大倉草紙

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【京都】 光明寺

2008年09月28日 20時04分03秒 | 旅 - 京都府
6月28日(土)
当日の行程:(車) → 【石清水八幡宮】【淀城跡】 → 【與杼神社】【天王山】…(宝積寺)…(自玉手祭来酒解神社)…(大山崎町歴史資料館)【勝竜寺城公園】【長岡天満宮】【光明寺】【大原野神社】【勝持寺】【願徳寺】【善峯寺】【長岡宮跡】【桜井駅跡(楠木正成伝説地)】


   
                   総門

光明寺がある粟生広谷は、浄土宗を開いた法然上人が、初めて念仏の法門を説いた地として知られる。
光明寺は、建久九年(1198)、熊谷次郎直実(蓮生法師)によって創立され、法然上人を開山第一世と仰いでいる。

総門は天保16年(1845)の建立。
総門の先には、なだらかで、長い石段が続く。


   
                  御影堂

御影堂は、火災によって幾度も焼失している。
現在ある御影堂は、宝暦4年(1754)に再建されたもの。


   
  法然上人立教開宗之像          法然上人袈裟掛之松

法然上人立教開宗之像は、法然上人43歳、専修念仏の最初の教えを説いたときの姿を表しているという。
経蔵の前には、法然上人袈裟掛の松もある。


   
               圓光大師御石棺

圓光大師とは法然上人の大師号。
この石棺は、御影堂の右手前にある。

法然上人は、建暦2年(1212)に亡くなり、京都、東山の大谷に埋葬された。
比叡山の僧たちが、上人の墓を暴こうとしていることが発覚し、それを知った上人の弟子たちは密かに石棺を持ち出し、 嵐山の二尊院、さらには、太秦の西光寺へと移したのだそうだ。
そんなある日、石棺から光明が放たれ、その光を追っていくと、粟生野の地を照らすという不思議なことが起こる。
そこで、上人と深い因縁のある粟生野で荼毘に付し、裏山に遺骨を埋葬したのだという。


      
     圓光大師御本廟の入口            本廟への階段

圓光大師御本廟は、御影堂の裏手にある。
圓光大師御本廟までは、長い階段が続く。
入ることはできなかった。


   
               光明寺のてぬぐい


          
               光明寺の御朱印