釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

東北の天照信仰

2013-06-20 19:17:55 | 歴史
今日は朝から晴れ上がっていて、午後には25度くらいまで気温も上がったが、風がさわやかで、日陰にいれば暑くはない。大きな揺れはないが、余震も相変わらず続いており、東北三県の太平洋沖を震源とするM3以上の余震は毎日のように見られている。家の近所の紫陽花や通勤路の甲子川沿いの道の柏葉紫陽花が開いて来た。昼休みに一時的に帰宅した後、甲子川沿いの道を走っていると、カジカガエルとオオヨシキリの合唱が聞こえて来た。澄んだ川の流れを眺めているだけでも気持ちがいい。職場の駐車場に戻って、薬師公園の前を歩くと、ふと、古峯山(こみねさん)の石碑が目に入った。公園入口には他にも天照や金比羅などを祀った石碑がたくさん置かれている。岩手ではどこへ行っても必ず石碑を見かける。特に、遠野は石碑が多く見受けられる。田園の中に見かける石碑はとても風情を感じる。これらの石碑は主に江戸時代に多く祀られたものだろうと思う。多くは神仏習合によるものでもあるだろう。東北は四国などと比べても天照信仰が広く行なわれていたようだ。天照を冠した石碑や神社がとても多い。江戸時代は寺請制度が行なわれたので、これほど多くの天照信仰が見られるのは明治以降なのではないかと思われる。江戸時代は街道が整備され、全国から伊勢参りが行なわれるようになった。天照大御神を祀る伊勢神宮に詣でるわけであるから、それがかなわない地方の農民たちが天照の石碑や神社を建てた、とも考えられる。しかし、これまで東北で見て来た天照を冠した石碑や神社はどれも比較的新しいもののように見える。薬師公園からさほど遠くない八幡神社の鳥居のそばや八雲神社にもやはり天照の石碑があり、いずれも、刻まれた字ははっきりと読める。石碑としてはさほど古くはなさそうだ。ただ、唐丹にある天照御祖神社は建物には古さを感じないが、義経北行伝説に関連した由緒がある。義経の家臣である亀井六郎が一行からはぐれて、この神社で宿をとったが、病のためこの地で倒れ、後に義経がここを訪れて嘆き哀しんだと言う。亀井六郎が寄進した奇石が今もこの神社の社宝となっている。この神社の祭神は布都御魂大神、布留御魂大神、布都斯御魂大神の三柱となっていて、伊勢神宮系というよりも奈良県天理市にある物部氏を祀るとされる石上神宮系となっている。6世紀に崇仏排仏争いで蘇我氏に敗れた物部氏の一部は東北に逃れたと言われる。このことが唐丹の天照御祖神社の祭神が石上神宮系となったことに関係するのだろうか。だとすると、東北の天照信仰はかなり古くから行なわれていたとも考えられる。
甲子川の堤に咲く柚香菊