土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

日本だけが、原発をやめても無駄です。

2013-10-08 10:44:37 | エネルギー問題

土佐のくじらです。

福島第1原発の冷却水漏洩から、にわかに原発停止論が再燃しております。
しかし事故の処理の問題と、国家の基幹根幹であるエネルギー問題とは、分けて考える必要があります。

先の戦争が、「石油の一滴は血の一滴」と言って始まったように、エネルギー問題を軽んじると、戦争の引き金になることを、重々承知していないといけません。

それに、日本だけが原発をやめても無駄です。
なぜなら、お隣の韓国や中国では、今後大幅な原発推進をするからです。

日本は脱原発するならば、中韓両国と歩調を合わせなければ無駄です。
中韓の原発で事故があったら、放射線物質は偏西風で日本に来ます。

ですから日本は、新たな防御策を講じ、安全性を高める施策を提示し、実施して世界に定着させるることです。

原発施設の外周を強固にすれば、放射線は遮蔽(しゃへい)できます。
それは、レントゲンを使う病院などでは、一般的に行われていることです。
放射線は光ですから、さえぎることができるのです。

放射線は光ですから、原子炉を地下水で冷却できるレベルにまで小型化し、地下や山中で発電しても良いのです。
分厚い土を、放射線は通過することはできません。

原子力空母や原潜用の、原理力エンジンが既に存在しますから、原発の小型化は、完全な実用技術です。
そしてその新技術、新思考を、今後海外のエネルギー施策に、日本は世界に普及させて行くべきです。

そういう姿勢こそが、福島での原発事故の教訓を、真に生かした、文明的な選択なのではないでしょうか?

脱原発を決めたドイツでは、電気料金が最大4倍にもなり、産業を圧迫し始めています。
このままではドイツは凋落し、結果、ヨーロッパも沈むでしょう。

しかし、ドイツのすぐ近くのフランスや、ポーランドでは原発を推進しています。
もしもフランスやポーランドで事故があれば、ドイツも被害を受ける距離です。

ドイツ国民の選択は、一時的、感情的なものであり、決して文明的なものではありません。
日本は、ドイツの真似をしてはいけません。

現在のところ、火力発電はエネルギーシェアでは、国内最大規模です。
火力の良いところは、
発電のON・OFFがやりやすいところ。
発電施設を作る場所を選ぶ必要のないところ。
施設を造る際の、初期投資が少なくてすむところですね。

ですから、ON・OFFのやりにくい原発を主軸にし、火力で全体の発電量を調整していました。
ですから、日本の火力発電所の全てが、日々発電していた訳ではないのです。

一方欠点は、まず発電に必要な石油資源を、完全に輸入に頼っているところ。
そしてもう一つ、これが意外と知られていないですが、欠点としては、とてもタチが悪いです。

それは、必ず、有毒成分を排出してしまうところです。
いわゆる排気ガスですけど、これを排出量ゼロにするのは、構造上不可能です。

一酸化炭素・炭化水素・硫化水素・窒素酸化物・ect・・・・主なものはこれですけど、どれもこれも猛毒です。

原子力発電で発生する放射能は、封じることができますが、排気ガスにはそれができません。
なぜなら、排気しないと、火が燃えないかからです。

脱硫装置や、各種触媒装置の普及で、かなり毒物を除去、無毒化しておりますし、最新のガスタービン火力発電(ジェットエンジン)による発電は、かなり高効率で窒素酸化物も、かなり出さないようにはなっております。
しかし、全原子炉停止状態の今は、古い発電機を使わざるを得ないのですね。

燃料を燃やすことで、必然的に排出する有毒成分は、直接、そして即座に、人体に影響を与えます。
火力発電所は、人口の密集地に多く存在いたします。
それが、どのような影響を与えているか、マスメディアは調査しているのでしょうか?

火を燃やして発生させた、蒸気で発電機を回すだけの火力発電の構造は簡単ですが、この排出ガス管理には膨大なコストと、厳密な管理技術が必要です。
また、古い火力発電を使用せざるを得ない状況下において、発電機の故障も頻繁化しております。

私が子供の頃、昭和40年代は、都会では非常に大気汚染がひどく、よく、”光化学スモッグ”という言葉がニュースかで言っておりました。
今はほとんど聞くことはなくなりましたが、これは自動車の排出ガス技術にみならず、脱石油社会を目指して、延々と努力を積み重ねてきた結果なのです。

火力発電の発電量は、原子力には遠く及びません。
ですから今、かつて停止休業していた火力発電機能を、フル回転して対応しております。

このままでは、過去の大気汚染の時代に、社会が逆戻りする可能性が高いです。
いくら排気ガス管理技術が高くなっていても、排出ゼロが不可能ならば、母数が増えれば、大気中の汚染を防ぎきることは不可能です。

都市型のゼンソクや光化学スモッグによる被害、そして新手のアレルギー症状、部屋を閉め切ることによる、結核などの呼吸器系感染症・・・などなどが、ニュースで報じられるようになると、私は予想いたします。
昭和40年代よりも、排ガス制御は格段に進んでいますが、必要エネルギーも、桁違いに多くなっているからです。

漫画や映画 ”3丁目の夕日” の時代。
この頃の時代に、ノスタルジックな感傷を抱く方も多いでしょうけど、その実態は、大気汚染にまみれた環境で、貧しく生きていた、かつての日本人の姿でもあるのです。

エネルギーの輸入依存の国家体質は、今も昔も変わっておりませんから、国防上のリスクや負担も当然のように増えます。
いずれにしても、この日本の40年間あまりの努力は、この石油に依存する社会からの脱却が目的であったことを、再度思い知らされることになるだろうと思います。

要は、それだけ火力発電社会、そして石油依存型社会というのは良くない・・・という、歴史的事実があるということです。