釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

釜石の興隆

2013-09-23 19:12:07 | 歴史
今日も昨日と同じく雲の多い日となり、午後少しだけ日射しが射しただけで、気温もあまり上がらなかった。日中は21度までしか上がらず、半袖で動かないでいるとやや肌寒むかった。今日は久しぶりにイソヒヨドリがおきまりの高い所にやって来て、しばらく可愛い声でさえずっていた。イソヒヨドリはヒヨドリの名が付くが、ヒヨドリとは異なり、ツグミ科の鳥になる。イソヒヨドリはアフリカ、ユーラシア、インドネシアなどヒヨドリと違って広く分布する。しかし、日本以外では2000m以上の高山に棲息している。 今月17日、政府は釜石市の「橋野高炉跡」を含む「明治日本の産業革命遺産」を来年度の国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)世界遺産委員会への世界文化遺産推薦を正式に決定した。釜石市は「観光客が訪れるきっかけにもなり経済的効果もある。期待に応えられるよう万全の準備をし、県内外に周知を図る」とする。橋野高炉跡近くにはこの11月にインフォメーションセンターが完成される。従来から釜石市は1857年に大島高任が西洋式の高炉を築いたことから近代製鉄発祥の地として喧伝して来た。釜石市はまた、これまで実績のあった製鉄所のラグビーを一層興隆させるため日本での開催が決定されている2019年ラグビーワールドカップを釜石市に誘致しようと積極的に国に働きかけている。職場の市の役職もかねておられる同僚もこのために努力されておられる。いずれも最終的な決定が得られれば震災で大きな被害を受けた釜石市の復興に勢いがつくのは確かだろう。様々の補助金も釜石市へ下りて来るだろう。決れば、ラグビー場はほとんど更地で雑草が茂った状態になっている鵜住居地区に建設が予定されている。「橋野高炉跡」も「ラグビー」も釜石市にとって他に誇れるものであることは確かだ。これらの決定のために注がれる活動だけでも相当大変だろうと思う。しかし、一方で、相変わらず他力である姿勢が気になる。釜石市の近隣の市町村と比べても釜石市は自力での町おこしの姿勢が弱い。せめて「橋野高炉跡」や「ラグビー場建設」が自力の力を付ける踏み台になってくれればと思う。釜石市に限らず、東北は古来蝦夷(えみし)の地として中央から蔑まれ、その流れが近代以降も底流に流れて来た。しかし、一般には受け入れられていない「荒覇吐王国」や、また、それを引き継ぐ奥州安倍氏、奥州藤原氏の自立した東北の歴史がある。現代の歴史学や考古学の通説と矛盾する紀元前の稲作遺跡や5世紀の鉄の遺物なども明らかになっている。歴史学や考古学がかたくなに認めようとしない「九州王朝」の存在と同様に「東北王朝」もまた存在した。血脈で固定された王ではなく、選出された王と4人の副王による統治があり、釜石にも副王が分倉を置いていた時代があった。閉伊には王がいた時代もあった。東北の王朝の文化は東北に残る民俗、芸能、言語に遺残している。アイヌ文化とも異なる。我々が学んで来た歴史は勝者の歴史であり、東北や関東、九州、各地には隠れた敗者の歴史がある。東北の敗者の歴史が書かれていたのが『東日流外三郡誌』をはじめとする「和田家文書」である。作家の久慈力氏の言う「日之本文書」である。世には『ホツマツタヱ』、『九鬼文書』、『竹内文献』、『物部文書』など多種のいわゆる古史古伝が存在する。それらの真偽は明らかではないが、少なくとも「和田家文書」には語り部たちに伝承されて来た楔形文字に類似する「語印」により記録されて来た歴史が書かれている。三内丸山遺跡で発見された三段の高楼などもすでに「和田家文書」には書かれていた。化学の分野で著名ないくつかの業績を上げられた東北大学名誉教授の吉原賢二氏には「歴史書や系図を見ることの大好きな少年時代」があった。1990年代に母方の実家の歴史を調べているうちに、「新潟県弥彦神社の昭和8年頃の記録にアラハバキ門」を見出し、これと「前後して『東日流外三郡誌』を入手してアラハバキ信仰のことを知り強い衝撃を受け」られた。氏は折しも同書の偽書説が出ていたため、自分の専門に近い同書中の自然史部分を調べられた。著者の中心人物秋田孝季が1793年8月から36日間長崎で英人エドワード・トマスの自然史の講義を受けた、その講義内容なども調べておられる。そのためにオランダ大使館にまで連絡をとり、当時、エルプリンス号と言う船がオランダ領インドネシアのバタビアから長崎に入港し、1793年8月から10月まで長崎にいたことを突き止められた。生物の進化論の先駆的なものについては『種の起源』で有名なチャールス・ダーウィンの祖父のエラズマス・ダーウィンも唱えており、エドワード・トマスがその内容を秋田孝季らに当時の最先端の知識として講義した可能性が十分考えられるとされている。「和田家文書」には誤りも当然存在するが、「偽書」などではなく、東北の真の歴史を知る上でとても貴重な資料である。自立した東北の歴史があり、東北がそれを誇りとして現代に力強く立ち上がり、郷土のほんとうの興隆を成し遂げてもらいたいものだ。
中心部から色付き始めた来た庭の紫式部

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