釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

何のための経済発展か

2013-09-08 19:18:19 | 社会
今日は小雨がちで、気温も20度程度しか上がらなかった。小鳥たちの声も少ない。草むらの虫たちとエゾゼミだけが鳴いている。残っているベルギー・シェパードはまだどこかに仲間だった犬がいるつもりなのか、時々、その仲間を捜す時がある。いつもだと現れて来る方向をじっと見つめて動かなくなる。呼んでも動こうとしない。こちらが離れる方向へ歩くと、ようやくあきらめたのかこちらへ飛んで来る。動物にとって仲間の死はどの程度受けとめられるのだろう。 先日、仕事の関係で職場の方と3人で盛岡へ行ったが、その際始めて、他人の運転で盛岡まで行った。自分が運転しないので、ゆっくりと通り過ぎて行く景色を見ることが出来た。大半が山間の道で、後は田園地帯であった。従って、建物の多くは農家である。その農家の佇まいを見ながら、これこそが人の住む環境だとあらためて思った。広い敷地に古くから受け継がれて来た建物。途中で昼食のために入った農家の建物を使った店もそうだったが、中も十分過ぎるほどの空間がある。ただ、同行していた岩手出身の方の話ではこうした農家の古民家は冬は寒いと言われた。時代とともに立て付けも悪くなり、すきま風が入るようになるのだと言う。釜石へ引っ越す前に、こうした古民家が釜石の近くにないか調べたことがある。遠野の釜石よりの青笹地区に敷地の中を小さな川が流れ、池もある古民家が売りに出されていた。都会に比べればはるかに安いものだった。少し迷ったが、ひとまずは釜石に住んでみて様子をみることにした。しかし、釜石に引っ越して2~3ヶ月後に見てみると、その古民家はすでに売却済になっていた。全国には都会で仕事を退職した人たちが退職後の住まいとして、地方の古民家を求める人たちがたくさんいる。その専門業者も多い。古民家を改修してより住みやすくしているようだ。仕事の関係でやむを得ず都会生活を強いられ、退職してようやく解放された時に、反動が強く、地方の広い空間のある家に住みたくなるのだろう。人間が人間らしく生活するには現代の日本の都会の住環境はあまりにも酷過ぎる。これでよく経済大国だなどと言えるものだと思う。確かに、大きな企業はグローバルな活動域を持つようになったが、企業が大きくなったばかりで、国民の衣食住の有り様は決して誇れるものではない。都会でがむしゃらに働いて、得たものは一体どれほどのものだろう。都会の電車や地下鉄に乗ると、人が荒んでいることを感じる。特に、東京はその感が強い。やたらとガムを口にして咬んでいる人の姿も多く見かける。人が疲弊しているとしか思えない。東京にすべての機能が集中され、無駄に人を疲れさせている。懸命に働いて、帰宅すれば狭い空間の我が家しか待っていない。建物どうしまで密着状態になっている。岩手県は四国4県の広さがあるが、人口密度は低い。県庁所在地である盛岡市も人口が30万ほどでしかない。以前住んでいた愛知県の岡崎市より少ない。周辺部との合併で増えているだけで、人を引き付けるような職場があるわけではない。その盛岡には川が流れ、周辺の山も見える。機能を地方に分散して、もっと十分な空間をとった生活が出来るはずだ。江戸時代の人々の方がよほど人間らしい空間で生活していただろう。国が富むことは良いことだが、その富がどう生かされているかが重要だ。何のための経済発展なのか。現在は企業が収益を上げられない状況になって来ており、たとえ収益を上げられても、その収益が従業員に還元されず、企業内部に溜め込まれている。確かに企業が立ち行かねば従業員には所得が入らない。先ずは企業が利益を得られねばならないのは事実だが、大企業でさえ今の日本は真剣に物を売るための努力を怠っている。高齢化が進み、人口が減少する中で、企業が怠慢になっている。自然災害も今後大規模に訪れて来る。そんな状況に追い込まれている今の日本はよほど覚悟して考え方を変えて行かなければ生き残って行けないのではないだろうか。資源もなく、食料まで輸入に頼るようになってしまっている。そうしたこれからの状況を考えれば、孤立の道を進むか、周辺国との協調の道を進むか選択を迫られる時期が来るのではないかと思われる。日本はどこかでボタンのかけ違いをしてしまったように思う。
毎年咲く近所の朝顔