 放棄したことによって 

中国人民が 二つに割れる要因を 作り出してしまったことだ 

本当に申し訳ない 心からお詫び申し上げる


幼児虐待事件の真相

2013-10-28 12:31:42 | 神国日本の心

土佐のくじら(幸福うさぎ丸)です。

先週末、また幼児が虐待死した、おいたわしいニュースが報道されました。
この子の若い父親に対する怒りや、保護を解き、虐待暦のある家族のもとへ子供返した児童相談所の判断など、
問われるべきことがらはたくさんあろうかと思いますが、当ブログではその本質に迫れればと存じます。

幼児虐待に関しては、私は昔から存在したと思っています。
子育てが苦手な親というのは、今も昔も一定の比率で存在したと思うからです。

ただ現代は、社会的背景が全く違っています。
マスコミの報道が、盛んになされるようになってきた点は大きいです。

しかし最も重要なことは、子供に対する一般的日本人の、宗教的な価値観が変化しているということです。
それは、日本の子供の教育環境を、歴史的観点から見るとわかるのです。

以前の日本社会は、

子供は地域で育て、躾(しつけ)をすることが当たり前・・・ということが、完全に定着していた社会だったのです。

それは、農村部、都市部に違いはありません。
日本全土がそうだったのです。

これは世界的に見ても大変稀な、そして誇るべき日本の歴史だと思います。

皆さま、七五三という日本神道の儀式を御存知ですね。
これの所以は諸説ありますが、

『七歳までの子供は、神様の所有物』

という、日本神道の宗教的価値観から行なわれている神事なのです。

つまり、神様の代わりに、その子を産んだ親が子供を養育しているのだ・・・
という宗教的価値観が、日本にはあったのです。

つまり価値観的に言うならば、その子を産んだ親は、神様の子の養育者・・・でしかないわけです。

三歳、五歳になったら、その子の親は、神社に育児の途中経過を報告に詣でます。
そして子供が七歳になれば、

「神様、子供が七歳になったので、私(親)のものとして、引き取りに参りました。どうか御許し下さい。」

と許可を得るために、神社に詣でます。
それが七五三の由来です。

つまり以前の日本社会では、誰から生まれようが、子供は七歳になるまでは神様のものですから、
誰の子供であっても慈しみ、乳がでなかったら出る者が与え、躾(しつけ)が出来ていなかったら、
たとえ誰の子供であっても、悪さをすれば叱っていたのです。

日本社会は世界レベルで言えば、子供を大変可愛がり、とても子供にとってやさしい社会です。
世界の共通の常識では、子供は不完全な、手のかかる邪魔者でしかありません。
ですから子供は、一日でも早く、大人になるよう、厳しく養育される傾向があります。

私が子供の頃は、まだそういう価値観が薄っすらと残っていたのか、私は随分と、ご近所さんから叱られていました(笑)
そしてそんな時、私の両親は、叱って下さった方にお礼を言っていました。

今そんなことをすれば、子供の親に怒られることの方が多いと思います。

それは、現代日本社会が、子供はその親の所有物である・・・という価値観だからだと思います。
つまり、他人が口出しできない風潮が、できあがっている訳ですね。

私はこの、日本古来の伝統的な、子供は神様のもの・・・という宗教的価値観がなくなり、
子供はその親の所有物という、唯物的価値観となってきたことで、子供が虐待死にいたらすまで、
社会が親子を放置していることが問題だと思うのですね。

乳幼児虐待事件の報道を見るたびに私が想うこと、

それは、「人間は神の子なのだ。」という強いメッセージを持った、宗教的価値観の定着が必要だと痛感する次第です。


祖母の教え

2013-10-27 08:26:36 | 神国日本の心

土佐のくじら(幸福うさぎ丸)です。

これまで当ブログでは、日本の歴史を扱うことが多くございました。
歴史愛好家の私は、現代の日本は、危機の状態にあると感じております。

ですから第一義として、国防概念とその方法論の構築を急がなければならないと考えておりますが、
その概念と方法論を構築する上で、過去いくつもの危機を経験し、克服してきた日本の歴史を参考にしたかったからです。

具体的には現在においては、中朝が仮想敵です。
私は中朝と日本が対峙するならば、元来日本が持つ、宗教性を尊ぶ心を取り戻さない限り、中朝には勝てないと感じているのです。

敵を知り、己を知れば、百戦危うからず・・・は、兵法の中の兵法であります。
この孫氏の兵法の元に考察するならば、中朝は共産主義国家であり、共産主義国家とは即ち無神論です。

現代日本は無神論的価値観が強いと思われておりますが、日本国内の神社仏閣は、
コンビニエンスストアー以上の数があり、現実には宗教国家と断言できます。
なのに現代日本人日常的には、無神論国家のごとき振る舞いを見せているのですね。

私が中朝の軍事的な立場にいたならば、さらに日本の無宗教的な価値観を盛り上げます。
さすれば、中朝との親和性が強まり、それが侵略の手引きとなるからです。

ですから日本国民であり、日本をこよなく愛する私は、日本に日本人が素朴に描いている、神仏への尊崇を高めることこそ、
国防概念の第一義であると思うのです。

つまり、日本人がその本質的に持つ、尊きものを尊崇する気持ちを取り戻せば、日本は確実に守れると考えるのです。
即ち、神国日本の復活こそ、日本を未来に導くと私は思うのです。

そこで先日は、父から学んだ、宇宙と人間の関係を記事にいたしました。
今回も甚だ私事ではありますが、私が祖母から少年期に、教えてもらったことを記事にいたします。

 

 

私は幸いなことに、とても信心深い家庭に育ちました。
特に、母と母方の祖母は信仰心が篤く、今ではそのことにとても感謝しております。

幼少年期の私は、どちらかと言えば、神仏信仰に対しては、どこか冷めているというか、一定の距離を取っていたと思います。

子供心に、すぐ神仏に頼ろうとするこの家族を、「もっと、人間としてやることがあるんじゃないか。」と、
当時は思っていた節があります。

そんな冷めた私でしたが、今は亡き母方の祖母だけには頭が上がりませんでした。
祖母は子どもの頃から体が弱く、ろくに学校にも行っていない方でしたが、頭が良く口がたち、
そして、ちょっとした痛みとかは、祖母がマジナイを唱えると、チョッチョっと治してしまうような、そんな不思議な力も持っていました。

このマジナイは、真言宗のマントラだと生前祖母は言っておりました。

そんな祖母と、高校時代の夏の午後に私は、神仏について話をしたことがあります。

私は祖母に、

「先祖供養が大事だと、おばあちゃんたちはすぐに言うけど、自分のことは、自分でやらないといけないじゃないかな。」
「人としてやれる努力があると、僕は思うけどな。」と、問いかけました。

「ふ~。」と、ため息をつき、祖母は私に問いかけました。

「お前には、大切なことが理解できていないようじゃ。」
「あの入道雲を見なさい。」

そう言って祖母は、夏の空を指差しました。

「夏の入道雲は、どんどんどんどん天に昇り、とても勢いがあるように見える。」
「じゃがな。昇りつめた入道雲は、いずれ自分の重さで、雨になって落ちていくんじゃよ。」

「覚えておきなさい。」

「所詮、人間は弱い。」
「神仏を否定したり、信仰を笑う・・・ということは、あの入道雲のようになるんじゃよ。」

すると、晴れていた空はにわかに曇り、夏の高知ではよくある、ドシャブリの夕立が始まりました。

祖母は、
「なあ。バァの言うた通りじゃろ。」と、ニコっと、微笑みました。

そして、祖母は話を続けました。

「お前の言っていることは、一見正論に聞こえる。」
「じゃが、それはな。神仏と、競うことになるんじゃよ。」
「神仏と競うものは、やがて自分の重さで堕ちて行く。」

「覚えておきなさい。」


父がくれた宝物

2013-10-26 10:17:31 | 神国日本の心

土佐のくじら(幸福うさぎ丸)です。

今回は、私が小学生の夏休みの時の話です。
父と、父の実家に数日間、滞在したことがありました。

父の実家は高知県の山村の、平家の落人(おちゅうど)伝説の残る水墨画の掛け軸のような、僻地中の僻地の集落です。

父はとても無口で、不器用を絵に書いたような人でした。

夏休みと言っても8月の終わり頃、台風一過の少し秋めいた北風が吹き始めた、ある夜のことです。

夕食を終え、お風呂に入ろうかという時に、父は私に言いました。

「出かけるぞ。」
「お前に、宝物を見せてやる。」

そう言って、私を外に連れ出しました。

真っ暗闇のケモノ道に入り、木々の中、山中をしばらく歩きました。
子供心に、心細く、とても怖かったのを覚えています。

いくらほど歩いたでしょうか。
かなり暗闇にも眼が慣れ、足元の悪さも気にならなくなった頃、急に開けた景色の場所に、父と私の二人は出ました。

私は言葉を失いました。
そこには・・・

満天の星空が、空一杯に広がっていました。

暗闇に慣れきった眼には、星々が・・・そう・・・

銀河の中心に、放り込まれたような、輝きに見えたのです。

「これほどの星々に、囲まれているんだ。」

そう思うのが精一杯で、言葉を失い、感動で涙が出そうでした。

筆力がなく、とても描写できませんが、
一つ一つの星が、とてつもなく大きく見え、
「まるで、星が垂れて落ちてくるのではないか・・・。」と、思った程です。

驚きの余り、言葉を失った私に、無口な父は言いました。

「お前が大人になり、もしも失敗して、無一文になったら、ここに来い。」
「一円も払わずに、手に入る宝が、ここにある。」

そして父は、続けてこう言いました。

「お前が大人になり、成功して、金持ちになったら、ここに来い。」
「いくら金を積んでも、手にできない宝が、ここにある。」

父も亡くなり、その場所がどこにあるかは、もうわからなくなりました。

しかし父が見せてくれた、美しい星空は、
私の心に焼き付いて、今でもありありと思い出されます。