釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

米国の国債デフォルト危機再燃

2013-09-30 19:20:12 | 経済
今朝は雲が多く、青空がわずかに見える程度だった。昼前には空全体を雲が多い、周辺の山々には霧雲がかかり、小雨が降って来た。気温は20度までしか上がらなかった。職場の裏山にはシジュウカラとヤマガラの群れがやって来ていた。同じカラ類なので、さえずりは共通で、互いに通じ合うようだ。共に行動する姿を良く見る。昼休みに所用で出かけた際に甲子川沿いを通ると、川沿いに秋明菊が咲いていた。白の一重のものと赤紫の八重のものと二種類が並んで咲いていた。霧雨が降っていて、雨滴が付いていた。川沿いの紫陽花はほとんどもう終わりかけている。浜茄子の赤い実もたくさん付いていた。 今日の東京の株式市場は一時、330円を超えて日経平均株価を下げ、結局終値は心理的節目の1万4500円を割って、1万4455円80銭で終わった。為替も1ヶ月ぶりに1ドル97円台の円高に振れた。米国の10月から開始される2014年度の予算が現在も成立していないことが懸念されたためだ。米国の議会は上院が民主党、下院が共和党がそれぞれ優勢で、いわゆる「ねじれ」の状態になっており、民主党のオバマ政権が出した予算案を共和党により拒否された。米国も財政赤字に窮しており、国債の発行で繕って来た。しかし、米国の場合は法律で財政赤字の上限が決められており、すでにオバマ政権では16兆7000億ドルという上限に達してしまっている。同政権は対する共和党にこの上限の引き上げを要求しているが、政府の介入を極力少なくして小さな政府で、自由な民間活動を基本とする共和党は今以上の財政赤字の拡大に強く反対している。大統領のオバマは公約で国の健康保険制度の拡充、いわゆる「オバマケア」を掲げて来た。しかし、29日、下院はオバマケアである医療保険改革法の1年延期を盛り込んだ2014年会計年度暫定予算案の再修正案を賛成多数で可決した。これに対し、上院では多数を占めるオバマの民主党はハリー・リード院内総務の声明で「「下院案(共和党の暫定予算案)は30日に上院で確実に否決する」と述べている。要するに米国の10月から始まるべき2014年度の会計予算が決らない状態になる。これまでオバマ政権は政府の資金が逼迫しているため、公的年金の支払いを遅らせることで、窮状を凌いで来た。議会の予算事務局は、10月末までに、米政府の資金が尽きると予測している。資金が尽きれば連邦政府の公務員の給料の不払い、公的年金や社会保障の停止、教育行政の遅滞、国立公園の閉鎖などの問題を生じるだけでなく、米国債の利払いの停止、いわゆる政府債務の不履行、デフォルトを生じることになる。こうなると米国の国債への信用は失墜し、国債の金利は急騰する。信用のおけない国債は金利をせめて高く上げなければ購入しようとする人はいなくなるからだ。国債の金利が急騰すれば、市中銀行の金利も上げざるを得なくなる。金利の高い方へ人々は手持ち資金を回そうとするからだ。市中銀行の金利が上がれば、投資のために資金を銀行からは借り入れしづらくなり、経済は停滞する。生産も縮小されるため、物の供給が減少し、物価も上昇する。さらにはデフォルトを起こした米国への信認が落ちて、ドルの価値も下がる。ドル安円高が一挙に進むことになる。米国債を大量に購入して来た日本も大きな損失を被ることになる。中国も同様だ。これまでも米議会では両党の対立の中で、ぎりぎりの段階で、その都度とりあえず現実的に四半期分の暫定予算のみを可決して急場を凌いで来た。しかし今回、米国債がデフォルトされた場合に保険金が支払われるという保険であるCDS(Credit default swap)の価格、つまりは保険料が1週間で6倍にも跳ね上がっており、市場はこれまで以上に米国債のデフォルトを懸念している(こんなことまで金融界では商品になる。バクチと何ら変わらない)。
甲子川沿いの霧雨に濡れた八重の秋明菊

北上市の白山神社

2013-09-29 19:15:10 | 歴史
朝は青空も見えていたが雲が多かった。その後は少しずつ青空が広がり、気温も25度まで上がった。夕方5時半頃には薄暗くなり、コウモリが飛んでいた。そんな中で、また鹿の鳴く声を聞くと、物悲しく聞こえて来た。 昨日は仕事に関連して研修を受けに北上市へ行った。花巻ー釜石間を結ぶ釜石自動車道は釜石と秋田を結ぶ東北横断道となる。釜石自動車道は今のところ遠野区間のみが欠けている。遠野の東端と釜石、遠野の西端と花巻はそれぞれ開通した。従って北上市へ行くのにもこの開通している部分を利用すると以前に比べて北上市へ行くのが便利にはなった。遠野の西端の宮守ICから江刺田瀬ICまで自動車道を利用し、江刺田瀬ICからは国道107号線を走れば北上市へ至る。北上市へはこれまでも何度か行っているが、昨日あらためて風景を楽しみながら時間の余裕を持って車を走らせた。北上市は市内を流れる北上川に沿ったかなり広い平野部に展開されており、周辺部は遠野のようなのどかさがある。稲刈りも進んでいて、独特の稲の天日干しをしている。稲架(はぜ)は遠野とも異なっている。田園では遠野と同じく煙がたなびいていた。北上市は人口9万余りで、新幹線や東北自動車道、秋田自動車道などが通過しているため、流通の拠点としての性格が強く、200社近い企業が誘致されており、その上、専門学校や岩手大学工学系大学院の一部あったりして学生の数も比較的多いようだ。イオンなどの大型店舗もいくつか出ている。研修が行なわれた集合オフィスビルにはかなり早く着いたので、秋の日射しと気持ちのいい風を受けながら周辺をのんびり歩いた。このビルの裏手に道を挟んで反対側に少し高くなった森があり、旧白山神社とあった。時間があるので、行ってみると階段横に立て札があり、その森の史跡について書かれてあった。奥州安倍氏や奥州藤原氏が滅んだ後、鎌倉御家人を祖とする和賀氏の支配下に入り、ここには高前壇館(たかまえだんたて)が築かれていたとある。そして古くから祭祀が行なわれて来た場所であるとも書かれていた。階段をゆっくり上がっているとたくさんのドングリが落ちていた。小山の上には石像と樹齢200年と書かれた杉の神木があり、近くには桜の巨樹もある。しかし、建物はまったく見られない。ここには元は白山神社があったようだ。現在は少し離れたとこに移転されている。白山信仰は古くから伝わり、現在も本社は石川県の白山比咩神社で、末社は白山を望む石川県、新潟県、愛知県、岐阜県に多い。ところで、『和田家文書』では、東北中心に荒覇吐王国(あらはばきおうこく)を築いた安日彦、長髄彦兄弟の祖は阿毎氏で、「山靼より満達、朝鮮を経て越州にたどりて加賀の犀川に居住し、白山神三輪大神を祀り」とあり、モンゴル方面から中国に出て、天山天池信仰を持ち、さらに朝鮮の白頭山の天池信仰として伝え、加賀の犀川で白山神三輪大神を祀った。その後、阿毎氏は「耶靡堆」に移り、「地の三輪山に」「加賀の犀川に祀りき三輪山大神を移鎮」した。「故事をたどりては、祖の山靼に祀りき無流波旡(ぶるはん)神、即ち荒覇吐(あらはばき)神を祀りたるもの」だと言う。また「女神を出雲に、男神を耶靡堆に祀りきを西に西王母、東に東王父を地聖選定に依りて祀るを故事正伝とせる」とある。白山信仰の由来が記されている。奈良県桜井市にある三輪明神大神神社(みわみょうじんおおみわじんじゃ)は三輪山自体を御神体としている。白山比咩神社もかっては白山自体が御神体であった。
北上市郊外の田園

四国や遠野とも異なる稲架(はぜ)

白山神社や高前壇館のあった小高い森の道

正面少し右寄りの神木の杉の木と左手の桜の老樹

神木そばの石像 鹿に乗る女性が描かれている 白山比咩(はくさんひめ)か?


取り調べの可視化

2013-09-28 19:16:01 | 社会
今朝の気温は昨日よりさらに1度下がった。日中の気温はほぼ昨日と同じだ。薄い白雲が流れるいい秋日和となった。昨夜も近くで鹿が鳴いていたが、今年は山の実りが悪いようで、ドングリなどがずっと少なく、そのため鹿や熊が里近くへ下りて来るようだ。少し前に遠野へ言った際には久しぶりに日本カモシカを見た。同じ遠野ではタヌキが道路で轢かれているのも見た。東北は北海道と違って、キツネよりタヌキの方がよく轢かれている。 日本の歴史の中で265年間続いた江戸時代は現代の日本人にも大きな影響を与えている。特に、精神、思想の面では江戸時代の幕府統治理念の根幹となった儒教、主に朱子学は明治以後も敗戦まで日本人の精神、思想の底流に流れて来た。中でも忠義は上意下達の構造を支える基本であった。明治以来の官尊民卑も根源はそこにある。戦後、占領国である米国が進駐して来たことから、以後は民間では米国にならった文化が取り入れられて来た。しかし、官では、共産主義の浸透を恐れた占領軍の「改革」が中途半端になったため、実質的に戦前と変わらないシステムが残された。従って、官では基本的に官尊民卑の思想はそのまま引き継がれ、今日に至っている。特に、警察、検察、裁判所と言った強力な権力を有する組織でそれが顕著である。自らの誤りを正す姿勢のないことを見れば明らかだ。警察や検察の不祥事が後を絶たず、冤罪がいつまでも続いている。現在、欧米だけでなく、オーストラリア、韓国、香港、台湾でもすでに取り調べの録画・録音が義務化されている。日本では2006年頃から取り調べの録画・録音による可視化が一部で試行されているが、取り調べの全過程の可視化は遅々として進んでいない。2009年に虚偽公文書作成で逮捕された厚生労働省元局長村木厚子氏が2010年無罪であることが確定すると、可視化への議論が高まった。氏は後に復職し、今年7月には官僚トップの厚生労働省事務次官に就任している。この事件では逆に証拠改竄の罪でその後事件を担当した検察特捜部主任検事や特捜部長、副部長が逮捕されている。2年ほど前から法務大臣の諮問機関である法制審議会の特別部会がこの可視化問題を検討しているが、全面的な可視化には極めて消極的であり、「裁判員裁判事件を念頭に置く」、「取調官の裁量に委ねる」の2案を軸にする。可視化の対象事件を制限し、可視化を行なうかどうかの裁量を取調官に委ねると言うのだ。取調官に委ねることは可視化の流れに逆行する。欧米やアジアの一部では取り調べに弁護士の立ち会いさえ認められている。警察や検察が可視化を嫌い、「密室」にこだわるのは、これまで司法においてあまりに自白が重視され、客観的な証拠がおろそかにされて来たためだ。裁判所も客観的な証拠が欠けていても自白があれば、それを根拠に裁定して来た。戦前から引き継ぐ司法の体質そのものである。今年の春、東京で花見に行こうと歩道を歩いていた52歳の男性が職務質問を受けた後、現行犯逮捕された。ニット帽にマスク、背にはリュックを背負った男性が執拗な制止を無視して歩いていると、追って来た警察官が転んだ。それを男性によって転ばされた、公務執行妨害として逮捕された。131日もの拘留で精神的にも落ち込んでしまったようだ。裁判官は複数の警察官の証言を採用し、有罪とし、40万円の罰金が課された。男性はただ職務質問をしようとする警察官の態度に腹を立てていた。無視して立ち去ろうとしただけであった。警察や検察は一度逮捕すると決して自分たちの誤りを認めようとはしない。何としても有罪に持ち込むために画策する。十分な証拠を集めることもしないで自白を迫る。密室や長時間の拘留は強靭な精神を打ち砕いてしまう。弁護士との接見も警察や検察の裁量となる。孤立には長くは耐えられない。そこに冤罪の温床がある。
秋の日射しを受ける黄花コスモス

「権力・繁栄・貧困の起源」

2013-09-27 19:20:10 | 社会
昨夕、もう山の端に日が落ちて、黒い山のシルエットが浮かぶ中、わずかに明るさの残る西の空に金星が一つ輝いていた。最近は毎晩のように鹿が鳴く。冷たくなって来た夜気の中でよく響く。今朝は雲一つ見えない晴れ上がった空で、気温は11度であった。出勤後、遠野から来ておられる方に聞くと、遠野はわずか6度だったそうだ。盆地で、さらに放射冷却が加わったためだろう。以前いた北海道道東の内陸ではさすがに2度になっていた。昼には22度まで上がった。東京や四国でももう30度は切って来ている。 51歳の現役経済産業省官僚が匿名の自分のブログで暴言を書き込んでいたことが発覚し、ネット上で話題になっている。「探偵ファイル」がこの暴言を載せ、その後各メディアでも取り上げられている。現在はすでに記事内容が削除されているが「コロンとパパのにゃぁ」と題するブログで、震災後の2011年9月には「復興増税。パパ的には、財政規律を保つことを重視する。 しかし、そもそも、復興費用11億円って誰がどうやって、きめたのさ? もともと、ほぼ滅んでいた東北のリアス式の過疎地で 定年どころか、年金支給年齢をとっくに超えた じじぃとばばぁが、既得権益の漁業権をむさぼるために そいつらの港や堤防を作るために そいつらが移住をごめるためにかかる費用を 未来のこともたちを抱えた日本中の人々から ふんだくり、綺麗事をいうせいじ。 増税の是非ではなく パパは 復興は不要だ と正論を言わない政治家は死ねばいいのにと思う 」と書き込んでいた。他にも古からの野球人や一般の高齢者に対し、早く死ねばいい、と言うような発言あり、自家の犬に対してストレス解消のための虐待めいたことをして、その写真まで掲載していたりした。経済産業省や防衛省で課長職を務めた後、2015年に開催予定のミラノ国際博覧会日本政府代表となり、本年7月18日にイタリア大使館で催された日本政府の参加契約調印式では「イタリアのスローフードに通じる、栄養バランスが整った日本食文化の特長を世界に広めたい」と語っている。官僚としての表の顔と匿名ブログでの本音の顔とが大きくかけ離れていた。政治家は暴言がしばしばメディアに載るが、官僚はしたたかで、今回のような発覚は珍しい。しかし、これはあくまで氷山の一角だろう。政治家も官僚も視線は地方や弱者には向いていない。日本では明治維新以来官主導の国家運営が主体となって来た。当然、官僚たちの役割は大きくなる。現代は何より情報を如何に早く、多くを掴むかが重要だ。政治家よりはるかに官僚たちがその情報を多く握っている。その情報は官僚の裁量でどれだけどこへ流すか決められる。政治家はそれによっていわば操られる。日本を動かすのは自分たちだと言う密かな自負を持って行動する彼らは責任を問われることがないため、モラルの低下に徐々に蝕まれて行く。『国家はなぜ衰退するのか 権力・繁栄・貧困の起源』では、国家の衰退の原因に自由で民主的な制度の欠如を上げている。米国などでは政権が変われば官僚も交替がある。しかし、日本の官僚制度には開放性がなく、一度官僚となると、ミスさえなければ順調に昇格し、一定年齢になれば天下って行く。今回の官僚もブログに「「あましたりまであと3年、がんばろっと」と書き込んでいる。開放性の欠如した組織はいずれ衰退、腐敗して行く。日本の現在の問題はこうした中枢の衰退傾向だ。少子高齢という未踏の問題を前にしながら、その対応を図るべき中枢が衰退して来ている。この根源はさらに言えば、大学の衰退にあるだろう。大学と言う研究機関の閉鎖性が単に研究レベルの問題だけでなくモラルの低下をももたらしている。画一的な教育を脱し、開放的な大学の在り方が今の日本には求められている。上記の書籍こそ日本の中枢にいる人たちに読んでもらいたいものだ。
気持ちのいい秋日和の甲子川河畔

遺跡に残る「破局噴火」の痕

2013-09-26 19:17:53 | 自然
今日午前中は曇りで、昼頃から内陸方向から青空が広がって来た。しかし、気温は20度までしか上がらなかった。白雲の流れを見ていると、高い雲は北に流れ、低い雲は南に向けて流れていた。上空で気流の対流があったのだろうか。朝、関連施設の敷地にホトトギスが咲き始めたのに気付いた。我が家の庭では1輪だけ咲き始めの紫陽花があるのに気付いた。職場の裏山では変わらず百日紅がきれいに咲いている。平泉の毛越寺では萩まつりが行なわれている。街路樹のナナカマドもすっかり色付き、目立つようになって来た。今日は日射しの出て来た午後になりようやくセミが鳴くようになった。 釜石市の隣の遠野市では2007年に金取遺跡で中期旧石器時代に属する9万年前の石器が発掘されたと発表された。そして、今年6月には島根県出雲市の砂原遺跡で発掘された石器は11万~12万年前のものであると修正された。「考古学の研究であまり試みられなかった地質学の手法も組み合わせて、年代を特定」したものだ。欧米では考古学、人類学、地質学などで横断的な交流が普通に行なわれているが、日本は閉鎖的で、特に、考古学分野での年代測定に科学的手法が導入されて来なかった。いずれの遺跡も火山灰の堆積層が年代の決め手になっている。遠野の金取遺跡では8万7000年前の阿蘇山のカルデラ噴火の際の火山灰が堆積していた。阿蘇山周囲には屈斜路湖に次ぐ直径20Kmの巨大な窪地、カルデラが形成されている。阿蘇山と呼ばれているのはその中心部の隆起部である。カルデラの中には現在1100万人が住んでいる。このカルデラは8万7000年前に起きた「破局噴火」と呼ばれる超巨大噴火により形成された。この噴火では高速の火砕流が九州全土を越え山口県まで達しており、九州に住んでいた旧石器人は絶滅したと考えられている。火山灰は遠く北海道にまで達している。日照時間や気温にも大きな変動があった。日本ではこうした破局噴火と呼ばれる超巨大噴火が過去12万年間に18回起きており、数千年に一度起きていることになる。世界でも数百年に一度くらいに起きている。7300年前に九州の南、屋久島近くの海中で起きた鬼界カルデラを創り出した噴火も南九州の縄文人たちを壊滅状態に追い込んだ。この噴火の後、日本では破局噴火が起きていない。10世紀に起きた白頭山の破局噴火では渤海国の滅亡に繋がったと言われる。米国でもイエローストーン国立公園が60万年周期で破局噴火を繰り返しており、最後の噴火が64万年前なので、やはりいつ起きてもおかしくない状態になっている。日本では破局噴火は北海道と九州に多いが本州でも十和田湖(青森・秋田)、御岳山(長野・岐阜)、大山(鳥取)、三瓶山(島根)などで起きている。通常の火山噴火では地下のマグマに圧力がかかって噴火に至るが、破局噴火ではマグマの中に混入したガスがマグマに圧力がかかっている間はその中に閉じ込められているが、何らかの原因でむしろマグマへの圧力が減少した時にガスが一気に膨張して超巨大噴火をもたらす。時には文化や文明まで滅ぼしてしまうほどの噴火である。
色付いた街路樹のナナカマドの実

低価格製品にシフトし始めたスマートフォン

2013-09-25 19:17:38 | 経済
釜石へ来てからまだ一度も八幡平へは行っていない。ちょうど今頃から来月始めにかけてが、紅葉の見頃だ。しかし、八幡平の短い秋を見るためには天候と休日のタイミングがうまく合ってくれなければいけない。職場仲間で今秋は八幡平へ行ってみようという話が持ち上がったが、その中心になる方の身内で病人が出たため、流れてしまった。今秋も来月の釜石近辺の紅葉を楽しむことになりそうだ。 元々理系であった親しい友人が以前からアップル社のマッキントッシュと言われていたパソコンを薦めてくれていたが、16年ほど前にようやく踏ん切りをつけて、そのパソコンを購入し、パソコンを日常的に使うようになった。世間ではウィンドウズが圧倒的に使われていた。子供たちの必要でウィンドウズパソコンも購入し、使い比べてみたが、普段のパソコンでの処理も不具合を修正するにも明らかにマッキントッシュの方が簡単であった。言ってみれば、ウィンドウズは官僚的と言うか、ユーザーがパソコンに合わせなければならなかった。一方のマッキントッシュはユーザーがパソコンを使って自由に処理を行なえる、と言った違いがあった。アップル社のカリスマ的存在であったスティーブ・ジョブスは常に最先端の技術を使って、デザインを含めた革新的な製品に挑戦し続けて来た。当然ながら価格設定も高いものになった。1979年の自動車電話に始まった携帯電話は90年代に本格的に軽量化が進められ、2007年からは第三世代と呼ばれた携帯電話が普及し始めた。そして、同じ年、アップル社はパソコンと変わらない機能を持ったスマートフォン、iPhoneを市場に出した。iPhoneは瞬く間に世界で受け入れられ、世界のトップの座に着いた。しかし、2011年にはスマートフォンの出荷台数ではアップル社は韓国のサムスンに並び、2012年にサムスンがトップに躍り出た。スマートフォンの普及で、それまで携帯電話市場でトップに立っていたフィンランドのノキアが今月2日にマイクロソフトに売却されるまでに追い込まれてしまった。現在もスマートフォンの出荷台数は伸び続けているが、次第に低価格製品を出す中国のLenovo、Huawei、ZTE、Coolpadや韓国のLG Electronicsなどがシェアを伸ばして来ている。つまり、スマートフォンの世界で急速に低価格化が進んで来ている。先頃、アップル社は新製品であるiPhone 5sとiPhone 5cを発表したが、新製品を発表したにもかかわらず、アップル社の株価は急落した。2011年10月にスティーブ・ジョブスを亡くしたアップル社はそれまでジョブスが挑んで来た革新性を棄て、利益重視に転換してしまった。低価格製品が売れる中国やインド市場を狙ってiPhone 5cと言う低付加価値だが価格は安い製品を出して来た。市場はそのアップル社の姿勢に期待が裏切られてしまった。韓国のサムスンにしても自らは技術開発は行なわず、技術を買うことで製品を創り出して来た。そのサムスンにとっても今後の中国のメーカーは脅威となっている。さらにアップルやサムスンはマイクロソフト、グーグルとの四つ巴の訴訟合戦に晒されている。家電製品以上にIT製品はサイクルが早く、どのメーカーも厳しい競争に立ち向かわねばならない。高付加価値、高価格で業績を伸ばして来たアップル社も低付加価値、低価格への転換がアップル社らしさ、つまり、革新性を失わせることに繋がりかねない。そして、低価格製品の出現はこの分野の大きな利潤獲得がすでに期待出来ないことを表しており、アップル社だけでなく、これら大手企業は新たな高付加価値の新製品分野を開拓出来なければ厳しい状況に追い込まれて行くことになるだろう。
近づいて来ている秋の色

核兵器事故

2013-09-24 19:19:36 | 社会
今日はよく晴れて、気温は26度まで上がった。しかし、昼休みに外へ出て、少し歩いても汗はかかなかった。もう秋風が吹いているので、日射しの中を歩いても汗が出るほど暑くはない。職場近辺のあちこちで赤トンボの飛ぶ姿を見るようになった。路上を低く飛ぶものもあれば、裏山の中腹を高く飛ぶものもいる。その裏山では百日紅の花が周りの緑の中で目立っている。薬師公園入口の紫陽花もさすがにもう終わりかけている。 去る19日、福島第一原発を視察した首相は、東京電力に対し、すでに廃炉が決っている1~4号機だけでなく、運転停止中の5号機、6号機も廃炉にするよう要請している。漏出した汚染水の処理や使用済み核燃料の処理など問題は山積みで、費用や時間は見当がついていない。「核」の事故は一旦起きれば途方もない物となる。21日にはNHKなども報じたが、20日付け英紙ガーディアンは、1961年1月23日に米国南部ノースカロライナ州ゴールズボロ上空で核兵器搭載の爆撃機B52が墜落し、2発の水素爆弾がゴールズボロ郊外の牧草地に落下した事故があったことを伝えている。機密指定を解かれた米国公文書を米国のジャーナリスト、エリック・シュローサー氏が調査したものだ。事故の報告書は事故から8年後に、サンディア国立研究所の核兵器を担当する研究員が作成した。事故自体は当時一般にも知られていたが、詳しい内容は機密事項として知らされることはなかった。今回公開された報告書によれば、爆弾の1つは、落下時の衝撃などで4つある安全装置のうち3つが解除され、最後に残された「低電圧の単純な構造のスイッチ」のみが起爆を止めた。この爆弾はTNT火薬で400万トン相当のもので、1945年8月6日に広島へ投下された原爆の260倍の威力があった。爆発していれば首都ワシントンやフィラデルフィア、ニューヨークなどの東海岸の大都市に被害が及び、数百万人の生命が危険にさらされた、とガーディアンは報じている。シュローサー氏は、50~68年の間だけでも核兵器に絡む「重大な事故」は、少なくとも700件起きていることも公文書から明らかにしている。同氏はガーディアンに「我々は核兵器が事故で爆発する可能性はないと言われてきたが、これは本当に事故寸前だった」と語っている。この事故はケネディ大統領が就任して3日後に起きている。米国では重大な核兵器事故を暗号名で「ブロークン・アロー(折れた矢)」と名付けられている。1965年12月5日ベトナム戦争の作戦区域から休暇のため横須賀に向け航行中の米国空母「タイコンデロガ」が、沖縄沖で格納庫から飛行甲板に機体移動中、誤って水爆B43を1個搭載したA4Eスカイホーク1機を転落、水没させた。沖永良部島の東約300kmの水深4800mの海域で水深が深いため現在まで回収はされていない。1966年1月17日にはスペインのパロマレスでB-52G戦略爆撃機が墜落し、落下した水素爆弾は1個は海上に落ち、3個が地上に落下した。地上の2個は核爆発はしなかったが、破損してプルトニウムやウランなどの放射性物質を飛散させた。2007年になりようやく放射線汚染の本格的な調査が行なわれた。スペイン政府は地表に放射性物質が漏れた9ヘクタールの土地にフェンスをめぐらせ、立ち入り禁止とした。1968年1月21日、4個の水素爆弾を搭載していたB52が、グリーンランドのバフィン湾上空で機内に火災が発生し、機体はデンマーク領グリーンランドのチューレ米空軍基地付近のノーススター湾に墜落した。核弾頭は破裂、飛散し、大規模な放射線汚染を引き起こした。基地で勤務し防護服無しで消火活動を行ったイヌイットやデンマーク人が被爆している。この他にも1980年代までで原子力潜水艦事故は米ソ両国で知られているものだけで12件ある。スウェーデンのストックホルム国際平和研究所(SIPRI)が出した「SIPRI Yearbook 2013」によれば、2013年1月時点での各国の核弾頭保有合計は概算で、17,270個にもなる。原発管理と同じく、核弾頭の管理も意外に杜撰である。2007年8月30日核爆弾を搭載した5基の新型巡行ミサイルを載せた一機のB-52爆撃機がノース・ダコタ州のマイノット空軍基地から、ルイジアナ州のバークスデール空軍基地まで米国上空を飛行した。米国国防省は、廃棄予定の巡航ミサイルを運ぶために飛行していたので、搭乗員らは核弾頭がミサイルに装着されているのに気付いていなかった、と発表している。この飛行前後2ヶ月以内に飛行に関わりのあった軍人6名が事故や死因不明で亡くなっていると言う。20歳から33歳までの軍人たちだ。
仲間たちから離れて羽根を休める赤トンボ

釜石の興隆

2013-09-23 19:12:07 | 歴史
今日も昨日と同じく雲の多い日となり、午後少しだけ日射しが射しただけで、気温もあまり上がらなかった。日中は21度までしか上がらず、半袖で動かないでいるとやや肌寒むかった。今日は久しぶりにイソヒヨドリがおきまりの高い所にやって来て、しばらく可愛い声でさえずっていた。イソヒヨドリはヒヨドリの名が付くが、ヒヨドリとは異なり、ツグミ科の鳥になる。イソヒヨドリはアフリカ、ユーラシア、インドネシアなどヒヨドリと違って広く分布する。しかし、日本以外では2000m以上の高山に棲息している。 今月17日、政府は釜石市の「橋野高炉跡」を含む「明治日本の産業革命遺産」を来年度の国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)世界遺産委員会への世界文化遺産推薦を正式に決定した。釜石市は「観光客が訪れるきっかけにもなり経済的効果もある。期待に応えられるよう万全の準備をし、県内外に周知を図る」とする。橋野高炉跡近くにはこの11月にインフォメーションセンターが完成される。従来から釜石市は1857年に大島高任が西洋式の高炉を築いたことから近代製鉄発祥の地として喧伝して来た。釜石市はまた、これまで実績のあった製鉄所のラグビーを一層興隆させるため日本での開催が決定されている2019年ラグビーワールドカップを釜石市に誘致しようと積極的に国に働きかけている。職場の市の役職もかねておられる同僚もこのために努力されておられる。いずれも最終的な決定が得られれば震災で大きな被害を受けた釜石市の復興に勢いがつくのは確かだろう。様々の補助金も釜石市へ下りて来るだろう。決れば、ラグビー場はほとんど更地で雑草が茂った状態になっている鵜住居地区に建設が予定されている。「橋野高炉跡」も「ラグビー」も釜石市にとって他に誇れるものであることは確かだ。これらの決定のために注がれる活動だけでも相当大変だろうと思う。しかし、一方で、相変わらず他力である姿勢が気になる。釜石市の近隣の市町村と比べても釜石市は自力での町おこしの姿勢が弱い。せめて「橋野高炉跡」や「ラグビー場建設」が自力の力を付ける踏み台になってくれればと思う。釜石市に限らず、東北は古来蝦夷(えみし)の地として中央から蔑まれ、その流れが近代以降も底流に流れて来た。しかし、一般には受け入れられていない「荒覇吐王国」や、また、それを引き継ぐ奥州安倍氏、奥州藤原氏の自立した東北の歴史がある。現代の歴史学や考古学の通説と矛盾する紀元前の稲作遺跡や5世紀の鉄の遺物なども明らかになっている。歴史学や考古学がかたくなに認めようとしない「九州王朝」の存在と同様に「東北王朝」もまた存在した。血脈で固定された王ではなく、選出された王と4人の副王による統治があり、釜石にも副王が分倉を置いていた時代があった。閉伊には王がいた時代もあった。東北の王朝の文化は東北に残る民俗、芸能、言語に遺残している。アイヌ文化とも異なる。我々が学んで来た歴史は勝者の歴史であり、東北や関東、九州、各地には隠れた敗者の歴史がある。東北の敗者の歴史が書かれていたのが『東日流外三郡誌』をはじめとする「和田家文書」である。作家の久慈力氏の言う「日之本文書」である。世には『ホツマツタヱ』、『九鬼文書』、『竹内文献』、『物部文書』など多種のいわゆる古史古伝が存在する。それらの真偽は明らかではないが、少なくとも「和田家文書」には語り部たちに伝承されて来た楔形文字に類似する「語印」により記録されて来た歴史が書かれている。三内丸山遺跡で発見された三段の高楼などもすでに「和田家文書」には書かれていた。化学の分野で著名ないくつかの業績を上げられた東北大学名誉教授の吉原賢二氏には「歴史書や系図を見ることの大好きな少年時代」があった。1990年代に母方の実家の歴史を調べているうちに、「新潟県弥彦神社の昭和8年頃の記録にアラハバキ門」を見出し、これと「前後して『東日流外三郡誌』を入手してアラハバキ信仰のことを知り強い衝撃を受け」られた。氏は折しも同書の偽書説が出ていたため、自分の専門に近い同書中の自然史部分を調べられた。著者の中心人物秋田孝季が1793年8月から36日間長崎で英人エドワード・トマスの自然史の講義を受けた、その講義内容なども調べておられる。そのためにオランダ大使館にまで連絡をとり、当時、エルプリンス号と言う船がオランダ領インドネシアのバタビアから長崎に入港し、1793年8月から10月まで長崎にいたことを突き止められた。生物の進化論の先駆的なものについては『種の起源』で有名なチャールス・ダーウィンの祖父のエラズマス・ダーウィンも唱えており、エドワード・トマスがその内容を秋田孝季らに当時の最先端の知識として講義した可能性が十分考えられるとされている。「和田家文書」には誤りも当然存在するが、「偽書」などではなく、東北の真の歴史を知る上でとても貴重な資料である。自立した東北の歴史があり、東北がそれを誇りとして現代に力強く立ち上がり、郷土のほんとうの興隆を成し遂げてもらいたいものだ。
中心部から色付き始めた来た庭の紫式部

ヒヨドリ

2013-09-22 19:17:43 | 自然
今日は昼過ぎまで雲の多い日であった。気温は23度まで上がって、昨日より低い。昨夜、家の外へ出てみると、空がまだ丸い月に明るく照らし出されていた。地上は近代以後は特に急速に変化したが、空の月はいつの時代も変わらず同じように地上に光を投げかけていた。日本にいた旧石器時代の人たちも、万葉の歌人たちも、同じような月を見ていたのだ。形を変える月を見て、不思議に思えただろう。神秘的な月に「神」の意志を見出し、満月の日に儀式を行ったりもしていた。丸い月を見ていると、浪漫をかき立ててくれる。 家の庭には毎日スズメとセキレイ、ヒヨドリがやって来る。いずれも日本には太古からいた鳥たちだ。この中でヒヨドリだけは渡りをやる。それも日本の中でだ。主に北海道から冬になると本州方面へ渡って来る。1年を通して暖かい地域では渡りをやらないで留鳥として過ごす。関門海峡や津軽海峡では春や秋には何千羽ものヒヨドリが海峡を越える。この時期にはこの集まったヒヨドリを狙ってハヤブサなどの猛禽類も集まって来る。この渡りはヒヨドリたちにとって命がけだ。猛禽類を避けて低空飛行することもあるため、波に飲まれるものも出て来る。兵庫県神戸市の一ノ谷は源義経の「ひよどり越え」で知られている。この谷のある山をヒヨドリたちが春と秋に越えて移動する。この一ノ谷に陣取る平家を討ち取るため、山上から義経は鹿が下るのであればと、急斜面を馬で駆け下りて、平家を討った。まさにヒヨドリたちと同じように山を越えて谷へ下った。万葉集や古今集では「呼子鳥」が詠われている。この鳥は一般的にはカッコウだと言われるが、ホトトギス、ツツドリの他にヒヨドリもその候補に上げられており、正確には分かっていないようだ。鏡王女の歌に「神奈備の伊波瀬の社の喚子鳥いたくな鳴きそわが恋益る」があり、志貴皇子の歌に「神名火の磐瀬の社のほととぎす毛無の岳にいつか来鳴かむ」がある。同じ「いわせのもり」であるところから、「呼(喚)子鳥」はホトトギスなのかも知れない。蛇足だが、「いわせのもり」はどこなのか同定されていないが「大和のどこかには違いない」とされている。どこだか分からないが大和は間違いないと決めてかかっている。『謡曲のなかの九州王朝』では古地図で「博多から西へ古代国道ぞいにあり」とされている。ヒヨドリも月と同じく旧石器の時代の人たちにもなじみのものだったろう。ヒヨドリは東アジアでも日本に最も多く分布している。
紫露草

吉浜

2013-09-21 19:42:07 | 文化
今日も晴れて日中は気温も30度近くに上がった。庭の酔芙蓉の蕾がいくつか出て来た。他の彼岸花の芽も少し伸びて来ている。庭に出ると、こうしてどの花かが目を出したり、蕾を膨らませて来ているの目にするのが楽しみだ。無精なので、さして手入れはしていない。水を遣ったり、栄養を補給する程度だ。それでも、植物たちは元気に育って、花を咲かせてくれる。その開いた花を見るのがまたとても楽しみだ。多くは古くから日本で咲いている花たちだ。釜石は気温が植物に合っているため、育ちがよく助かる。 釜石の南に隣接する大船渡市の中でも最も釜石に近い大船渡市三陸町吉浜の本郷地区は1896年の明治三陸大津波で甚大な被害を受けた。当時の吉浜村132戸中の87戸があり、そのうち36戸が流失、半壊し、死者、行方不明者は村の人口の2割にあたる約200人であった。村は村長が中心となり自力で被害を受けた全戸が高台へ移転した。しかし、1933年の昭和三陸大津波では本郷地区以外にも被害が発生し、流失11戸、全壊4戸、半壊1戸、死者、行方不明者は17人となった。行政が2年で高台移転地を造成し、移転が行なわれた。この結果、今回の大津波では全半壊4戸、犠牲者1人に留まることが出来た。毎回被害を受けて来た本郷地区は水田となっていたため、今回の津波でもその水田だけは大きな被害を受けた。本郷地区の海岸は砂浜が広がり、松林も砂浜に沿ってあった。この海岸で震災前にはサーフィンに興じる若者の姿も見られた。海抜20mほどの県道250号線沿いにある曹洞宗の正寿院は気仙大工の手になる寺で、境内には秋になるとたくさんの彼岸花が咲く。今年もそろそろその時期だと思い、正寿院へ出かけてみた。残念ながら彼岸花の芽は伸びて来ているが、花には少し早いようだった。正寿院の門前には明治三陸大津波の後建てられた「嗚呼惨哉海嘯(ああ さんなるかな かいしょう)」と書かれた石碑が建っている。近くの大船渡市越喜来にある円満寺にも同じ言葉が刻まれた石碑が建っている。海嘯は津波を指す。正寿院の近くには旧制盛岡中学三年の石川啄木がこの地で一泊していることを記念した「潮かおる 北の浜辺の 砂山の かの浜薔薇よ 今年も咲けるや」の歌碑が建っている。津波はこの歌碑のあたりまで襲って来た。啄木が歌った浜辺はもう消えてしまった。正寿院の前から海の方を見ると、前に広がる本郷地区全体で水田や防波堤の改修工事が盛んに行なわれていた。その広さを見ているだけで津波がいかに酷かったか、あらためて思い知らされた。それにしても、恐らく、釜石近辺ではここ吉浜の復興工事が最も進んでいるように思えた。三陸沿岸部を走る三陸鉄道の線路や駅の工事も着手されており、来年には大船渡市と釜石市の間が開通する予定だ。沿岸部を走っているため三陸鉄道も相当の被害を受けていた。乗客は極めて少ないが、それでも利用する人たちには開通すれば重宝するだろう。観光客もたまにはのんびりこうしたローカル線に乗ってみるのも三陸海岸を知る上でいいかも知れない。
気仙大工の手になる正寿院の山門と鐘楼

本堂そばのモミジが色付いて来ていた

正寿院の前に広がる本郷地区は防波堤や水田の改修が行なわれていた