土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

和を以って貴しと為す (聖徳太子の残した日本精神)

2013-08-08 17:30:00 | 古代日本のスーパースター

土佐のくじらです。

私は、今世界で求められている精神は、聖徳太子の精神ではないかと思います。
そして日本が、聖徳太子の時代に帰ることこそ、日本がそして世界が救われる第一歩になると思っております。

日本には現行憲法があります。
日本国憲法です。
日本国憲法の平和の理念は大事です。

しかしこの憲法には欠陥があります。
それは、本当の意味において、日本人が平和を構築する力と方法論を持ち得ないことです。
そして、日本人が自らの人としての誇りを捨てない限り、この憲法の理念を体現できないところです。
つまり、現行の日本国憲法は、占領された国家の憲法だということです。

私は聖徳太子が制定した、十七条憲法が好きです。
私は日本が、聖徳太子の十七条憲法に戻るか、太子の志をベースに、更に理念を推し進めた憲法が定着すれば、
日本は日本らしく、また世界も良き手本を得ることができると思っております。

聖徳太子が制定したと言われる十七条憲法の第1条は、その後の日本人の国民性をほぼ決定付けたと言って良いでしょう。
有名な、和を以って貴しと為す(わをもってとうとしとなす)です。

つまり、争いごとのないことが貴い・・・という概念です。
聖徳太子の思惑とは、少し違っているかも知れません。

十七条憲法第一条はこうなっているからです。

和を以て貴しとなし、忤うことのないのを第一とする。
人は、とかく自分の利害を中心に仲間をつくったり、離れたりする習癖がある。
この我執を超える者がきわめて少ない。ために、上長や周囲ともしっくりいかなくなるのである。
しかし、和―すなわち因縁の理を明らめるなら、この間のあり方がおのずから明らかになって、すべてのことが和やかに運んでいくようになるのである。

太子は、「自由な議論を大切にしつつ、その中で、派閥や個人の利害を超えなさい。そのために必要なことが、和を以って貴しの精神。」と言っているように思えます。

しかしその後の日本の歴史の流れを見れば、平安・江戸・戦後など、世界的には極めてまれな、長期にわたる平和の時期を多数経験しており、やはり日本人平和を大切にする心の根源には、聖徳太子がいると思われます。

日本人にとって、争いそのものが忌み嫌うべきものであって、自己主張が苦手な国民性も、聖徳太子の影響かもしれません。
もしも世界が、聖徳太子の十七条憲法を受け入れたなら、世界は争いを忌み嫌うようになるでしょう。

当時の日本は、日本神道派と仏教派による、言わば宗教戦争を経験した時期です。
太子はこの宗教戦争を、天皇を中心とした宗教日本神道を残しつつ、仏教的精神を中核に克服しました。
克服と言ったのは、その後日本から宗教戦争をがなくなったからです。

はしかで生涯免疫ができるように、日本人にとっての宗教戦争は、太子の時代1500年前のできごとなのです。
世界は今、宗教戦争の時代を克服できていません。
世界は日本より、1500年遅れている・・・とも言えるのです。

太子の政治に大きな影響を与えたのは、第2条に書かれている仏教です。
次回はこの、太子の仏教観に触れて見たいと思います。

                                 (続く)




【再掲】 B29は国際法違反です。

2013-08-08 16:15:24 | 誇るべき日本の歴史

土佐のくじらです。
皆様、暑い日々が続きます。

時節は8月の上旬。
これから、終戦記念日に向けて、戦争もののテレビ企画などが、数多く放映されるでしょう。
しかしそれらは、戦争の悲惨さをことさら訴え、過去の日本性悪説のみが強調されたものとなるはずです。

私はこの現代日本の現状を変えたい。
日本人が自国の歴史に対して、卑屈になるような現状を変えなければ、世界から本当の正義は消えてしまうと思うからです。
なぜなら日本は、侵略国家ではなかったし、決してファシズム国家でもなかったからです。

日本には、失われた歴史があるのです。
それを拙ブログでは、日々綴っております。

この時節、日本人がしなければならないこと。
それは、卑屈になることではなく、失われた歴史を取り戻すことです。
そして、日本の誇りを取り戻すことです。

それが結局は、世界の希望となるのです。
なぜならこの国の歴史には、世界が困窮している課題の答えが、もう全て入っているからです。

日本人よ、失われた歴史を取り戻せ!
そして、失われた誇りを取り戻せ!

その願いを込めて、過去記事を改めて世に問います。

私は、「日本は悪いことをしたから、空襲や原爆を落とされた。」と言う言葉が大嫌いです。
まるで日本人原罪論ですね。

しかし、よくよく踏みとどまって考えた時に、これまで私が述べて来たように、
日本の先の戦いは、ある意味では、国防戦であったと思っておりますし、
日本の人種差別撤廃理念が原因ならば、神様の理念の体現でもあったとも思います。

神仏が愛であり慈悲の御存在であるならば、人種差別による世界の統治など、望んでいらっしゃるはずはないからです。

日本が当時の国際社会において理解者がおらず、孤立したのも、当時の世界の当たり前の価値観が、
人間として間違っていたからです。
この時代的価値観は、いつかは決着をつけなければいけなかったと思います。

これは有色人種である日本人の繁栄と自由を守る上でも、重要な勇気ある決断だったと私は思います。

ともあれ、「人種差別で国家運営や、国家統治をしてはいけない。」
この、現代では当たり前になっている価値観に、当時の世界で唯一気付いていたのが、戦前の日本人だったのです。

これは今、世界では当たり前の価値観のはずです。
実践できているかどうかは、また別の問題ではありますが・・・。

アメリカなどは民主主義国家の代表とも言われますが、アメリカ国内の人種差別的な施策や対応は、
1970年代までは当たり前のように行っておりました。
これは、キング牧師の活動の事実や、TVドラマ「コールドケース」などを見れば、とてもよくわかります。

現実、日本を占拠したGHQをはじめ、駐屯したアメリカ兵は全員白人ですよね。
と言うことは、これは白人以外は兵役にも就けなかった事実を現しております。

これは当時のアメリカ国家が、国内の黒人種を信じていなかった証拠なのです。

空襲や原爆投下ですが、日本に非があるとすれば、
無差別爆撃を受けるということは、日本周辺の制海権、そして制空権を、完全に失っているということです。
そういった意味での軍事的、国防的な失策は責められる点です。

また、そういった状況に合ってもなお、戦争を止めるという決断ができなかったことも、大きな反省点かと思います。

しかし、米軍が実際に行った、空襲や原爆投下などの、日本の市街地の無差別爆撃は、
禁じられている非戦闘員への虐殺行為であり、明らかな国際法違反です。
これだけは、知っておかなければなりません。

日本が悪い国だから爆撃された・・・のではなく、明らかに、米軍はやってはいけないことをやっているのです。

無数のB29による、じゅうたん爆撃・・・日本人なら、当たり前に浮かぶシーンです。
日本人の戦争のイメージの大部分は、恐らくこういう風景ではないでしょうか?

しかし爆撃機というのは、本来はね、軍事施設を狙う戦闘機なのですよ。

市街地を全て焼き尽くす、破壊しつくすなんていうのは、こんなのは、人間の考える作戦ではないですよ。

それでどれだけ、市民が死にましたか。
戦争と言うものは、戦闘行為でしか死者を出してはいけないのです。

これなどは、当時のアメリカが、日本人を人間扱いしていなかった証拠です。
つまり当時の彼らにとって、人間とは白人のことだったのです。

また広島型原爆と長崎型原爆とでは、ウラン型とプルトニウム型と、その形式が違いますよね。
ということは、これは実験を行ったとしか思えないです。

現在は日本の同盟国であり、これ以上言うのは何かとは思いますけれども、
全くもって、腹立たしいことではあり、日本人としては、煮え湯を飲まされる心境です。

日本人よ、愛する同胞たちよ。
これは、「日本人が悪いことをしたから。」などと、発想してはいけない出来事なのです。
それは、間違った原罪思想です。

アメリカがやった爆撃機による無差別空襲も、原爆投下のいずれも、非戦闘員の虐殺を禁じた、明確な国際法違反です。

私が考えるに、アメリカ軍が行った明確な国際法違反を、真意的に正当化するために、
日本性悪説や、日本軍による南京大虐殺、そしてアジアにおける非人道的な行為などを、創作する必要があったはずです。

アメリカの動機は、「戦争を早く終わらせるため。」ではなかったはずです。
「アメリカ兵士の人命を、少しでも少なくするため。」でもなかったはずです。

空襲をしても、原爆投下をしても、その理念達成には無意味だからです。
なぜなら、制海権・制空権を制覇した時点で、相手は終わっているからです。
それがわからない軍事専門家はおりません。

ソ連の宣戦布告の意向を知り、連合国内でのイニシアチブを取る、すなわち、
アメリカが日本をやっつけるのに、連合国内で一番手柄があったことを示すためだけだったはずです。
時系列的に見れば、それで全てのつじつまが合います。

そして、非戦闘員の虐殺などは、武器弾薬などの物資が、有り余るほど豊富な状況下でなければ不可能です。
また、戦っている相手を、人間ではないと思えなければ不可能です。

そのいずれにも、日本人は相当しません。
それを今まで私は、ブログ記事で証明して来ました。

それが出来るのは、当時の世界では、アメリカやソ連など連合国側の国々のはずです。

全ての日本人の方々に、私は言います。
空襲や原爆投下は、「日本人が悪かったから」ではありません。

これからは、日本人性悪説を聞いたら、こう言い返してください。

「アメリカよ、恥を知れ!」と。

「何が、独裁国家を世界から消し去った・・・。ですか!」
「ソ連や中華人民共和国は、どうするのですか!」

「人としての、恥を知りなさい!」
「その非人間的な軍事判断に対する、神の涙を知りなさい!」と言い返してください。


隋の思惑 (聖徳太子の外交を、相手国隋の立場で検証すると)

2013-08-08 10:19:19 | 古代日本のスーパースター

土佐のくじらです。

今日の歴史は、前回記事と同じ聖徳太子の時代です。

しかし今回は、通常の一般的な見方とは一風変わって、聖徳太子の外交政策を、遣隋使を送られた方である、随の立場から検証したいと思います。

日本史的に、この聖徳太子外交というのは、まぐれとしか見られていないと思います。
ビギナーズラックというか、「素人がなんと無謀なことを・・・」「結果が良かったから、まぁ良かったけど・・・」みたいな感覚があろうかと思います。
皆さんも、そんな感覚なかったですか?

それは、「当時の日本は、遅れた国家である。」という思い込みから、発生していると思います。
実際は、朝鮮半島南部に任那(みなま)もあり、大陸の情勢に関する情報は、相当ヤマトの国(倭国・日本)に入っていたと思われます。

有名な、日昇る国の天子、日沈む国の天子云々・・・の、超生意気と言われる聖徳太子の国書の件も、
歴史学者は、「こんなのヒヤヒヤものだよ~。」と思っているのが主流だと思います。

これは、中華=世界の中心・・・思想を知っているからこう思うのであって、ある意味で、毒されている・・・とも言えますね。

当時の日本は、この世界のこと全てを、【日の本】と読んでいたように思います。
日の本=お日様に照らされた世界・・・ですから、全世界ですね。

東西南北という概念も、余りなかったのかも知れませんね。
だとすれば・・・

東のことを、【日の昇る方】 一方、西のことは、【日の沈む方】と、単純に表現していただけかも知れません。
まあ、中華思想の国”隋”では、激怒したかも知れませんが、決してそれが、太子の生意気な態度であったかは、?です。

私は、日本(倭国)からの国書も、当時の隋にとっては恐らく、渡りに船ではなかったかと思います。
海の外に全く興味を持たないという、領土への嗜好を持つ中国の民族にとって、当時の日本は、領土的野心を持てない地域なのですね。

これは日本人には、不思議な感覚かも知れませんね。
しかし我々だでも、たとえば、海の底に暮らしている人たちがいたとしても、その海の底に対して領土的野心を持ったりはしないだろうと思います。
中国大陸の民族はそういう、海の外には無関心という発想をする、完全な大陸民族なのです。
(ここに、尖閣=中国領土説のウソの根源があります。)

ですから、当時の日本とすれば、隋は組んで損をすることのない国家なのですね。
隋が日本に攻めたり、領土的野心を持つことはあり得ないからです。

当時の隋からすれば、日本は、ある意味でどうでもいい国です。
しかし当時随は、とても困った問題を抱えていたのです。

実は、隋は当時、高句麗という国境を接した朝鮮系国家に、とても手を焼いております。
4回戦争をして、全て高句麗が勝っているのですね。

ですから随にとって、当時の日本【倭国】との国交、しかも対等な立場での国交は、とてもありがたいことだったのです。
なぜなら、”同盟”と同じ効力を持ちますからね。

高句麗からすれば、勝ったとは言え、隋は強大な大国です。
その大国と、対等な国交を結んだ国家が、後ろに控えるわけですから、国際関係上、国家間の力学上は、大国に挟み撃ちに合うことになるのですね。

高句麗国からすれば、「あの、オレ様国家”隋”と、対等な外交をする国家”倭”とは、どんな強大な国家なのか?」と、当然疑うわけですよ。
こうやって、疑心暗鬼にさせるだけで十分なのです。

倭国(日本)も随にとっても、お互いにWinwinな外交なのですね。

それは、当時の日本も、朝鮮半島内の領地”任那”が、周辺諸国にちょっかいを出されていたようです。

魏が滅んだので、卑弥呼外交が、期限切れになっていたのですね。
あの、遠交近攻外交のお手本のような、卑弥呼外交のことです。

そして、高句麗軍がとても強いので、ヤマトの国の困っていたのですね。
有名な”広開土王”(ペ・ヨンジュンが主役で、TV番組をやっていたあの朝鮮の王様です。)の時代あたりです。

何はともあれ、倭・随の国交は樹立され、遣隋使の時代に入るのですが、これを機に、朝鮮半島内の紛争は、ピタッと止まるのですね。
なんと朝鮮半島国家からは、倭の大和政府に、朝貢までありました。

聖徳太子の隋外交による効果はとても大きかったので、卑弥呼の魏への外交も、朝鮮半島国家群に同様の影響があったと思うのです。

ともあれ、倭=隋とは対等の国家・・・という認識は、当時の東アジアにおいては、この認識で完全に一致させることができたのです。
そして、東アジアの平和的安定の時期は、隋が滅ぶまで続くことになりました。

これは奇跡の外交でもなんでもなく、当時の国際情勢をつぶさに検証すると、そうなるのがふさわしいものなのです。
聖徳太子がその、相応の外交関係に気づくことができた、または演出することができた、とても優れた政治指導者であったということです。

この超大国との対等な外交関係・・・という太子が創造した外交政策は、現代でも大変重要な外交政策の基本であり、忘れてはならない貴重な学びであると私は思います。

                                      (続く)