土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

悲しみのとき

2013-10-01 20:18:10 | くじらの詩(うた)

   

人には 時おり 悲しみの ときがある

悲しみはつらく 永遠の闇を 耐えているようだ

悲しみは 誰もが 避たいものだ

しかし もし人に 悲しみときなくば 

人はこころ乾き 潤いをなくすだろう

悲しみのときを 耐えよ

時おり 雨が降り 大地を 潤すからこそ

豊かな実りは 約束されるものだ

雨は かならず止む 
 
日の光さす そのときまで 

悲しみを忍び  耐えて 心を潤そう

悲しみの雨を 豊かな実りに変え 多くの命を 養うために
 
悲しみの中でしか  その慟哭の 涙の中でしか 見えないものがある

そのときに 垣間見る  やさしく暖かく 懐かしい 光
 
それが 神のまなざしだ

誇り高き 大和の国の人々よ 今こそ我々は 神を知るときだ


消費増税論は、独裁国家日本への道。

2013-10-01 09:42:33 | 増税亡国論

土佐のくじらです。

さて月が替わり、10月になりました。
安倍首相が来年4月に予定されている、消費増税を実施するかしないかの決断をするのが本日・・・と言われております。

本日・・・と言われているのも、マスメディア報道からの情報ですので、まだ先かも知れません。
また、各種新聞やテレビ報道では、「増税路線は決定事項」というムードで報じられていますが、9月時点で安倍首相は一言も言及していませんし、週刊誌等、新聞・テレビ以外のメディアでは、そういう報道はなされていません。

これは、財務省側からの、何か大手マスメディア向けに、エサか脅しによる支配が垣間見れる・・・という、歴史的な事実として観た方がよろしいです。

歴史は強い者が、その気になればいくらでも書ける・・・という、土佐のくじら流歴史史観の、現代的活用例でもございます。
ともあれ、その首相の言動に、今後も着目して参りたいと思います。

何はともあれ、正しい見解を持つには、正しい批判軸という物差しが必要です。
当ブログは、歴史を中心軸に記事にしてきたブログでございますが、ここ1ヶ月余りは、消費増税法案に絡めた現代日本の経済のあり方にも言及して参りました。

それはひとえに、正しい批判軸が大切だからです。
その批判軸さえ正しければ、将来は必ずその、正しい批判軸に終結するはずです。

正しさとは、それほど強いものです。
日本は、そして日本人は、必ずその正しさという価値観にたどり着き、最後は正しい選択ができる国家であり、国民であると私は信じているからです。

なぜそう思えるか。
それは私自信が、誇るべき歴史を持つ、日本国民の一人だからです。

その正しき批判軸の一つに、財政赤字の見方というものがあります。

財政赤字でない国家・・・というのは、実は独裁強権国家なのです。
政府が税金ばかり集め、国民に奉仕しない国家に、財政赤字など無縁であります。

社会保障と税の一体改革・・・と称して、政府は税金を集めようとしています。
しかし、社会保障と税の一体改革は不可能です。

社会保障は、とっくに破綻しております。
底の抜けたお風呂に、いくら水を注ぎ込んでも無駄なように、破産している社会保障に、いくら税金を投入しても無駄です。
別の方法しか、社会保障問題の解決の術はありません。

役人はそれを知っていて、税金を上げる口実として、社会保障の破綻を放置しているとしか思えませんね。

本来、社会保障費は、600兆円ほどの資金がなければならないのが、160兆円ほどしか残高がありません。
第1次安倍内閣の時に問題となった、消えた年金問題の本質は、実はここにあります。

社会保障というのは、加入者以外には支給されません。
ですから、これほどまで資金がなくなったのは、加入者がわからなくなったからではなく、何か別のものに使っています。
手っ取り早い財布として、社会保障費が既に使われていたはずです。

問題なのは、もしも社会保障と税の一体改革をやろうとすれば、その間は、

日本が政府が税金ばかり集め、国民に法しない国家になる ・・・ということです。

つまり、社会保障と税の一体改革という、一見崇高に見えるキャッチフレーズは、日本が増税による、独裁国家になろうとしている・・・
ということでもあるのです。

日本人は借金が嫌いです。
しかし、財政赤字を、余り嫌いすぎてもいけません。

最も貸しているのは、我々日本国民です。
政府は、国債返済が必要ならば、もっと国民を稼がせて、税収を十分に上げて払いなさい。

日本国民が国債を買っている・・・つまり、日本国民は大株主ですから、政府はもっと、株主である国民を、稼がせるサービスを創出するべきです。