土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

従軍慰安婦は、韓国の国策。

2013-08-11 19:32:04 | 歴史問題

土佐のくじらです。

時節は8月上旬、日本の自虐史観が最も強くなるご時世でございます。
私は日本を愛する者として、この風潮を許せないのです。

日本が本当に過去において、他国を侵略し略奪し、他国の国民を不幸にして喜びを感じる国であったならいざ知らず、
そうでなく、実は他国の持つ、非人道的な歴史の闇を覆い隠すために、麗しき我が国の歴史が蹂躙されているのならば、
それは正義の名において、また麗しき国家の名において、たとえ神仏が許したとしても、私は許す気などございません。

今お隣の国韓国は国家ぐるみで、全世界を相手に盛んに、捏造した日本の悪の歴史を拡散させ、定着させる活動を展開しております。
全米各地の都市に、従軍慰安婦の少女像を建て、日本の韓国への謝罪と賠償とを要求する活動をしております。

神の正義の国を自称するアメリカは、韓国の国家ぐるみの、国費を使っての接待キャンペーンとで、骨抜きにされようとしています。

アメリカの言い分もあります。
恐らくこうでしょう。

「従軍慰安婦が、実在したか否かは関係ない。」
「日本が、いつどのような形で謝罪するか否かだ。」と。
なぜなら、

当の日本の政治家が、日本の見解として、従軍慰安婦や南京大虐殺などの、捏造された歴史を認めているからです。
これが問題なのです。

日本の政治家の見解とは、

村山談話であり、河野談話です。

日本は、この二つの談話を否定し、新たな見解を出さない限り、自国の麗しき歴史、誇るべき歴史、失われた歴史を取り戻すことはできません。
永遠に、未来の子々孫々にいたるまでです。

過去の日本において、従軍慰安婦が存在するならば、国費が出ているはずです。
出ていないといけません。
これは、記録として残っていなければいけない代物なのです。

しかし日本の予算の記録には、この絶対的な証拠、国費からの予算の記録がないのです。
ということは、たとえそういう類の場所があったとしても、従軍慰安・・・ではなく、ただの慰安所だったのです。
つまり、民生の業者だったということです。

韓国は従軍慰安婦を、アメリカでのキャンペーンでは、セックススレイブ・・・と訳しております。
これは性奴隷であり、極めて非人道的な言葉となります。

民生であれば、それは個人的な営みと、民間業者の商道の問題ということです。
国家や他の国民は、無関係です。

しかしここで問題となっている従軍慰安婦というのは、実は韓国の文化なのです。
そして女性の身体的自由を奪い、性の対象としてのみの行動を無理やり取らせることは、あちらの文化なのです。

韓国は世界最大の性犯罪国です。
歴史的にも性接待の文化もあり、あちらの国は、女性を性の対象としてしか見ない文化があるのです。

実際に、従軍慰安婦があったのは、韓国なのです。
朝鮮戦争時の国連軍相手、そして韓国軍相手のそういう類の慰安所が、国費で運営されていました。
これらは事実上、1990年まで存在したようです。

それらに利用されるために、韓国の女性が強制的に連れ出されたりする事例も、実際にあったようです。

いいですか。
これは、純粋な国営、軍の直轄の施設が、韓国にはあったのです。

従軍慰安婦という発想そのものが、朝鮮韓国の文化を下敷きに考え出された概念なのです。
日本の文化でもなければ、日本発の発想でもないのです。
あちらの文化なのです。

韓国や朝鮮、そして中国も夫婦別姓ですが、これは女性蔑視の概念なのです。
これは、夫婦であっても、同じ姓を名乗らせないことの概念から来ているのです。

多くの日本人は、この逆の概念で、夫婦別姓を考えていませんか?
実は逆なのです。
東アジアにおける夫婦別姓文化は、女性蔑視の文化であり、東アジアで唯一夫婦同姓文化の日本は、古来より女性を大切にしていた証拠なのです。

そうなのです、日本人は、女性を大切にするのです。
なぜなら、日本人が信奉する神様が、天照大神という女神ですから、日本人の多くは本能的に、女性を大切にするのです。

歴史的に日本では、女性を蔑視することは、恥じるべき文化を持っているのです。
これは日本の歴史を見れば、どの時代においても共通する概念です。

日本では奥さんのことを、「おかみさん」と呼びますが、この語源は「お神さん」であり、元来は尊称なのです。

韓国政府よ、恥を知りなさい!
そして日本の政治家よ、強くありなさい!

麗しき国、美しき国である日本の国民の皆様、大陸の低俗な文化に負けてはいけません。

そして、麗しき国民に選ばれたる日本の政治家よ。

今後日本国民の誇りが永遠に守られ、子々孫々傷付けられることのなきよう、
今こそ勇気を持って、忌まわしき村山談話、河野談話を撤回し、この両談話を永遠に、黄泉の国に封じこめるべき時です。


聖徳太子の偉業 (世界初、そして唯一の宗教戦争の克服)

2013-08-11 13:30:22 | 古代日本のスーパースター

土佐のくじらです。

暑いです。(笑)
昨日、高知県の四万十市で、最高気温が40℃を記録しました。
以前記事にも書きましたが、高知県はすぐ近くを流れる黒潮による海洋性気候なので、真夏の最高気温が33℃を超えることはまれです。
今年の夏は、通常の気候条件ではない、何か強い意志を感じざるを得ません。

さてここ最近、拙ブログでは聖徳太子を中心に記事を進めておりますが、この宗教戦争克服という、太子最大の偉業に触れないわけには参りません。
これは、人類史初の偉業であり、しかも唯一の事例なのです。

太子のお父上でいらっしゃる用命天皇は、仏教に帰依した初めての天皇であり、世界史で言えば、用命天皇の方が有名だったりします。
ヨーロッパ社会で言えば、キリスト教を国教化したコンスタンティヌス帝が有名なのと同じですね。

さて太子の若かりしころ、当時の主力であった物部氏を中心とした神道派と、新興勢力である蘇我氏を中心とした仏教擁護派との争いが内戦と発展し、聖徳太子も参加した仏教擁護派が勝利しました。
これによって太子は、有力な皇位継承者として、推古天皇の執政となり政治の実験を握るのですが、倒した相手側の宗教である神道を、宗教としてそのまま残しました。

原理主義的に言えば、これはおかしな判断であります。
天皇制度そのものは、古来からのヤマトの神、天照大神の末裔としての神事を司る宗教家ですので、仏教原理主義というものが実在するならば、天皇制度そのものをなくさないといけません。

こういった宗教イデオロギーでの対決は、世界中でこれまでも、そして今でも行われている、現実的な事例であり、通常は、新たな宗教イデオロギーが、古い宗教イデオロギーに基づく政治体制を、壊すことで革命が成就します。

聖徳太子の時代の日本では、これが起きませんでした。

物部氏などの旧主派神道派は、仏教派による日本国体の崩壊を恐れての戦いだったのですが、太子が執政就任後はそうはなりませんでした。
奈良盆地を中心に、太子は関西近隣に盛んに仏閣を建立しますが、全国的にはまだ、古来からの鳥居の立つ神社が圧倒的に主流でした。
これを地図上で説明すれば、奈良盆地という政治の中心は仏教となり、その日本の中心を、日本の神々がグルリと護る、外護する陣形となっています。


この経緯、つまり、なぜ太子が神道・・・つまり神社などのを温存したのかを示す史実を私は知りません。
つまり、太子の真意は・・・謎・・・なのですね。
史実がないならば、そこは歴史のミステリーハンター、つじつま合わせの歴史マジシャンである私の出番となります。(笑)

天皇制度の温存、そして当時の日本全国地図上の宗教勢力図を見る限り、国政の中身は仏教、そして対面的・対外的には古来の日本神道・・・という、二つの宗教の混成した形式となります。

とにもかくにも、これがその後の、日本人的価値観に大きな影響を与えたのですね。
これにより、他の価値観を受け入れ、消化(昇華)し、新たな価値を生み出すという日本人お得意の文明創造の基盤となるのです。

それが現代でも、
お正月には初詣(神道)
お盆とお彼岸には墓参り(仏教)
12月24日には、クリスマスイブを祝う(キリスト教)
お葬式はお寺(仏教)で、結婚式は教会(キリスト教)で・・・

という、日本人ならではの、宗教オールスター人生観に基づいた(笑)年中行事となっているはずです。

そしてこの、「文明を吸収し、さらに磨きをかけて発信する日本型文明」こそが、新たな日本の国体となったのです。
太子以降、日本はこういう国体を持ちますが、一時期明治時代に、廃仏毀釈運動などでこの太子型の国体が崩れました。
その国体の混乱が、その後の日本の不幸の、要因の一つであるとも思います。

さて、私のような凡人が推し量るのは、はなはだ僭越ではありますが、太子の真意を推し量るとするならば、

「結局、神道も仏教も同じ。」

ということなのではないでしょうか?

神道・・・というのは、かんならがのみち・・・です。つまり、神の道理であり、神とは何か・・・など、神の心を忖度(そんたく)する・・・という意味だと思うのです。

一方仏教は、悟りと求めます。
悟りとは、真理ですね。
真理とは要するに、どこから見ても、いつ見ても、誰が見ても正しいもの・・・と理解しております。
それをお釈迦様は、因果の理法・・・つまり、原因と結果、つまり科学的手法を用いて探求なさったのだと理解しております。

つまり、太陽は一つでも、それを認識する方法論の違いがあります。

太陽は一つでも、
ある人はその光を。
ある人は、その温かさを。
またある人は、その有用性を理解し、認識するでしょう。

神、または仏と言われる御存在も、それをたとえば、眼に見えぬ大宇宙の意思・・・とするならば、
それを認識し説明するのには、様々な方法論があって良いと思うのですね。

A・ニュートンや、A・アインシュタイン、日本の湯川秀樹博士など、大科学者は皆、宗派は違えど神仏を信じています。
本来の科学者もまた、お釈迦様やイエス・キリストのような、大宇宙の意思である神仏の探求者なのではないでしょうか?

神・仏は一つ、あるのは神道と仏教との、この世における宗教の違い・・・だと、
太子はご認識なさったからこそ、神道と仏教の両立という、政治的離れ業に繋がったのではないでしょうか?

日本の歴史上のこの実例は、宗教戦争に苦しむ世界の救いになると私は考えいるのです。
この太子の思想と、それに基づく政治判断こそが、これからの世界には絶対に必要だと思います。

だとすれば、現代の日本の責任は重いです。
もっと世界に向けて、強いメッセージを発信できるだけの、強い責任力を持たなければならないからです。

世間虚仮、唯仏是真 (せけんこけ ゆいぶつぜしん この世界は仮のものであり、ただ仏こそ真なのだ)
という、聖徳太子の遺言から、私なりに推測した次第であります。