土佐のくじら(幸福うさぎ丸)です。
前回記事に続き、江戸時代についての考察です。
江戸時代は250年以上続きましたので、日本人の性格形成に多大な影響を与えたはずです。
もちろん、これだけ長く戦闘を経験しない歴史を有していることや、また各種文化、特に、一般庶民の文化発祥も、この時期であることから、日本の一大期を築いた、誇るべき時代でもあることは事実です。
それはまた後述することにし、この時期の中心概念である、統治主義的天下布武=「絶対に戦国時代に戻さない政策」は、
戦後の日本の、「もう戦争をしない。」という理念に結びついていて、現代日本は江戸時代と同様の、様々なネガティブな一面を抱えていると私は考えます。
それが前回記事で頂いたコメントのように、日本人のお上に対する考え方や、世界で最も成功した社会主義国家とも言われる所以に繋がっているはずです。
ともあれ、現代日本の先の敗戦から出された、「平和」を中心とした概念での国家運営と国民支配が、江戸時代の統治主義的天下布武社会と同様のDNAで構成しているものであるならば、現代日本は江戸時代と同様の問題点を持ち、江戸時代と同様の国民の苦しみがあり、そして同様の終わり方をするはずです。
同じ原因からは、同じ結果が生まれるからです。
これは、仏教的見解から来る真理でもあり、それは同時に科学的歴史論でもあります。
ですから現代日本人は、江戸時代の持つ、その遺伝子そのものを克服しない限り、江戸時代のネガティブからは抜け出せないと私は考えます。
そういう点で、中国や韓国政府が言うように、「日本人は、歴史を見直さなければならない」のです。
これが真なる、歴史の反省です。
反省とは、懺悔することではありません。
反省とは読んで時の如く、ふりかえりみてかえりみること・・・です。
ふりかえりみてかえりみた結果、謝るべきものがあり、謝らなければならない対象があれば、謝ればよろしいのであって、
多くの方々が描いているような、反省=謝罪という理念は、
かつてニホンザルがキャラクターを演じていた、栄養ドリンクのCMの影響かも知れません(笑)。
繰り返しますが、反省とは、ふりかえりみてかえりみることです。
そしてそれを、原因結果の法則で分析し、問題点を抽出し、有効な解決策を見出してこそ、文明人であると私は考えます。
言葉は悪いかも知れませんが、反省=懺悔ならば、サルでもできるということです。
こういう本来の反省のプロセスは、古来より日本では、仏教的な修行の一面でありました。
仏教の根本は、因果の理法・・・つまり、原因と結果の理論ですから、原因と結果を重んずる現代科学と同じなのです。
2500年前の大宗教家仏陀釈尊と、現代人がたどり着いた、一般的な科学的見識とは同じものなのです。
つまり、本物の宗教的論理と、科学的論理とは本質は同じなのですね。
いたずらな、江戸時代的事なかれ主義に基づいた謝罪外交などは、こういった科学的歴史観、文明的な歴史観、仏教的論理に基づく歴史観とは無縁の、
【無明の姿】 でしかないのです。
現代日本人は一早くこの、現代に残る江戸時代の精神的遺物に、気づかなければならないと思います。
それは、徳川家康の政治指針である、統治主義的天下布武政策から来ており、それは別名では、【 絶対平和主義 】とも言えるけれども、
それは同時に、個人の自由を著しく制限し、社会の正義や発展を、統治者の思惑によって制限できる、大義名分ともつながっていることにです。
それは今、日本の弱腰外交のみならず、国内の各種各業界での多大な規制や、先の消費増税法案に見られたような、好景気潰し=役人の生活を守る口実からくる増税政策などに、すでに現れているのです。
この日本歴史の、精神的鎖から日本人が逃れない限りは、日本の将来は、江戸時代的停滞社会から抜け出すことはなく、江戸時代的衰退社会として終焉を迎えることを、私は一歴史愛好家として警告いたします。
(続く)