時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

ゲオルク・ハイム:「不安な時代」の詩人

2009年05月08日 | 書棚の片隅から

Georg Heym. Umbra Vitae (1962年版)表紙(上掲) 





  ザーリュブリュッケンの記憶をさまよっていると、思いがけないことへ連想の糸がつながった。なにが、キーワードになったのか。「大不況」、「新型インフルエンザ」、「不安の時代」? とにかく、完全に忘れ去っていたことが突然記憶に浮かんできた。ゲオルク・ハイムという詩人のことである。
 
 1970年代、ザールブリュッケンの大学に勤務していた友人が、20世紀初めドイツ表現主義の詩人ゲオルク・ハイム Georg Heym (1887- 1912) の詩集 Umbra Vitae「人生の陰」を贈ってくれた。多少見直したいこともあり、
書庫の片隅に眠っていた冊子を見つけ出す。

 このハイムの詩集は小冊子だが、同じ表現主義の画家を代表するエルンスト・ルードウィッヒ・キルヒナー Ernst Ludwig Kirchner のモノクロ木版画holzschnitten と併せて構成されている。キルヒナーは、ハイムの死後まもなく、その作品に魅せられ、それぞれの詩にふさわしい木版画を制作し、自ら詩集の編纂を行った。キルヒナーはもとより、詩人ゲオルク・ハイムの名がどれだけ日本で知られているか、はっきりは分からな
い。しかし、多分一部の愛好家、専門家を除き、ほとんど知られていないと思った方がよいだろう。キルヒナーのことは多少ブログに記したことはあるが、ハイムについてはその時も思い出さなかった。 

 ハイムの詩は、ドイツ表現主義の詩の中で最も完成度の高い作品のひとつとされている。代表的な詩 Umbra Vitae は1912年頃に書かれた。作品はドイツ表現主義の特徴として、この時代特有の暗く陰鬱なトーンに充ちている。詩集には40近い作品が収められているが、ほとんどに当時の社会に潜むさまざまな不条理、矛盾への不安、恐れ、怒りなどが込められている。

 Umbra vitae は、この詩集の最初に置かれている。詩の構成や使われている言葉は、普通の詩とあまり変わりない。しかし、詩に込められた含意を把握するのはかなり難しい。最初読んだ時は、ドイツ語の実力も不足しており、友人の解説に助けられて、なんとか概略を把握したような状態だった。今読み返してみても、やはり難しい。しかし、その後の知識が多少深まったためか、以前よりはかなり理解できるような気がする。なによりも、現代の「不安な時代」に重なる部分がきわめて多く、不思議と胸に迫ってくるものが多い。

Die Menschen stehen vorwärts in den Straßen
Und sehen auf die grossen Himmelszechen
Wo die Kometen mit den Feuernasen
Un die gezackten Türme drohend schleichen.

 Umbra vitaeは上のようなスタンザで始まる。 訳をつけることは専門外、力不足でとてもできないが、詩文全体から受けた漠とした輪郭を感じたままに記してみよう。最初の一節から明らかなように、異様な感じである;

 人々は街路に前のめりに立ちすくんで、天空の大きな兆しを凝視している。その先には、火の尾をつけた彗星が、夜空にぎざぎざと聳える建物を脅かすかのようにはい上がって行く。家々の屋根は星を見つめる人たちで溢れんばかりで、望遠鏡を空へ突き出している。魔術師たちも立ち上がり、星を探し求めている。

 黒衣をつけた病魔が家々の入り口に忍び入り、病人があたりに横たわり、自殺を求める者は深い闇に入ってゆく。誰も失われた自身を求めてあちこち彷徨し、さまざまな武器で箒のように、病や災厄を払いのけようとしている。人間は死の兆しを感じてか徘徊し、死者は野原に埋葬される。動物も茨や藪に埋められる。陸ばかりか海もどんよりと淀み、船も朽ちて波間に行方定まらず漂う。木々も季節が変わるごとに枯れ、長い指のような枝を広げ、倒木として道を塞ぐ。

 死に行く者は立ち上がろうとするが、突然死んでしまう。命はどこに。その目は曇ったガラスのように、暗く陰鬱だ。目覚めている者も悲しみにうちひしがれ、重い悪夢から覚めようと青ざめたまぶたをぬぐう。

 このように作品を覆うのは、なんともやりきれない不安と陰鬱な雰囲気だ。ある部分は詩人の生きた時代の描写であり、悪夢の一部のような所もある。実際、1910年にはハレー彗星が戻ってきた。予期しないことも起きた。彗星が地球に衝突するかもしれないと予想した天文学者もいたほどだった。この詩を読むと、社会が暗い時代を迎え、あたかも滅亡の淵にあるような印象さえ受ける。そして未来への言いしれぬ不安が伝わってくる。前途に何が待ち受けているのか。今年はガリレオ・ガリレイが自作の望遠鏡で、初めて天体観測を行ってから400年目に当たるという。不思議なつながりも感じる。

 ハイムのこの詩が、20世紀初頭の時代的様相をどれだけ反映したものか、あるいは彼が何度も見たという悪夢を描いたものか、よく分からない。実際には両者が渾然一体となって生まれたのだろう。

 この作品が創られてまもなく、ハイムは友人と二人で湖上でのスケートをしている間に、氷が割れて冷たい水中に呑み込まれ、不慮の死を遂げた。24歳という若さだった。さらに、ハイムはこれより1年半ほど前に、この出来事を予感させるような奇妙な夢を見たことを記していた。  

 そして、ハイムの死後まもなく、1914年7月にはオーストリアはセルビアに宣戦布告し、戦渦は次々と各国を巻き込み、第一次大戦に拡大、1918年のドイツ降伏、翌年のヴェルサイユ条約締結による講和成立まで暗黒の時代をもたらした。  

 この作品、全体の印象はきわめて陰鬱だが、まったくの絶望で終わっているわけではないように思える。最後の一節には、重いまぶたをぬぐい、なんとか目の前に光を見出そうとする兆しのようなものが感じられる。ハイムの生きた時代の後、世界は2度の大戦を経験した。イラクやパレスチナの戦渦は絶えることなく続いている。ハイムの見た夢は消えてはいない。

 
  




*
Umbra vitae. Nachgelassene Gedichte. Mit 46 Holzschnitten von Ernst Ludwig Kirchner, Insel-Bücherei. no. 749, 1962.

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