釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

核兵器事故

2013-09-24 19:19:36 | 社会
今日はよく晴れて、気温は26度まで上がった。しかし、昼休みに外へ出て、少し歩いても汗はかかなかった。もう秋風が吹いているので、日射しの中を歩いても汗が出るほど暑くはない。職場近辺のあちこちで赤トンボの飛ぶ姿を見るようになった。路上を低く飛ぶものもあれば、裏山の中腹を高く飛ぶものもいる。その裏山では百日紅の花が周りの緑の中で目立っている。薬師公園入口の紫陽花もさすがにもう終わりかけている。 去る19日、福島第一原発を視察した首相は、東京電力に対し、すでに廃炉が決っている1~4号機だけでなく、運転停止中の5号機、6号機も廃炉にするよう要請している。漏出した汚染水の処理や使用済み核燃料の処理など問題は山積みで、費用や時間は見当がついていない。「核」の事故は一旦起きれば途方もない物となる。21日にはNHKなども報じたが、20日付け英紙ガーディアンは、1961年1月23日に米国南部ノースカロライナ州ゴールズボロ上空で核兵器搭載の爆撃機B52が墜落し、2発の水素爆弾がゴールズボロ郊外の牧草地に落下した事故があったことを伝えている。機密指定を解かれた米国公文書を米国のジャーナリスト、エリック・シュローサー氏が調査したものだ。事故の報告書は事故から8年後に、サンディア国立研究所の核兵器を担当する研究員が作成した。事故自体は当時一般にも知られていたが、詳しい内容は機密事項として知らされることはなかった。今回公開された報告書によれば、爆弾の1つは、落下時の衝撃などで4つある安全装置のうち3つが解除され、最後に残された「低電圧の単純な構造のスイッチ」のみが起爆を止めた。この爆弾はTNT火薬で400万トン相当のもので、1945年8月6日に広島へ投下された原爆の260倍の威力があった。爆発していれば首都ワシントンやフィラデルフィア、ニューヨークなどの東海岸の大都市に被害が及び、数百万人の生命が危険にさらされた、とガーディアンは報じている。シュローサー氏は、50~68年の間だけでも核兵器に絡む「重大な事故」は、少なくとも700件起きていることも公文書から明らかにしている。同氏はガーディアンに「我々は核兵器が事故で爆発する可能性はないと言われてきたが、これは本当に事故寸前だった」と語っている。この事故はケネディ大統領が就任して3日後に起きている。米国では重大な核兵器事故を暗号名で「ブロークン・アロー(折れた矢)」と名付けられている。1965年12月5日ベトナム戦争の作戦区域から休暇のため横須賀に向け航行中の米国空母「タイコンデロガ」が、沖縄沖で格納庫から飛行甲板に機体移動中、誤って水爆B43を1個搭載したA4Eスカイホーク1機を転落、水没させた。沖永良部島の東約300kmの水深4800mの海域で水深が深いため現在まで回収はされていない。1966年1月17日にはスペインのパロマレスでB-52G戦略爆撃機が墜落し、落下した水素爆弾は1個は海上に落ち、3個が地上に落下した。地上の2個は核爆発はしなかったが、破損してプルトニウムやウランなどの放射性物質を飛散させた。2007年になりようやく放射線汚染の本格的な調査が行なわれた。スペイン政府は地表に放射性物質が漏れた9ヘクタールの土地にフェンスをめぐらせ、立ち入り禁止とした。1968年1月21日、4個の水素爆弾を搭載していたB52が、グリーンランドのバフィン湾上空で機内に火災が発生し、機体はデンマーク領グリーンランドのチューレ米空軍基地付近のノーススター湾に墜落した。核弾頭は破裂、飛散し、大規模な放射線汚染を引き起こした。基地で勤務し防護服無しで消火活動を行ったイヌイットやデンマーク人が被爆している。この他にも1980年代までで原子力潜水艦事故は米ソ両国で知られているものだけで12件ある。スウェーデンのストックホルム国際平和研究所(SIPRI)が出した「SIPRI Yearbook 2013」によれば、2013年1月時点での各国の核弾頭保有合計は概算で、17,270個にもなる。原発管理と同じく、核弾頭の管理も意外に杜撰である。2007年8月30日核爆弾を搭載した5基の新型巡行ミサイルを載せた一機のB-52爆撃機がノース・ダコタ州のマイノット空軍基地から、ルイジアナ州のバークスデール空軍基地まで米国上空を飛行した。米国国防省は、廃棄予定の巡航ミサイルを運ぶために飛行していたので、搭乗員らは核弾頭がミサイルに装着されているのに気付いていなかった、と発表している。この飛行前後2ヶ月以内に飛行に関わりのあった軍人6名が事故や死因不明で亡くなっていると言う。20歳から33歳までの軍人たちだ。
仲間たちから離れて羽根を休める赤トンボ