大倉草紙

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【京都】 大沢池附名古曾滝跡 (大覚寺)

2008年09月16日 18時58分02秒 | 旅 - 京都府
9月14日(日)
当日の行程:(JR・瀬田駅~帝産バス・文化ゾーン前) → 【葛飾北斎展~こんなに楽しい!HOKUSAIワールド~(滋賀県立近代美術館)】 → (帝産バス・文化ゾーン前~瀬田駅前)…(JR瀬田駅~京都駅)…(京都市営バス・京都駅前~嵐山公園)…(徒歩) → 【観月の夕べ(大覚寺)】 【大沢池附名古曾滝跡(大覚寺)】


大覚寺で「観月の夕べ」が催された日、大沢池をぐるっとまわってみた。
以前、大覚寺を訪れたときに見ていなかった名古曾滝跡のことなどを、記そうと思う。


   
                 心経宝塔

心経宝塔は、本堂(五大堂)の北東に位置する。
昭和42年(1967)、嵯峨天皇心経写経1150年を記念して建立された。
弘法大師の尊像が安置されている。


   
                 五薀の碑

心経宝塔の前には、「五薀の碑」がある。
五薀とは、色薀(物質・肉体)、受蘊(感覚・知覚)、想薀(概念の構成)、行薀(意志・記憶)、識薀(認識作用)の5つ。
人間の肉体と精神を5つの集まりに分けて示したもの。


   
                  護摩堂

   
                   石仏

心経宝塔の前には、護摩堂や石仏がある。
石仏は、鎌倉時代のもの。
すぐそばに、朱に塗られた橋が見える。
この橋は、大沢池の天神島へつながっている。


   
                天神島への橋

天神島は、祠といくつかの石碑がある小さな島だ。


   
        嵯峨碑                  茶筅塚

   
                嵯峨天皇歌碑

「与海公飲茶送帰山一首 嵯峨天皇詠
   道俗相分経数年
   今秋晤語亦良縁
   香茶酌罷日云暮
   稽首傷離望雲烟」

道俗(どうぞく)相分(あいわかれ)数年を経たり
今秋晤語(ごご)するも亦良縁なり
香茶酌み罷(やす)みて日云(ここ)に暮れる
離(わか)れを傷み雲烟(うんえん)を望む

久しぶりに空海と歓談した嵯峨天皇が、高野山へ帰っていく空海をいつまでも見送っている情景を詠んだ歌。


   

心経宝塔のほうまで戻り、大沢池の周りを右回りに歩く。
池の北側、名古曾滝跡の近くで、「大覚寺野外展」が開かれていた。
京都嵯峨芸術大学の学生の作品なのだそうだ。

          

こちらの作品のタイトルは「ツキミ」。


   
             名古曾滝跡全体整備図

図は、左手が北。
図の下の方向(西)に心経宝塔が、右手(南)に大沢池がある。
中央よりやや左側、茶色で示された縦に走るラインは、「中御所築地塀跡」。
中御所築地塀跡の右側の水色の部分は、「平安の遣水」。
中御所築地塀跡の左側の水色の部分は、「中世の遣水」。
中世の遣水の左端が「名古曾滝跡」である。


   
                 平安の遣水

平安の遣水は、平安時代初期には、名古曾滝から大沢池まで蛇行して続いていたらしい。


          
               中御所築地塀跡

鎌倉時代、大覚寺に後宇多上皇が入寺し、院御所を営んだ場所が中御所。
発掘調査では、中御所の南の築地塀の跡と思われる遺構が見つかっている。


   
                中世の遣水

後宇多上皇が大覚寺を復興した際に、涸れていた名古曾滝や遣水の一部が改修整備された。
やがて、滝の石組みを僅かに残して土に埋まってしまうのだが、これは、陶磁の中世の遣水を復元したもの。


   
                名古曾滝跡

「瀧の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ」
という藤原公任を記した札が、傍らに立っている。
現存する日本最古の滝組だという。


   
                  菊ガ島

平成の遣水が大沢池に流れ込む辺りに、菊ガ島はある。
小さな、小さな島だ。


          
                紀友則の歌碑

「大沢の池の形に 菊植へたるを よめる
一本(ひともと)と思ひし花を大沢の池の底にも誰か植ゑけむ」
菊島という名は、紀友則のこの歌に因むという。


   
                 庭湖石

菊ガ島の隣にある「庭湖石」は、巨勢金岡が配置したといわれる。
この辺りは、蓮が多い。
蓮の名も、「名古曾」というそうだ。


   
               臼井喜之介詩碑

   花を惜しむこころは
   いったい何なのだらう
   いくつ齢をかさねたら
   心はしづまり
   ひとり酒汲む静寂に
   住むことができるのか
   今日も嵯峨御所から
   花信が舞ひこんできた

石に刻まれた文字は、大覚寺住職・味岡良戒師の筆によるもの。


   

臼井喜之介詩碑は、大沢池の東側にある。
ここは、大覚寺の境内の東端にあたる。
詩碑の向こうには、田畑が広がっていた。


   

対岸には、本堂(五大堂)の観月台が見える。


          
               鈴鹿野風呂句碑           


   
                平田春一歌碑

「紅を 少しのぞかせ ふっくらと
 椿のつぼみ 只の一輪」


          
                島田保子歌碑


   
                茶席「望雲亭」

池を廻る道は、大沢池の南西側、「望雲亭」の脇に通じる。
この茶席の名は、先に挙げた嵯峨天皇の漢詩の中から名づけられたそうだ。

池の周りは約1キロメートル。
月を待つあいだの、よい散歩になった。