大倉草紙

旅の記録 食の記録 日々の記録

【京都】 勝竜寺城公園

2008年09月24日 19時36分53秒 | 旅 - 京都府
6月28日(土)
当日の行程:(車) → 【石清水八幡宮】【淀城跡】 → 【與杼神社】【天王山】…(宝積寺)…(自玉手祭来酒解神社)…(大山崎町歴史資料館)【勝竜寺城公園】【長岡天満宮】【光明寺】【大原野神社】【勝持寺】【願徳寺】【善峯寺】【長岡宮跡】【桜井駅跡(楠木正成伝説地)】


          
               勝竜寺城模擬櫓

天王山に登ったあと、山崎合戦で明智光秀が本拠とした勝竜寺城の跡に行ってみることにした。

勝竜寺城は、暦応2年(1339)に、細川頼春が築城したと言われる。
南北朝時代の動乱期、北朝方の前線基地としての役割があったという。
その後、応仁の乱の時には畠山義就の拠点となる。
戦国時代になると、西岡一帯を織田信長より与えられて城主となった細川藤孝(幽斎)が、堅固な城に改修した。

勝竜寺城は慶安2年(1649)に廃城となったが、平成4年(1992)に本丸および沼田丸跡が整備され、勝竜寺城公園として復興した。
模擬櫓は、資料館になっている。


   
                ガラシャ通り

勝竜寺城は、明智光秀の娘・玉(のちの細川ガラシャ)が、細川忠興に嫁いだ城。
勝竜寺城公園の前の通りは、「ガラシャ通り」と名付けられている。
公園ができた平成4年(1992)から毎年11月の第2日曜日に、「長岡京ガラシャ祭り」が開かれているそうだ。
ちなみに、本能寺の変のあと、忠興によってガラシャが幽閉された丹後市の味土野では、毎年5月の第2日曜日に「ガラシア祭」を行っているという。


   
       勝竜寺城公園内の細川忠興・玉(ガラシャ)像

   
             ガラシャおもかげの水

勝竜寺城公園内にある「ガラシャおもかげの水」は、地下水100%の水道水。
細川ガラシャも勝竜寺城内の井戸の地下水を飲んでいただろうという思いから、「ガラシャおもかげの水」と名付けたそうだ。


   
                本丸井戸跡

井戸跡は、本丸内から4ヶ所で見付かっている。
そのうち、この井戸を含めて3ヶ所が、細川藤孝が城を改修した時のものだったそうだ。
発掘調査の際にも、水が沸いていたらしい。
積み上げられた石の中には、石仏や五輪塔などが含まれていたとのこと。


   
                 北門跡

山崎合戦に敗れた明智光秀は、北門から逃げたといわれる。
坂本城に逃げ帰る途中、小栗栖(京都市伏見区)で土民に襲われて命を落とした。光秀の重臣・三宅綱朝が勝龍寺城を守ったが、ほどなく落城する。


勝竜寺城公園は、よく整備されていた。
雨だったせいか、近所の猫が散歩している以外は、すれ違う者はいなかった。
孔雀の小屋があったが、何か謂れがあるのだろうか。