釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

岩手の2つのニュース記事

2013-06-30 19:19:52 | 自然
朝から晴れていたが、西を見ると愛染山は雲で隠れていた。日中も青空が広がり、気温は24~25度くらいまで上がったようだ。しかし、一日ほとんど外へ出ず、屋内で過ごしたので、半袖だと少し寒く感じられ、ベストを着てしまった。コーヒーもよく飲むが、葛湯やしょうが湯もお茶代わりによく飲む。葛湯のせいなのか、朝起きがけに少し鼻水が出始めていてもすぐに治まってしまう。それだけではなく、皮膚のアレルギー的な炎症もなくなってしまった。葛根湯は葛の根の湯と書く。風邪などの漢方薬として使われている。炎症を抑える働きがあるのだろう。いずれも1年を通して飲むことが出来る。昨日の読売の記事を見ると、大阪大学などの研究チームが加齢による免疫力低下の予防や治療につながる可能性がある蛋白質を発見したそうだ。マウスの造血幹細胞では加齢とともに「Satb1」という蛋白質が減少することが分かった。チームは人の20代に相当するマウスの造血幹細胞で遺伝子操作を行なうことで、この蛋白質を通常の20~10倍作ることが出来た。免疫を担うリンパ球は約100倍に増えたそうだ。免疫力が強化されれば、癌の発生や感染の発症を抑えることに繋がる。人での応用にはまだ時間がかかるだろうが、免疫力の低下した病気に光明をもたらすかも知れない。 地元紙の岩手日報を見ると、釜石市の北に隣接する大槌町で、甚大な被害を受けた中心市街地、町方地区を対象とした土地区画整理事業の安全祈願祭が昨日行なわれたようだ。事業費は60億円で、盛り土の高さは平均2.2mだと言う。大槌町の市街地は低地が広がり、かなりの被害を受けた。盛り土がされた後、災害公営住宅300戸を含む計900戸の住宅建設を想定しており、同地区の人口は震災前の半分以下になる。かさ上げが時とともに減少している釜石に比べれば高いが、同規模の津波が襲って来た場合に耐えられるのだろうか。盛り土は埋め立てと同じように地震で液状化現象を起こさないだろうか。大槌町は被害範囲が広いので、盛り土をして、市街地を確保するしかないのかも知れないが、だとすれば、今少し盛り土の高さを高くする必要があるように思う。液状化対策もとられているのかはっきりしない。不安の残る中途半端な対策のように思えてならない。同じ岩手日報では、岩手県の最北になる久慈市の小袖漁港の海女の記事が出ていた。現在放映中のNHKの連続テレビ小説「あまちゃん」のロケ地になる。そのため、小袖海女センターでは9月まで見学の予約が埋まってしまっていると言う。小袖北限の海女の会で活動する現役海女は約20人で、高校生海女クラブの手も借りなければならない。以前は各地で海女漁が行なわれていたが、今では海女の素潜り漁も限られたところでしか見られなくなった。三陸のリアス式海岸の海はダイビングの人たちにも人気があるほどとてもきれいだ。ダイビングをやっていた同僚の話では、海の中にも四季があると言う。季節毎に海の中の景色が変わるそうだ。海や山は自然に溢れているが、一つ間違えば、人の命を奪う元凶にもなる。人の側で備えを怠らないようにするしかないだろう。
庭で咲いている山紫陽花

庭の菅の花

2013-06-29 19:13:38 | 文化
今日も朝から山背が漂い、気温は18度までしか上がらない。半袖だとやや肌寒く感じるので、長袖に替えた。今思えば北海道の釧路の霧も山背のためだったのだ。北海道では山背という名前は聞かなかった。釧路は釜石とは異なり、霧が流れるのは山頂だけではなく、地面の高さまで霧が流れれるため、車の運転はフォグランプを点け、酷い時には2~3m先が見えない状態になった。すっきりと晴れた釧路のイメージはない。今日の釜石は時々霧雨が降るが、本格的な雨にはならず、小高い山の山頂付近だけに霧が流れる。庭では百合や菅の花が次々に開いて来た。日光黄菅も咲いた。百合や菅は今日のような霧雨が時々降るような天気の日が似合っているのかも知れない。庭の花たちを見ていると、とても穏やかな気持ちになり、目に入る光景からは変わることない時の流れしか感じられない。人だけが何かむやみにあがいているようにしか見えない。鳥や獣たちも何世代にもわたって変わらぬ時を過ごして来ている。人だけが自然の時の流れに逆らって来た。進歩やより良い暮らしを求めて。しかし、今日のような日には、時々、人はどこに向かっているのだろう、と疑問が湧いて来ることもある。時代とともに人は不幸せさが拡散して来ているのではないか、とさえ思えて来る。人は夢が持てれば、活力が湧き出て来るのだろう。しかし、今の日本でその夢が持てるのだろうか。日本の未来に暗い影が射して来ている。花や小鳥たちを見ていると、もっとゆっくりとした時の流れに入り、一度、人も自然の一部として、自然に帰る発想が必要なのではないか、と感じる。人も自然の一部だと思えば、どんな時代が訪れようと、人は乗り切れるだろう。庭の緑の中でひときわ明るい菅の花を見ていて、とりとめのないことが頭に浮かんで来た。
庭の菅の花

太陽系の果てに至った宇宙探査機

2013-06-28 19:12:47 | 文化
朝から山背が流れ、長袖を着た人が多い。気温は17度までしか上がらない。曇天で少しだけ雨が降った。普段使っていたMacのパソコンの電源コードが駄目になったため、昨日までの4日間、仕方なく、代替機のWindows 8 の入ったパソコンを使った。久しぶりにWindows を使ったが、やはり、Windows は使いにくい。使い手を無視した作法は相変わらずだ。字体もMac の方がよほどきれいだ。タッチパネルも過敏に反応して、理解出来ない反応が頻繁に起きる。こちらはWindows を作るマイクロソフトのせいではないが。いつもはRAW形式でカメラを使っているが、画像編集ソフトのPhotoshopの代替に無料ソフトであるGimp を使った関係で、カメラもJpeg 形式に代えて使っていた。Windows でGimpを使うのも結構手間取った。昨日、ようやく注文した電源コードが届き、Windowsから開放された。 共同通信によれば、27日、米国航空宇宙局(NASA)は、1977年に打ち上げた無人宇宙探査機ボイジャー1号Voyager 1が太陽系の末端領域に到達した、と発表した。ボイジャー1号は現在太陽から185億Km離れた位置にいる。地球と太陽の距離の122倍の距離になる。ボイジャー1号には3台のコンピュータが搭載されており、設計段階では木星到達までの機能しかなかった。しかし、探査機のプログラムを地上から修正出来たことと、地上のシステムに改良を加えたことで、予想を超えて飛行距離を伸ばすことが可能となった。1979年には木星に到達し、翌1980年に土星に接近した。太陽系にはかっては9つの惑星があると言われていたが、2005年に太陽系の最外郭にある9番目の惑星、冥王星より大きいエリスがさらに外側で発見された。このことが考量され、2006年の国際天文学連合(IAU)総会では惑星の定義が新たにされ、冥王星は惑星から外されることになった。エリスの位置は太陽から145億kmの距離にある。ボイジャー1号からの無線信号は17時間で地球に送られて来ている。太陽からは極めて高温で電離した粒子、プラズマが質量で100万トンもが毎秒吹き出されており、これを太陽風と呼んでいる。その太陽風の及ぶ範囲を太陽圏と言い、ボイジャー1号はその太陽圏の境界域に達した。ボイジャー1号には直径3.7mの通信用アンテナが装備されていて、観測データがカリフォルニア、スペイン、オーストラリアの3ヶ所に設置されている受診アンテナに送られている。さほど遠くない日にボイジャー1号は太陽圏を超えて恒星間宇宙へ飛び出して行くことになる。電力源として3個の原子力電池が使われ、2020年頃までは通信目的を果たせるだろう、と考えられている。ボイジャー1号は従来科学者が考えていた以上に太陽系が大きい、と言うことを明らかにしてくれた。
大渡橋付近から見た山背

釜石の気候

2013-06-27 19:11:52 | 自然
一日曇天が続き、気温は22度までしか上がらなかった。おかげで、暑さを感じないで済んだ。風も気持ちよく感じられた。しかし、夕方には山背が流れて、半袖だと少し肌寒くさえ感じた。昼休みに釜石駅周辺を見て回ると、まだツツジが咲いているところもあり、浜茄子の赤い花も咲いていた。個人の家の庭先ではラベンダーの咲いているのを見かけた。曇っているせいか、今日はウグイスの声が聞こえてこない。職場の裏山もすっかり緑に変わり、花が見られなくなってしまった。山裾だけには、昇藤と蛍袋が咲いている。昇藤は大正時代に日本へ入って来たが、蛍袋は古くから日本の山間部で見られていた。 今日の読売のニュース記事に北海道のヒグマが増えている、と出ていた。最大で6500頭と推計され、宗谷と道東で半分を占める。ハンターが減少していることも増加に影響しているようだ。ただ「人目を気にしないで民家の近くまで出没する『新世代ベアーズ』の増加」で、一層、増加しているように見えているのかもしれない、ということだ。10年以上北海道の道東に住んでいたので、こうしたヒグマの記事を見ると、懐かしく感じる。石狩浜では浜茄子の花が見ごろになったようだ。阿寒湖周辺には新しいリゾートホテルも建設されることになった。岩手も四国4県を合わせた広さがあるので、確かに広く、北上川沿い以外は集落と集落の間隔があり、北海道と似た感じがある。しかし、北海道は集落と集落の間隔だけでなく、田園地帯では、家と家の間隔がかなりある。孤立した家が散在する。学校から帰った子供たちにとって、隣家へ行くのさえ困難だ。結果として、子供たちは日常の大部分を家族とだけ接することになる。北海道へ移住して3世代目になる人たちが、移住元の方言をそのまま使っている場面に何度も出会った。岩手や徳島の言葉も聞いたことがある。岩手同様に自然が大きく広がるが、その自然は雄大さが特徴で、自然の豊かさでは岩手の方が上回っているように思う。寒さが厳しいので、動植物もそれに耐えられる限られた種類しか育たない。関東と北海道の間にある東北の、その東北のまた中間にある岩手が気候的にも動植物の生育には一番適しているように感じる。夏は暑すぎず、冬も寒すぎない。温暖な気温が長く続くので、あれだけ豊富な植物が育つのだろう。ほぼ同じ緯度にある秋田となると、日本海側になるため、冬の雪が多くなる。釜石は沿岸に暖流も流れて来るため、冬は県内でも内陸ほどには気温が下がらない。長く住んだ北海道や生まれ育った四国を思うと、尚、釜石の気候の良さを強く感じる。
個人の家の庭先で見かけたラベンダー

原発事故は今も収束していない

2013-06-26 19:20:56 | 社会
午前中は日も射していたが、午後には曇って来た。予想最高気温は29度であったが、24度程度までしか上がらなかった。先日、久しぶりに巨匠にお会いした。今年はやはり熊の出没が多いようだ。巨匠のお話では、山の実りが悪いために、熊が里近くへ出てくるのではなく、子熊の段階で、親熊から教えられているのではないか、と言うことだ。親熊と里近くの餌にありついた子熊が、大きくなってもその記憶があるため、成獣となっても、単独で里へ近くずくのだ。ひとたび里の味を占めた熊は危険なので、駆除の対象となる。熊の数自体も増えて来ている。 岩手の地元紙である岩手日報には今でも毎日、県内各地の放射線量が載せられている。沿岸部は内陸の2倍の高さが続いている。沿岸部と東京がほぼ同レベルだ。東京電力福島第一原発の1号機から3号機までは燃料棒が溶け落ちてしまった。いわゆるメルトダウンだ。しかし、これも正確にはメルトスルーと言われる。高温の核燃料棒が溶けて、格納容器を抜け落ちてしまっているからだ。1979年の米国スリーマイル島原発事故では溶けた核燃料棒は格納容器内に留まっていた。それが判明するのに3年の時間を要した。溶けた核燃料を取り出すには11年の歳月を経ている。福島第一原発では、地下にまで高温の溶けた核燃料棒が達している可能性が高い。流し続けている冷却水も地下水となり、汚染された状態のまま海に流れ出ているだろう。原発のあるそばの港内では海水の放射線量が高く、同じく線量の高い魚も認められている。汚染された海水は海流に乗って北へ流れている。太平洋の多量の海水で薄められている一方で、魚介類を介して濃縮も行われている。釜石近辺や釜石と同じ線量の東京などでは除染も行われていない。そこに存在する動植物がやはり放射性物質の濃縮機能を果たす。事故を起こした原発はその事故処理でさえ長い年月と高額の費用を要する。さらに人を含めた環境への影響は、セシウム一つとっても30年という半減期を要するほどに、長く続いて行く。原発事故による放射性物質の生物への影響はすぐには現れないだけに、忘れられやすく、事故を起こした当事者も責任意識が薄い。現政権は、原発の再稼働に向けて着実に準備を進めている。
通勤路の開き始めた紫陽花

恐竜たちのいた日本列島は・・・

2013-06-25 19:20:53 | 歴史
今日も昨日に続いて朝からよく晴れた日になった。日中の気温は26度まで上がった。日陰にいるといい風が吹き、今程度であれば凌ぎやすい。昼休みに日射しの中を歩いていると汗が滲んで来た。そんな中でも近くからはウグイスの声が聞こえて来る。後一月もすればさらに暑い夏になってしまうだろう。既に通勤途中のあちこちで夏の花である立葵の花を見るようになった。庭の幾種類かの百合たちも蕾を大きく膨らませて来た。空には積乱雲も見られるようになった。昨夜半には家の近くの小高い山の上に月が輝き、開けた窓から気持ちのいい風が吹き込んで来た。黒い山のシルエットを見ていて、また、生家の縁側で見た月を思い出した。生家の近くにもやはり小高い山があった。 福井県勝山市で2008年に1億2千万年前の地層から恐竜の爪の化石が発掘され、このほど福井県立恐竜博物館の発掘チームによって、この化石が、ダチョウ型恐竜「オルニトミモサウルス類」の指先の骨であることが発表された。日本列島は2000万年前にユーラシア大陸から分離された。従って、この化石はまだ日本列島が大陸の一部であったころに闊歩していた恐竜の化石だ。同じ化石は既に群馬県神流町や熊本県御船町でも見つかっている。長い首、発達した長い後脚を持ったオルニトミモサウルス類は雑食性で、時速70km以上で走ることが出来た。より大型の肉食恐竜から逃げるために進化した。日本列島でこれまでに発見された最も古い地層は2010年に発掘された茨城県常陸太田市長谷町の茂宮川の最上流部にある地層で、5億1100万年前のものだ。7000万年前にインド・オーストラリアプレートとユーラシアプレートが衝突して現在のエベレストが出来た。インドとオーストラリアは一つの大陸であった。インドはユーラシア大陸とは分離されていた。当時インド・オーストラリアプレートは年間15cmと言う早いスピードで北上し、ユーラシアプレートの下に潜り込むような形で衝突した。この際、海底が持ち上げられて、エベレストが形成された。エベレスト山頂からは現在、その海底にあった生物の化石が発見されている。オルニトミモサウルス類が闊歩した時代や茨城県で発見された地層の時代には、従って、インドはまだユーラシア大陸とは離れていた。逆に、日本列島はユーラシア大陸の一部であった。
通勤路で見た立葵

アイスランド

2013-06-24 19:14:22 | 社会
久しぶりに朝から青空が広がり、釜石ブルーが見られた。家の近所や職場近辺でもウグイスが鳴いていた。シジュウカラなどの他の小鳥たちの声も聞こえてきた。やはり、晴れた方が小鳥たちの声が多く聞こえてくる。虫たちが活発に動くようになるからだろう。風は今日も清々しい。昼には、しかし、気温が25度まで上がり、少し日射しの中で身体を動かすと汗が流れた。 先日、米国NSAの情通信活動を暴露したエドワード・スノーデン氏が当初亡命を希望したアイスランドは普段あまり触れることのない国だ。2008年の世界金融危機で債務不履行となったことで知られたくらいだ。あらためてこの国のことを調べてみると、意外にも興味が惹かれる点の多い国だった。一般に米大陸発見は1492年にコロンブスによってなされた、とされて来たが、実際は1000年にアイルランドのバイキングであるレイフ・エリクソン( Leif Ericson)によって既に発見されており、一旦はバイキングたちが住み着いたようだ。ただ、原住民との関係から、その後は再びアイスランドへ引き上げてしまったようだ。カナダ東部、ニューファンドランド・ラブラドール州のニューファンドランド島最北端のランス・オ・メドー(L'Anse aux Meadows)遺跡からバイキングたちの入植跡が1960年に発見された。鍛冶や溶鉱炉、造船のための製材所などがあった。レイフ・エリクソンたちのこの新大陸への航海はアイスランドの散文である「サガ」に書かれていたが、あくまでも伝説だとされて、史実とは見做されていなかった。アイスランドは北海道と四国を合わせたくらいの広さで、火山地帯でもあり、欧州随一の露天風呂がある。同じ緯度にあるフィンランドやスウェーデン北部が真冬にマイナス20度まで下がるのに対して、アイスランドはマイナス5度程度しか下がらない。ノルウェー人とスコットランド、アイルランドのケルト人などの移民で構成されたアイルランドは早くも930年に「アルシング」と呼ばれる議会で合議する民主的な自治を開始している。その後、ノルウェーやデンマークに支配されたが、1944年に共和国として独立して以来、再び、「アルシング」が復活している。人口は32万人ほどだが、産業面で旧来の水産業から金融・不動産へシフトし、一人当たりGDPは世界第5位にまでなっていた。しかし、この金融へのシフトが2008年の世界金融危機で大きな負債を抱え込むことになった。電力のほとんどが水力と地熱によるもので、新エネルギーの導入にも積極的な姿勢を見せている。小さな国だからこそ可能な利点を生かして、新しい産業や政策に積極的に取り組んでいるようだ。
甲子川沿いで開き始めた柏葉紫陽花

もう少しで釣りの季節になる

2013-06-23 19:22:05 | 自然
午前中は曇っていたが、昼前から青空が広がり、午後はよく晴れてくれた。清々しい午後になった。今日のような天気がある意味で釜石らしい良さなのかも知れない。甲子川沿いの土手を歩くととても気持ちがいい。来月には釣りが解禁となる。三陸沿岸部の川では甲子川が唯一入漁料を取らない。山女や岩魚、鮎などが釣りの対象となる。家から直線で50mほどしか離れておらず、その甲子川へ出たばかりのところで、それらの魚が釣れてしまう。以前にはその辺りよりさらに上流まで鮭が上って来ていた。いずれの魚種も毎年稚魚が放流されて来た。甲子川の支流に入ると中には天然物も混じって来る。天然の鮎はお腹が黄色く変色している。鮎は川底の藻を食べるため、川によって藻が異なり、鮎の美味しさも変わって来るようだ。まだ釜石では鮎釣りだけはやっていないが、毎年、見ていると専用の釣り竿で友釣りをしている。胴長を履いて、川の中に入り、糸を垂れている。もうすぐそんな光景が見られるようになる。気温ももう少し上がって来るだろうから、川の水に入れば気持ちがいいかも知れない。釣りは好きな方だが、震災後はあまり釣りをやりたいと言う気持ちが起こらない。やはり、放射性物質のことも気になる。せっかく釣り上げた魚は食べてやらないと可哀想に思えるので、尚更なのかも知れない。以前、匠の方たちと甲子川の支流奥深くへ入って、立派な天然の岩魚を釣り上げたりした。そんなこともあって、それ以来、近くの甲子川ではあまり釣りをする気もなくなってしまった。ただ釣りの醍醐味だけは、釣った後、魚を放してやれば、味わうことが出来るので、今年は少し、近くの甲子川で釣りをやってみようと考えている。イクラを使えば簡単に山女が釣れてしまう。震災前は海岸や港の防波堤でも海釣りをする人たちをたくさん見かけたが、震災後は釣り人の姿がずっと少なくなった。釜石は、しかし、その気になれば、釣り人にとっても天国のようなところだ。海や街中の川、奥山の清流などどこへ行っても釣りを楽しむことが出来る。甲子川の支流である小川川の上流に造られた日向ダムでも山女やニジマスなどを釣ることが出来る。もっとも、ここは釣り人が熊に襲われたりした場所でもあるので、注意が必要だが。釣り好きの人は通勤時の車に常に釣り竿を載せて、いつでも機会があれば釣れるようにしている。釜石はほんとうに自然を簡単に楽しむことの出来る街だ。
庭の満開のツツジ

豊かな三陸の食材

2013-06-22 19:19:51 | 社会
日中は曇天が続き、気温も19度までしか上がらなかった。庭のツツジがほぼ満開になった。雪の下も咲いている。今朝はスカシユリが開いた。庭の地面を見ていると様々な虫が動めいている。枯葉が落ちて、土壌も豊かになっているのだろう。木々の葉もよく見ると、虫が食べたために欠けてしまったところがある。虫がたくさんいるから小鳥たちもたくさんやって来る。今日は犬たちの囲いの中にまでシジュウカラがやって来て、犬たちの身体から落ちた毛をせっせと集めていた。釜石へ来て、ウニやシラス、秋刀魚などのほんとうの美味しさを知った。昨日、関連施設へ応援に行った際、大槌町生まれの方からカツオの刺身が釜石よりも秋の気仙沼市のものの方がずっと美味しい、と言うことを教えていただいた。何故だか理由は分からないそうだ。しかし、確実に気仙沼のカツオの刺身が美味しいと言う。あまり食べ物にこだわりはないが、釜石では新鮮な海産物を口にして、魚のほんとうの味をいくつか知った。秋の秋刀魚などは毎日でも食べたくなるほどだ。残念ながら、震災後は釜石港での水揚げが激減している。昨年は鮭もかなり少なかった。釜石近辺の海の環境が大きく変わったのか、一時的なものなのか分からないが、是非、もとのような海に戻って欲しい。釜石では外部から来た人に勧められるものはやはり海や山の豊かな食材だろう。その日にとったものをその日のうちに口にした時、その食材のすばらしさが分かる。どれほど冷凍技術が進んでも、産地から遠く離れたところで口にすれば、味は間違いなく落ちてしまう。岩手は来てみると、牧畜も盛んで、黒毛和牛をたくさん育てている。美味しい牛肉も食べることが出来る。しかし、これらも震災後の放射性物質の拡散で何らかの影響を受けてしまった。椎茸を栽培して生計を立てている人も多く、そうした人たちはかなり影響を受けた。道路や海岸、建物の復興に力が入れられているが、三陸の良さは豊かな食材にある。その食材の「復興」は忘れられているようだ。
今朝開いたスカシユリ

国家の個人情報収集活動

2013-06-21 19:15:02 | 社会
今日も山背が海岸から押し寄せ、雨雲が流れる日になった。気温は20度までしか上がらない。小雨が降った午前中は、鳥の声もあまり聞こえて来なかったが、昼頃からは雨も上がり、小鳥たちの声が聞こえて来るようになった。釜石では被災した地域に大型チェーン店が進出してくることになったが、そこに出店する地元の商店を募っても応募がほとんど見られず、700名の従業員の募集にも人が集まらない。このチェーン店の進出に対抗して、釜石にあったスーパーが店舗を新たにし、やはり、従業員を募ったが、同じく、人が集まらない。釜石市は住民登録上は3万人を超える人口となっているが、実際は2万5000人くらいに減っているのではないか、と言われる。復興や支援関係の人たちが多く、日常的に他府県ナンバーの車を見かける。 今月6日、英国ガーディアン紙The Guardianが、米国国家安全保障局(NSA)が、犯罪とは無関係な何百万という一般米国市民の通話記録やインターネット上の情報を収集していると報じた。翌7日には米国ワシントンポスト紙The Washington Postが、2007年にNSAが開発した「PRISM(プリズム)」と呼ばれるプログラムによって、Eメール、インターネット通話、画像、動画、ファイル転送、ソーシャルネットワーキングのデータを大手インターネット企業から入手している、と報じた。このインターネット企業にはマイクロソフト、グーグル、フェイスブック、アップル、ヤフー、スカイプ、YouTube、PalTalk、AOLなどの米国企業の他に中東やイスラム教徒の間で人気のチャットサービス「パルトーク」を運営するA.V.M.ソフトウェアが含まれている。1952年に設立されたNSAは過去数十年の間、エシュロンEchelonと呼ばれる通信傍受システムによって、世界中の通話やデータ通信を収集して来た。今月15日の英国エコノミスト紙The Economistは今回報じられたNSAの情報収集が専門家の予想をはるかに超える規模であること、諜報機関と関係する米国元高官の「違法すれすれのプログラムの存在が今後ますます明らかになるだろう」と言うインタビュー記事などを載せている。情報通信やそのセキュリティの分野で遅れをとっていた日本も今、2015年に現在の内閣官房情報セキュリティセンター(NISC)を、サイバーセキュリティセンターに改組して、日本版NSAを作ろうとしている。また、今月7日政府は米国の国家安全保障会議(NSC-National Security Council)に倣った日本版NSC創設のための関連法案を閣議決定している。テロを含めた犯罪の防止を名目に国家が自国民の個人情報や他国の情報通信を収集する。インターネットやGPSの広がりは、国境やプライバシーをも容易に侵害する一面を持っている。国家機密の名で情報が開示されないため、どこまで情報が収集されているのか国民には知らされない。今回のNSAの情報通信収集活動を告発した29歳の元CIA技術者エドワード・スノーデンEdward Snowden氏は北欧のアイスランドへの亡命を希望している。アイスランドはウィキリークスWikiLeaksの提案に沿って世界で最も報道の自由が保障された国になるための法案づくりを行なっている。メディアなどに情報を提供・公開した人を保護し、報道の自由や情報公開を促進する政策を行なおうとしている。
人に顧みられることのない道端の赤詰草