釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

緑溢れる清々しい日

2013-06-10 19:16:32 | 文化
筋雲が流れる晴れた日で、日中の最高気温が20度のとても清々しい日になった。こんな日は昼休みは裏山の旧道へ出かけるに限る。裏山にはニセアカシアの木がたくさんある。今はちょうどその白い房のような花が真っ盛りだ。今も咲く朴の花を見ながら緑のトンネルを抜けて、いつも車を止める場所に着いた。ちょうど近くの大きな木にカラ類の群れがやって来ていて、盛んに鳴いていた。しばらくして、カラ類が飛んで行くと、替わりにキビタキがやって来た。昨夕は家の近所からホトトギスの声が聞こえて来ていた。もうすっかり夏の渡り鳥たちが来ている。職場の4階にある自分のデスク横の窓は薬師公園に面しており、今日は一日ずっとウグイスが鳴き通しだった。 日本の野鳥の半数は渡り鳥たちだ。その渡り鳥たちは冬に越冬のために北からやって来る冬の渡り鳥と、夏に産卵のために南からやって来る夏の渡り鳥に分かれる。冬の渡り鳥は白鳥に代表される水辺の比較的大きい鳥が多い。それに対して、夏の渡り鳥は水辺と森にやって来る小型の鳥が多い。いずれも環境の変化でかなり影響が出ているようで、特に、夏場に南からやって来る渡り鳥たちの減少が80年代から見られるようになった。海面上昇や砂浜の減少で、海浜にやって来る渡り鳥たちが大きく影響を受けている。森も伐採や舗装道路により大きく変化し、野鳥たちの生息環境が変わってしまった。一方で、先日の読売の記事で報道されたように石川県では月の輪熊の生息域が北上して来ている。しかも、平地を飛び越えて北上が見られていることに地元には衝撃を与えている。岩手県では鹿の生息域も広がって来ており、月の輪熊も人の住むところへ頻繁に出没するようになって来た。熊が山から出て来るのはその年によって、山の実りが異なることも関係しているが、年々、平地への出没傾向が増して来ている。豊かな山ですら環境が大きく変化して来ている。東北では冬の渡り鳥がたくさんやって来る宮城県の伊豆沼がよく知られているが、ここにやって来る水鳥たちも沼の存在だけでは生きて行けない。周辺にたくさんの水田や畑が存在することが生息のための必須条件になっている。そこに水鳥たちの餌があるからだ。冬場に内陸へ行くと、白鳥や雁たちがそうした水田や畑に群れでやって来ている姿を見かける。稲作の長い歴史の中でその環境に適した鳥たちが生きて来た。いつも行く裏山の旧道沿いも何種類もの自然林が残されている。そうした環境だから様々の小鳥たちがやって来る。そこにいると今日のような清々しい風が吹けば尚のこと、小鳥たちのさえずりに癒される。渡りの鳥たちにとって、到着地にたとえ環境変化がなくとも、渡りの途中の中継地に環境変化があれば、それだけで、渡りそのものが大きく影響を受けてしまう。TPPは農業を消滅させることはないかも知れないが、確実に田園地帯の変化をもたらすだろう。経済効率を優先した農業の在り方は農業の大規模化に軸足を変えざるを得なくする。広い平野部のあるところでしか農産物は作られなくなるだろう。田園に変化が生じれば、当然生態系は影響を受けざるを得なくなる。自然が豊かな東北が真っ先に影響を受けることは間違いないだろう。現政権は「豊かさ」の再考を打ち出しているが、実際の政策を見ていると、一番その意味を理解していないのが当事者であるように思えて来る。
裏山にたくさん見られるニセアカシアの花

今も咲く朴の花

職場の近所の空き家に咲いていた菅の花

花巻からの帰路

2013-06-08 19:42:39 | 文化
今日も山背が流れる日で、凌ぎやすい日だった。昼過ぎに新花巻駅に着く娘を迎えるため、車で出かけた。遠野を過ぎると雨が降って来た。しかし、新しく開通した宮守ICから自動車道に入り、東和IC で降りると、日が射しており、花巻は晴れていた。JR新花巻駅の前は石南花がたくさん咲いていた。帰路は娘の話を聞きながら、道路脇の花たちを眺めていた。やはり、東和と遠野の間でやや強い雨が降って来た。娘の希望でまた道の駅「風の丘」に立寄った。「復興」を名目にした出店が並んでいる。少なくはなったがまだいくつか山野草が出ていた。娘は食材を買い込んでいた。遠野バイパス沿いの店で衣類を買いたい、と言うので駐車場に車を止めて待っていた。なかなか出て来ないので車から出て、近くを歩いてみた。高清水高原に日が射し、山の緑がきれいだ。道路の向の水田の畦道に黄菖蒲が咲いているのが目に入った。道路を渡り、その畦道へ入って行った。黄菖蒲に近づいてみると、その傍らに番のカルガモがいた。近くには菖蒲も咲いている。畦道を抜けた先にもいくつか花が咲いていた。そちらに向かおうとすると、おばあさんがいたので、軽く挨拶をすると、声をかけられた。以前にはもっとたくさんの菖蒲を植えていたそうだ。少し離れたところにも菖蒲が咲いているので、それを見て欲しい、と言われた。案内されるままに付いて行くと、大きな菖蒲が咲いていた。85歳になられるそうだが、とてもその年齢には思えない。10歳は若く見える。身体の動きも若々しい。実名が「アヤメ」だそうで、そのためなのか菖蒲をたくさん植えられていた。実家でも子供の頃菖蒲がたくさん咲いていたそうだ。次々に話が続き、こちも娘のことが心配になり、申し訳なかったが、話を終わらせていただき、駐車場へ戻った。ちょうど娘も店から出て、こちらを探しているところだった。再び車に乗り、釜石に向かう。遠野の道路からはニセアカシアと菖蒲がよく目に入る。菖蒲は釜石よりたくさん植えられている。やはり遠野は市全体が田園風景を大切にしているように見える。日がずいぶん長くなって、釜石へ着くともう午後の6時を過ぎていたが、明るく、そんな時間だとは思っていなかった。昨晩はあまり十分睡眠がとれていなかった娘は途中車の中で気持よく寝ていたようだ。
JR新花巻駅前の石南花

遠野高清水高原

カルガモと黄菖蒲

花巻の温泉の常連でもある「アヤメ」さん


地方にこそ自然エネルギー活用の潜在力がある

2013-06-07 19:22:13 | 社会
今朝は愛染山は無論、その周辺部の山もまったく見えなかった。家の近くの低い山も上は霧雲が流れており、出勤後、職場の3階の高さにある駐車場から市街地を眺めると、向かいの山までほとんど霧が流れて見えなくなっていた。海から流れて来た山背のせいで、職場近くまで来ると潮の臭いが漂って来た。全国各地を移り住んで来た同僚の話では、「山背」と言う表現は東北の太平洋岸だけでなく、日本海側でも使っているそうで、西では福岡でも「山背」と言う言葉を使っていると言う。ただ、福岡の場合は東北のような霧の流れる「山背」ではなく、北東から吹いて来る風を言うのだそうだ。天候的には北海道でも東北と同じような変化を経験したが、北海道では「山背」と言う言葉は聞かなかったように思う。山背が流れる時は、冷たく湿った空気が漂い、当然、気温は下がる。今日も最高気温は18度だ。しかし、最低気温が15度で、普段より気温差は少ない。 米国の経済・金融情報通信社、ブルームバーグBloombergは6月4日、"Japan Set to Overtake Germany as World’s Largest Solar Market"、「日本はドイツを抜いて、世界最大の太陽光市場へ」と言う記事を載せた。太陽光発電施設設置は2012年はドイツが760万Kwで1位であった。Bloomberg New Energy Financeは当初、本年度の世界一の太陽光市場は中国になると予想していた。今年の中国の太陽光発電設置は630万-930万Kwで、米国は370万-430万Kwと予想している。しかし、日本では政府の再生可能エネルギー電力固定価格買取制度が追い風となり、690万-940万Kwの予想となった。太陽光発電協会によれば、今年1-3月の国内モジュール(太陽光パネル)出荷は前期比で73%増となる。昨年7月に電力固定価格買取制度が始まり、13年度の太陽光発電買取価格は1Kw時当たり37.8円(20年)で、中国やドイツの2倍以上になる。世界的な風力発電の業界団体であるGlobal Wind Energy Councilの資料によると、2012年に全世界で新たに設置された風力発電設備の容量は合計で4万4711Mw(4471万kW)に上り、前年比10.0%も増加している。近年は毎年4万Mw前後の増加を続けており、大規模な原子力発電所が毎年40基ずつ増えているのと同じ効果が得られている。2012年の新規設置容量は、国別では、中国が最大で1万3200MWに達し、全体の3割を占め、米国が1万3124MWで続いており、両大国だけで全体の59%を占め、3位以下を大きく引き離している。日本は中国と比べると150分の1の規模で、88MWしかない。自然エネルギーは地方こそがその潜在力を有しており、地方経済の活性化のためにも、有利な電力固定価格買取制度を利用して、積極的に地方が参入して行くべきだと考える。岩手県は四国4県の広さを持ち、90%は山地である。東の北上山系は丘陵地が多く、釜石などもすでにその丘陵地で風力発電に参入しているが、その後の伸展がほとんど見られない。岩手県では北上山系北端の葛巻町が自然エネルギー発電の先陣を切っている。電力自給率は180%に達している。葛巻町は横浜市に匹敵する広さがあり、97%が標高400m以上であり、約86%が森林のため、酪農と山ぶどうを利用した製品作りに力を入れて来たが、1999年から風力発電に力を注ぐようになり、現在に至った。今では全国的にも注目されるようになった。風力発電には野鳥たちがプロペラで害されるなどの問題もあるが、太陽光発電は景観以外は自然への影響はさほど見られない。地域の自然を保全した上で、自然エネルギーの活用をもっと積極的に進めて行くべきだろう。
向かいの山に山背が流れて、山頂部が見えない

土偶や石製人形のルーツ

2013-06-06 19:22:34 | 歴史
朝起きがけに愛染山を見ると雲がかかっていた。しかし、間もなく家の上空には青空が見えて来た。晴れてはいるが、昨日以上に霞んだ空になった。やはり山背が海岸から上がって来ていた。そのおかげで、晴れていても気温は21度までしか上がらない。とても過ごしやすい。職場に隣接する薬師公園からは今日もウグイスの声が聞こえて来た。昼休みに、気持ちいい風に吹かれながら、また、裏山の旧道を車で走った。熊除けに牛鈴を手にした人が歩いていた。少し高い所のニセアカシアも咲き始めた。緑が山を覆うようになると、小鳥たちの姿は直接見られなくなる。声だけが周りから聞こえて来る。車を止めて、小鳥たちのさえずりと風に吹かれた葉の擦れ合う音を聞きながら、しばらくは、のんびりと休んでいた。 日本で国宝となっている縄文時代の出土品は5つあるが、そのうち4つは土偶だ。山形県西ノ前遺跡出土の高さが45cmある日本最大の土偶、『縄文の女神』土偶。非常に見事に抽象化されている。北海道函館市の著保内野(ちょぼないの)遺跡から出土した中が空洞になった「中空土偶」。高さは41.5cmで両脚の間に筒状のものが挟まれており、頭の上には突起が付いている。長野県茅野市棚畑遺跡出土の「縄文のヴィーナス」土偶。高さ27cmで重さが2.14Kgあり、頭の上が帽子のように平になっており、お腹とお尻が妊婦として強調されている。最後は青森県風張1遺跡出土の膝を立てて座り、手を合わせた「合掌土偶」だ。いずれも3200年前から4500年前のものになる。日本で出土した土偶は1万4000個あるがほぼ完全な形で出土したものは50個ほどしかない。土偶が作られた縄文時代以前には骨や石に人の姿が彫られていた。日本では2万年前の後期旧石器時代にあたる大分県豊後大野市の岩戸遺跡から日本最古の石製人形が発掘されている。そして、ロシアのバイカル湖近くのマリタ遺跡からはマンモスの牙に彫られた女性像が発掘されており、日本の石製人形に類似する。当時佐賀医科大学解剖学教室の助教授であった篠田謙一氏は縄文人29体のDNA配列を世界各地の民族のDNAと照合し、17体がバイカル湖周辺に住むブリアート人に一致した。遺伝子的なバイカル湖地域との繋がりや人形の彫り物などから、日本に初期にやって来た人々のルーツはバイカル湖周辺である可能性が高い。和田家文書では阿蘇部族が先住者となっている。そして、後からやって来た津保化族は土器と土偶を作り、偶像への拝礼を行なっている。2万年前の旧石器時代にシベリアは寒冷が強まり、バイカル湖から東へマンモスやナウマン象などを追って、「海退」で大陸と繋がった日本列島へやって来た。それが阿蘇部族の祖先であったのかも知れない。一方、バイカル湖から東へ進んだ後、アラスカに渡り、南北米大陸を南下した人々もいた。そして、その一部が温暖化が進んだ後、故地を求めて、米大陸を北上して、アラスカから筏に乗り、津軽に流れ着いたのが津保化族なのかも知れない。阿蘇部族よりも高度な文化を持っていた津保化族は土器や土偶を作り、神を祀る高楼を建てた。阿蘇部族も津保化族もともにルーツはバイカル湖であった。アイヌの人たちは偶像を祀ることはないので、阿蘇部族の末裔なのかも知れない。ともに狩猟が生活の基本であった。津保化族は平地で集落を造り、栽培も行なって、定住生活を送っていた。
職場近くに咲いていた紫蘭

山間部でエゾゼミが鳴いていた

2013-06-05 19:12:25 | 自然
朝から霞がかかったような天気であったが、空には青空が広がった。日中の気温は22度まで上がった。日射しは暑くても吹く風がやや冷たく、とても気持ちの良い風になった。内陸の盛岡では29度まで上がったようだ。以前伺った職員の方の橋野の実家で菖蒲が咲き始めたとお聞きしたので、出かけることにした。両石湾に流れ込む水海の川に親子のマガモがいた。マガモの親子ははじめて見た。道路が近くても歩く人はほとんどいないので、あまり警戒しなくても安心していられるからだろう。山間の道を鵜住居川に沿ってゆっくり車を走らせながら、周囲の緑が濃くなった山々を眺めていた。ウグイスの鳴く声があちこちから聞こえて来る。窓を開けていると風が気持ちいい。目的の家には菖蒲がたくさん咲いていた。石楠花が終わり、芍薬が代わって咲いていた。浦島草にそっくりなのだが、浦島草のような細い糸状のものが出ていない花が咲いていた。やはり天南星(てんなんしょう)の一つなのか、あるいは浦島草の亜種のようなものなのかも知れない。日射しが強くなっているので、近くの鵜住居川の方から吹き上げて来る風で身体が適度に冷やされる。花の間を縫ってしばらく歩いた。向かいの山からはエゾゼミの声が聞こえて来る。敷地のちょうどいい岩に腰掛けて、のんびり風に当たっていると、小鳥たちの声も耳に入って来た。そばの水田には小さなオタマジャクシたちがたくさんいる。かなりのんびり一人で休んでいると、家の方が仕事を終えたのか戻って来られた。庭先で佇んで山を見ながら、今年はその山の松が害虫でやられてしまった、と言うお話をうかがった。秋田港と塩釜港は海外から木材が持ち込まれるので、そのどちらかから害虫が入って来たのだろう、と言われた。花巻あたりから遠野方向へ広がり、笛吹峠を越えて、山を徐々に下がりながらが害虫が広がって来ているそうだ。中で休んで下さい、とお誘いいただいて、お茶を飲みながらまたしばらくお話をうかがった。夜にカエルがたくさん鳴くそうだが、そのカエルを「ビッキ」と言われた。方言だと言われて恥ずかしそうにされたが、むしろ、「ビッキ」はかなり古くから伝わった言葉ではないかと思われる。地方の方言には古語が多く残されている。特に、東北の方言には太古の阿蘇部族や津保化族の言葉が残っている可能性がある。浦島草に似た花も以前はもっと咲いていたそうだが、アナグマが掘って根がやられたそうだ。興味の尽きないお話が続き、つい、時間の経つのを忘れてしまった。帰路、山間をはずれ、鵜住居地区の平地に出ると、海岸近くの山には霧雲が流れていた。そこ以外のほとんどが青空であることが不思議なくらいであった。これだけ晴れて、日射しも強くなっているにもかかわらず、内陸よりずっと気温が低いのは、やはり、山背のせいなのだろうか。
山間の菖蒲

菖蒲の近くに咲いていた芍薬

山藤もまだ咲いていた

「奇跡の村」

2013-06-04 19:15:28 | 社会
朝から青空が広がり、職場の裏山の桐の花がとてもきれいに見えた。気温は昼に22度まで上がった。通常は新緑の5月と言うところだが、釜石だと新緑の6月になる。昨夜、庭に出ると、フクロウの鳴く声に気付いた。200mほど離れた民家の敷地に巨木があるが、その辺りから聞こえて来たので、恐らくその巨木に止まっていたのだろう。市街地のこれほど民家がたくさんあるところでフクロウが鳴くのは、驚きでもあり、ほんとうに釜石は自然に溢れていることをあらためて感じさせられた。山が豊かなので多種の生物が棲息出来るのだ。 政府は、今日、国の在り方を評価する基準に国内総生産(GDP)だけでなく、自然環境の充実や幸福感をも対象とする新たな「豊かさ指標」の必要性を強調し、環境と経済の両立を求めた2013年版「環境・循環型社会・生物多様性白書」(環境白書)を閣議決定した。世界的な流れを考慮したのだろう。とは言え、一方で、政策的には経済復興を名目に相変わらずの公共事業を促進しようとしている。自然環境の充実で重要なのはやはり地方の環境を保全した自立的な地方の再生だと思う。その見事な事例が「奇跡の村」と呼ばれる長野県の下條村だろう。交通の不便な山林が7割を占める人口がわずか4000人ほどの陸の孤島である小さな村だ。全国の地方自治体はどこも国の政策に乗った補助金に頼り、自分たちの地域にあった政策を採らず、借金だけを増やして来た。自治体職員も「お役所仕事」に浸り切って、民間企業では考えられない非効率さを続けて来た。かっての下條村もそんな自治体の一つであった。1992年、昨年無投票で6選を果たした伊藤喜平村長が村長に就任するや村は自治体としての姿勢を大きく変貌させ始めた。役場職員を全員民間企業で研修させ、国の政策による補助金に頼らず、村の実情にあった政策を打ち出した。身近かな村道や水路整備・補修を村民自ら行ない、村役場は必要な資材のみを提供する。若者が村に定着出来るよう低家賃の若者向けの村営住宅を建設し、子供の医療費無料化、保育料を国基準の半分以下に引き下げ、子育て応援基金を創設するなど、村独自の政策を展開した。村役場の職員数は人口1000人当たり7.84人となり、他の平均17.02人に比べはるかに効率の良い役場となり、村財政では借金は1億円に満たず、むしろ、村の基金(貯金)残高は55億円を超えて、全国でもトップクラスの健全な財政状況の自治体となった。国の補助金を使った政策は、全額補助されるわけではなく、同時に自治体が負担しなければならない部分があるため、かえって借金が増えて行くばかりである。しかも、地域毎の実情にあった政策でもない。そして、国の補助金を伴う政策の多くは地域の意向を無視した条件が付けられている。出生率も全国平均1.39人を上回る1.92人となり、廃れる一方であった村の人口が増えた。自分たちが住む地域は自らの手で、地域にあった政策を進めることで地域を維持して行く、と言う村長の考えを村民が理解し、協力することで「奇跡の村」となった。村長はもともとこの村でガソリンスタンドを経営していた。民間企業であれば当たり前のことが自治体では行なわれていなかった。村長も村民の理解を得るために大変な努力をされておられる。そして、今や村全体が自分たちの村を自分たちの手で再生させている。
昼休みに職場の近辺を歩くと道端で鈴蘭が咲いていた

高まる巨大地震の可能性

2013-06-03 19:13:18 | 自然
朝は晴れていて、やがて雲が覆い、昼頃から再び晴れて来た。気温は18度までしか上がらず、やや寒かった。昼休みに、また、裏山の旧道へ出かけた。山の低いところでニセアカシアが咲き始めていた。相変わらず、たくさんの山藤も咲いている。下の甲子川の河川敷の方から、今日も雉の声が聞こえて来た。山の中ではウグイスやカケスの声が聞こえる。山中の桐はまだ花が十分開き切っていない。今日は残念ながらきれいに開いた朴の花が見あたらなかった。もう開き終わった花や蕾だけが目に付いた。旧道を走っていると、山藤がよく目に入り、その自然の織りなす景観に感心させられる。平地で見かける藤棚の藤の花とはまた違った趣がある。藤棚の藤の花はやはり作られた美しさなのだろう。 昨日の共同通信によれば、東京や神奈川など首都圏を震源とする「首都直下型地震」が起きると想定される地域で、東日本大震災後2年近い昨年末時点でも、M3以上の地震の発生頻度は大震災前より高い状態であると言う。大震災後は頻度が下がると予想されていた。今後数年間は高止まりが続くことも考えられ、将来の巨大地震発生の確率も押し上げていると言われる。この解析を行なった東北大学遠田晋次教授(地震地質学)は「普通の地震では考えられないような現象が起きている可能性もある」として、注意の必要を訴えておられる。同教授は以前から地震は断層同士が互いに影響し合うため、巨大地震は連鎖する、との考えを表明されて来た。巨大地震により遠近に関わらず、他の断層に歪みを生み、その歪みがまた新たな地震を呼び起こす。今年4月13日に起きた兵庫県淡路島を震源とするM6.3の地震についても、同教授は1995年の阪神大震災を引き起こした地震が野島断層南端から同島中央部にかけて大きな歪みを生み、4月13日の地震に繋がった、と考えられている。東日本大震災前は東日本は東西方向に圧縮される力を受けていたが、震災後は逆に東西方向へ引っ張られる形に変化した。気象庁によれば、昨日までで東日本大震災後の余震は9871回にもなっており、M5以上が750回、M6以上が110回、M7以上が7回も起きている。昨年12月7日の宮城県三陸沖を震源とする余震はM7.4であった。同教授によればこの時の余震はまさにアウターライズ型地震であった、とされる。プレート境界型の地震は対の地震としてアウターライズ型地震を伴うため、同教授は東日本ではアウターライズ型地震にも注意を要すると以前から警告されておられた。さらに、太平洋だけでなく、内陸部にも歪みが生じるため、内陸の断層がずれる可能性が高まっていると言う。同教授は「内陸部で起きる小さい地震のペースが、震災以前の3倍前後になっています。地震学の常識として小さい地震が3倍起きれば、大きい地震のリスクが3倍上がる。特に首都直下は、プレートが3枚以上重なる複雑な構造で、100キロ地下でも地震が起こっている。こんな地域は日本列島で珍しい」と述べている。また、新潟県から静岡県まで南北に活断層群がのびる「糸魚川-静岡構造線」で地震活動が活発化しており、「特に警戒が必要なのが、長野県松本市、諏訪市です。この2都市の地下を通る活断層で2011年3月以降、地震が急増している。『3・11』が引き起こした地殻変動が、この地域での大規模地震を誘発する可能性がある」と言う。最近、釜石でも、予め、市によって一日に何度か揺れと津波への注意が呼びかけられるようになった。
裏山の桐の花

山の低いところで咲き始めたニセアカシアの花

裏山の濃色の山藤

裏山の群生する山藤

裏山の滝のように下がった山藤

休日の散歩

2013-06-02 19:18:42 | 自然
日中に少し日が射すことがあったが、雲の多い日だった。やはり、山背が押し寄せて、気温も20度までしか上がらなかった。最低気温との差は9度ある。庭のツツジがようやく開き始めた。我が家のツツジは釜石でも咲くのが遅い。サツキの方はもうしばらく前に散ってしまった。庭の山野草たちもほとんどが咲き終わった。夕方いつもの甲子川沿いの道を歩いた。カジカガエルの澄んだ声が響いて来た。若い親子が魚をすくうための網を持って帰っていた。子供の手にした入れ物には4~5cmの小魚が入っていた。今ではこうした光景も珍しくなった。川の葦原からはオオヨシキリの甲高い声が聞こえて来る。ウミネコが川の上を飛び交い、時々急降下して魚を獲っていた。近くの山も緑がずいぶん濃くなって来た。甲子川は護岸工事がされているが、この辺りは自然に創り出された河川敷が広がり、その間を流れが縫っている。そのため、自然に近い光景を見ることが出来、歩いていて気持ちがいい。殺風景な冬の川から、今では緑に囲まれた川に変貌している。来月には解禁となるため、また太公望たちがやって来る。三陸の川では甲子川が唯一入漁料を必要としない。もっとも、やはり放射性物質の件があるためか、昨年もいつもより釣り人の姿が少なかった。山でも今年は山菜採りの人の姿が少なくなっていた。植物や魚はどうしても放射性物質が濃縮されてしまう。山菜も魚も自己責任となる。甲子川のこの散歩コースには、今、菖蒲が満開になっている。川の土手沿いに菖蒲が咲いている。一部には鈴蘭も咲いている。釜石の人たちは花がよく咲くことを知っているのか、花を植える家が多い。道を歩いているだけで季節毎に様々の花を見ることが出来る。少し前には、偶然、アツモリソウが咲いている庭を見つけた。また、つい先日は近所に白い浜茄子の花が咲いているのに気が付いた。北海道でも、釜石でもこれまで一度も見たことがなかった。毎年、同じような場所を歩いていても、歩く時期が違うと、せっかく咲いた花に気付かないのだ。偶然に新しい花に巡り会えることも歩く楽しみの一つだ。以前はこの辺りも畑地や水田であったので、とこどころに大きな農家の家が建っている。敷地もさすがに広い。そして、その広い敷地にはたいていは花が植えられている。近所を歩く時には、そうした農家の近くを必ず歩くようにしている。どこの家にどういう花が植えられているか、おおよそは分かって来た。同じ庭の同じ花であっても、毎年、枝振りや葉の出方が異なるため、花の見え方も違って来る。休日の穏やかな天気の日には、つい、近くを歩いてみたくなる。
甲子川沿いに植えられた菖蒲と遠くの愛染山

自然が与えてくれる敦盛草の用土

2013-06-01 19:13:46 | 自然
朝はよく晴れていて、清々しい風が吹いた。雪が消えた愛染山もはっきりと見えた。家の前の関連施設の駐車場を見ていると、人の胸の高さほどの位置にある換気口からセグロセキレイが飛び出した。近づいて換気口を見てみると、ちょうど巣作りをしているところのようだった。その後も気を付けて見ていると、何度も巣の材料になるものを運んでいた。雌雄2羽で交代でやって来ていた。セグロセキレイはスズメより警戒心が薄い。もう手が届くような距離まで近づいて来ることがある。昼前に所用で家から海岸方向へ向かっていると、海岸に近い山の尾根を霧雲が這うように内陸に向かって流れていた。空はこちら側が晴れているのに、霧雲が流れている辺りは曇っている。日中の気温も18度までしか上がらなかった。まさに山背のようだ。午後には家の辺りも曇って来て、夕方には小雨まで降って来た。庭の礼文敦盛草もそろそろ終わりかけて来たので、そのうち植え替えをしようと考えている。礼文敦盛草は敦盛草の中でも育てるのが比較的難しい。用土がをいくつか試してみたが、今のところ失敗している。敦盛草は蘭科の植物で、いわゆる野生蘭の一つだ。野生蘭にはよく鹿沼土と言うのが使われる。栃木県の鹿沼市で産出される土だ。50万年前に群馬県で噴火が起きて赤城山の形成が始まった。15万年前にはその噴火活動が活発になり、大規模の噴火が起きた。3万5000年前に起きた噴火では火山砂礫が東へ流れて、栃木県の鹿沼市から茨城県の太平洋岸までの一帯に降下した。その後、15万年前位までにすでに赤城山を含めた浅間山・榛名山・男体山などの噴火で生じた火山砕屑物が風で流されて、同じ地域に堆積したのが関東ローム層と呼ばれるものだ。他の地域では富士山や箱根山、愛鷹山などの噴火で生じた火山砕屑物が風で流されて、同じく、関東ローム層を形成している。鹿沼市では3万5000年前の赤城山の噴火による火山砂礫が鹿沼土となり、その上に堆積した関東ローム層が粘土質の赤土で、それは、赤玉土としてやはり園芸などの用土として使われている。岩手県の火山地帯である八幡平でも鹿沼市と同じような火山砂礫が堆積しており、そこからも鹿沼土が産出されている。こちらは砂礫が固く、形が崩れにくいため硬質鹿沼土と呼ばれている。鹿沼土は粒状で、通気性と保水性に優れているため園芸にはよく使われるようになった。赤玉土も関東ローム層である赤土を粒状にして通気性、保水性、保肥性を高めることで園芸に適したものとして使われるようになった。園芸用土で頻繁に使われる土は要するに過去の噴火の賜物であった。蘭の栽培ではクリプトモスと呼ばれる杉や桧の樹皮なども重用されている。これも保水性がよく、敦盛草の栽培にも使われている。
廃校跡に咲いていた山法師