土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

宗教戦争克服のキーワード (聖徳太子の偉業を考える)

2013-08-18 07:04:56 | 古代日本のスーパースター

土佐のくじらです。
私は歴史好きなので、拙ブログは今、日本の歴史問題に取り組んでおります。

飛鳥時代のスーパースター聖徳太子は、日本のみならず世界で唯一、宗教戦争を克服した偉人です。
前回記事までに、後世の天智天皇まで話が飛んでしまいましたが、今回はそれについて述べてみたいと存じます。

世界は今宗教戦争、特にイスラム教とキリスト教+ユダヤ教勢力との争いが深刻化しております。
両宗教には、旧約聖書に書かれているハルマゲドン思想という、終末期における戦いの予言もあり、勝者が神に祝福された千年王国を造るという深層心理もあり、やっかいな問題ではあります。

また中国や北朝鮮に残る共産主義思想も、無神論という宗教と言えます。
無神論は宗教ではない・・・と思う方も多いでしょうが、神仏が存在しないことは証明できませんので、
これもまた、「神などいない。」という教義理念を信仰しているのであり、無神論も宗教なのです。

先週、終戦記念の日の前日にTV放送されていた、かつての旧ユーゴスラビアの内戦の不幸を私は見ました。
長年、共産主義国(無神論国家)として永続してきた多民族国家ユーゴスラビアが、創設者チトー大統領の死去をを受け分裂し、泥沼の民族紛争へと発展した事例です。
イスラム教徒、キリスト教徒が入り乱れ、他民族が入り乱れる大都会では、かつての友人通しが殺しあうと言うのが当たり前となっていたようです。

このように宗教による戦争や、共産主義国家内における粛清など、思想による不幸は、世界の歴史から消えたことはございません。
長年思想による戦いを経験していない日本人にはピンと来ない話ですし、先の大戦で天皇現人神信仰で敗れた日本人には、思想は怖い・・・という、深層心理が働いてもおかしくはありません。

ただ歴史には必ず、時代が求める課題というものがあります。
私にはそう思えます。

今ある宗教や共産主義などの思想による戦い、そしてかつての日本の不幸体験、これらから抽出されるこの時代の課題は、やはり思想問題の解決であり克服だと思うのですね。

では、これらの諸問題に共通するものは一体何でしょうか?
それがわかれば、解決の糸口が見えてまいります。
これらの不幸に共通すること、それは、

思想信条の自由がない・・・ということです。
思想信条の自由が完全保障されている地域や国の内部では、争いごとが起こらないという法則を見て取ることが出来ると思うのです。

振り返るに聖徳太子は、古来からの神道と仏教の融和の際に、仏教を上位概念とし、事実上の国教としました。
これでできたものは、日本国内の完全なる思想信条の自由でした。

神道が上位概念ですと、これはできないのですね。
これは、明治時代に証明されました。
仏教が上位概念だと、思想信条は自由になるのです。

地上から宗教を消し去ってもダメなのです。
宗教を消し去ろうと努力した共産主義国家は、今度は大量の粛清を発生させました。
人の心から、神の子としての良心を抜き去った無神論は、良心の呵責なく、ここ100年余りで億の単位の人命を奪いました。

争いを頻繁に起こす宗教、そして粛清の無神論、これらに共通するものは、思想信条の自由の欠如です。

思想信条の自由を高らかに、第一義として掲げる宗教が、人類共通の指導原理となったとき、世界はごく当たり前のように平和となるはずです。

これが、歴史から導き出される希望です。

思想信条の自由が大事です。
日本の歴史には、それによって宗教戦争を克服した事例がございます。
そういった点において、日本は誇るべきだと思うし、思想信条の自由が日本国内において、完全保障されていない部分があれば、世界の希望を小さくすることとなります。

いつどこでも、学校においても職場においても役所においても、また公的な機関やテレビ放送においても、「神とは何か。」とか、「神仏の愛とは。」などが議論される時代でなければなりません。

日本がそういう国家になれば、人類は平和を選択できると私は考えます。

                                              (続く)