釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

土偶や石製人形のルーツ

2013-06-06 19:22:34 | 歴史
朝起きがけに愛染山を見ると雲がかかっていた。しかし、間もなく家の上空には青空が見えて来た。晴れてはいるが、昨日以上に霞んだ空になった。やはり山背が海岸から上がって来ていた。そのおかげで、晴れていても気温は21度までしか上がらない。とても過ごしやすい。職場に隣接する薬師公園からは今日もウグイスの声が聞こえて来た。昼休みに、気持ちいい風に吹かれながら、また、裏山の旧道を車で走った。熊除けに牛鈴を手にした人が歩いていた。少し高い所のニセアカシアも咲き始めた。緑が山を覆うようになると、小鳥たちの姿は直接見られなくなる。声だけが周りから聞こえて来る。車を止めて、小鳥たちのさえずりと風に吹かれた葉の擦れ合う音を聞きながら、しばらくは、のんびりと休んでいた。 日本で国宝となっている縄文時代の出土品は5つあるが、そのうち4つは土偶だ。山形県西ノ前遺跡出土の高さが45cmある日本最大の土偶、『縄文の女神』土偶。非常に見事に抽象化されている。北海道函館市の著保内野(ちょぼないの)遺跡から出土した中が空洞になった「中空土偶」。高さは41.5cmで両脚の間に筒状のものが挟まれており、頭の上には突起が付いている。長野県茅野市棚畑遺跡出土の「縄文のヴィーナス」土偶。高さ27cmで重さが2.14Kgあり、頭の上が帽子のように平になっており、お腹とお尻が妊婦として強調されている。最後は青森県風張1遺跡出土の膝を立てて座り、手を合わせた「合掌土偶」だ。いずれも3200年前から4500年前のものになる。日本で出土した土偶は1万4000個あるがほぼ完全な形で出土したものは50個ほどしかない。土偶が作られた縄文時代以前には骨や石に人の姿が彫られていた。日本では2万年前の後期旧石器時代にあたる大分県豊後大野市の岩戸遺跡から日本最古の石製人形が発掘されている。そして、ロシアのバイカル湖近くのマリタ遺跡からはマンモスの牙に彫られた女性像が発掘されており、日本の石製人形に類似する。当時佐賀医科大学解剖学教室の助教授であった篠田謙一氏は縄文人29体のDNA配列を世界各地の民族のDNAと照合し、17体がバイカル湖周辺に住むブリアート人に一致した。遺伝子的なバイカル湖地域との繋がりや人形の彫り物などから、日本に初期にやって来た人々のルーツはバイカル湖周辺である可能性が高い。和田家文書では阿蘇部族が先住者となっている。そして、後からやって来た津保化族は土器と土偶を作り、偶像への拝礼を行なっている。2万年前の旧石器時代にシベリアは寒冷が強まり、バイカル湖から東へマンモスやナウマン象などを追って、「海退」で大陸と繋がった日本列島へやって来た。それが阿蘇部族の祖先であったのかも知れない。一方、バイカル湖から東へ進んだ後、アラスカに渡り、南北米大陸を南下した人々もいた。そして、その一部が温暖化が進んだ後、故地を求めて、米大陸を北上して、アラスカから筏に乗り、津軽に流れ着いたのが津保化族なのかも知れない。阿蘇部族よりも高度な文化を持っていた津保化族は土器や土偶を作り、神を祀る高楼を建てた。阿蘇部族も津保化族もともにルーツはバイカル湖であった。アイヌの人たちは偶像を祀ることはないので、阿蘇部族の末裔なのかも知れない。ともに狩猟が生活の基本であった。津保化族は平地で集落を造り、栽培も行なって、定住生活を送っていた。
職場近くに咲いていた紫蘭

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