土佐のくじらです。
平安末期の実力派の政治家平清盛は、コメ本位制であったそれまでの日本に、始めて銭による経済をもたらせました。
コメ本位経済というのは、今では想像しにくいのですけど、要するに物々交換です。
コメならばコメと同等の反物であるとか、野菜であるとか、そういった物と物を照らし合わせて、価値が同一するものと交換していたのですね。
始めて銭を使った人はきっと、驚いたと思います。
「こんな、ちっちゃな金属の破片みたいなもので、何もかも買えるのか!」と。(笑)
つまり銭単独では、コメなどのようにしっかりとした価値があるとは思えず、始めは信頼感がなかったでしょうね。
すなわち、銭の信用をつくり保って行くには、その信用の裏づけとなる、「担保」が必要なわけですね。
この通貨の信頼担保の必要性は、主に紙幣を使う経済である現代でも同じです。
平清盛はこの、銭の信頼感の裏づけのために、軍事力を使ったと私は考えるのです。
つまり、「銭に文句がある奴は、平家に言いなされ。こっぴどくお仕置きしてあげるから。」という感じでしょうかね。(笑)
実はこれは、現代社会における世界の基軸通貨ドルでも同じなのです。
「金」を機軸としていたドルの金本位制が崩れ、ドルの信頼の最終的な担保は、アメリカの軍事力なのですね。
それでドルは、紙くずにならずに済んでいるのです。
日本の円は、世界の通過では相当強い位置にありますが、今の現状は、そのアメリカのドル=アメリカの軍事力の担保があるから、アメリカの同盟国の日本の円も担保されているわけです。
それによってドルは、世界の基軸通貨であり続けていて、それによってアメリカは実質上、ドルを刷ることで、世界中から物が買えているわけです。
さて、平清盛は日本に銭をもたらせましたが、日本の歴史ではその後、またコメ本位制度に戻ります。
銭を経済の中枢に持って来た歴史は、その後の室町幕府前期の足利義満の時代、織田信長・豊臣秀吉の時代、そして明治以降の近代日本です。
結構、日本の歴史は、コメ本位制度の時代が多いのですね。
銭本位制度の運用というのが、時の政治リーダーの、ある種の経済的なリーダーの資質、優れた経営的手腕のようなものを、どうやら必要とするようであります。
徳川時代には、コメ本位制度と銭本位制度が併用されていて、それが江戸幕府の財政問題や、江戸の三大改革読み取る上で大事なポイントとなります。
江戸時代というのは、建前上はコメ本位制度です。
配下の武士を、○○石・・・という風に、コメで雇っていますね。
しかし、経済活動も活発になり、貨幣も全国的に相当出回っていました。また江戸と大阪では、金と銀による世界で初めての為替制度もありました。
ですから、建前のコメ本位制度が、力をつけてきた銭本位制度に、段々と実力で負けて来たのが、江戸時代の経済の歴史の流れです。
さて現代日本は、円という基軸通貨を使った、銭本位制度経済ですが、この法則のもと今後はどうなるのでしょうか?
円という銭の、信用の元となっているのは、日本の信用なのですね。
日本の円は、ほっとけば円高に以降しますが、それは円の信頼が厚いからです。
それはつまり、日本の信頼感は、世界レベルで言えば高いことを意味します。
日本がもし、他国に侵略されたならば、日本の円、そして日本の国債などは、全て紙くずとなります。
世界レベルで見て、日本に信頼感が薄い部分があるとするならば、実はこの部分です。
決して軍事力では劣ってはいないのですが、ソフト(法律面)においてその防衛力を、行使しにくい形となっているため、国家のセキュリティーが弱いのですね。
世界の目で見て、その部分だけが、信頼の薄い部分なのです。
このセキュリティー面が強くなれば・・・、つまり、今ある防衛力、今後導入する必要な防衛力を、正当に行使できる法整備さえすれば、日本の円は次世代のドルに続く、世界の基軸通貨を持つ国になる可能性がある・・・。
つまり・・・、円を刷るだけで、世界から色々なものが買える国になる・・・ことも、実は夢ではないのです。
詳しくは、いつかまた記事にして見たいと思います。
最新の画像[もっと見る]
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます