6月22日(日)
当日の行程:(JR長浜駅) → 【長浜城(長浜市長浜城歴史博物館)】 → (JR長浜駅~彦根駅) …(車) → 【彦根城】 → 【安土城跡と見寺】 → 【園城寺(三井寺)】 → 【近江大津宮錦織遺跡】 → 【露国皇太子遭難之地】
「本日のひこにゃん」の看板
ひこにゃんの特別住民票
このところ、豪雨のニュースをよく耳にする。
昨日(9月3日)も、滋賀県内は激しい雨が降ったようだ。
テレビをつけていると、「記録的短時間大雨情報」の速報が何度も入ってきた。
彦根城を訪れた日も、雨が降っていた。
けれど、空模様とは関係なく、彦根城は賑わっていた。
ひこにゃん効果であろうか。
先日発売された「ひこにゃん切手」は、即日完売だったという。
えらい人気だ。
彦根城は、どこへ行ってもひこにゃんだらけ。
ちょっと鬱陶しいほどである。
かわいいんだけれど。
ひこにゃんの1日の労働時間は1時間半。
動いているひこにゃんに出会うことはなかった。
天守閣(国宝)と親善都市水戸の梅 天守閣の中(天井)
太鼓門櫓方面から見た天守閣。
天守閣の前には、親善都市水戸の梅が植えてある。
敦賀市の仲介によって、彦根市と水戸市は親善都市提携を結んだという。
昭和43年というから、桜田門外の変から108年後のことだ。
彦根城の天守閣は、建築当時の姿を留めている。
天井梁には、曲がった木がそのまま用いられていて、とても美しい。
天秤櫓(重要文化財)
天秤櫓(案内板より)
天秤櫓は、上から見ると「コ」の字型をしていて、両隅に2階建ての櫓が設けられている。
上のほうの写真では天秤櫓の左側しか写っていないが、全体像は案内板の写真のようになっている。
この形から天秤櫓と呼ばれるようになったそうだ。
天秤櫓が築かれたのは彦根城築城から数年後のこと、長浜城の大手門からの移築であるという。
その後、幾度か修理が重ねられてきたのだが、中でも嘉永7年(1854)の修理は大規模で、石垣まで積み替えられたそうである。
向かって右側の石垣が築城当初からの「牛蒡積み」で、左手に石垣が寛永年間に積み替えられた「落し積み」になっている。
彦根城内堀
黒門から出て、楽々園の手前で振り返った風景。
石垣が美しい。
楽々園の御書院
楽々園の地震の間
黒門から出て内堀を越えると、楽々園がある。
楽々園は、江戸時代には「槻御殿(けやきごてん)」と呼ばれた彦根藩の下屋敷。
延宝5年(1677)、4代藩主井伊直興によって造営が始まり、2年後に完成した。
文化12年(1815)井伊直弼もこの屋敷で生まれた。
楽々園には、地震の間もある。
その名の通り、地震のときに逃げ込むための部屋である。
日常はお茶座敷として使われていたようだが、耐震設計が施されているそうだ。
玄宮園
玄宮園と彦根城
玄宮園は、楽々園の東側に隣接している。
井伊家旧下屋敷の大名庭園。
中国唐時代の玄宗皇帝の離宮をなぞらえて命名された。
作庭は、中国の瀟湘八景(しょうしょうはっけい)あるいは近江八景を模しているという。
下の写真にあるように、彦根城天守閣を借景としている。
玄宮園を出て、彦根城博物館へ向かうまでの間に目にしたものをいくつか。
井伊直弼大老像
井伊文子の歌碑
「一身に背負いまして立ちましし大老ありてこそ開港はなりぬ」
歌人・井伊文子さんは、16代当主で元彦根市長の井伊直愛さんの妻。
琉球国王であった尚泰の曾孫でもある。
花の生涯記念碑
舟橋聖一の小説『花の生涯』では、井伊直弼の波乱に富んだ一生を描いている。
この小説は、映画や演劇にもなった。
NHKのドラマで取り上げられると、『花の生涯』ブームが起こり、この碑は、それを記念して昭和39年に建てられたそうだ。
そんなブームがあったとは。
『花の生涯』が大河ドラマの第1作目なのだと知って、なんだかすごいことのような気がしてきた。
二季咲桜
冬(11月から1月)と春(4月から5月)の年に2回開花する桜。
昭和47年4月に、水戸市から寄贈されたものとのこと。
では、水戸には何があるのだろうと気になった。
水戸市には、彦根市から贈られたコブハクチョウがいるらしい。
そうか、確執はもう残っていないのか、と安堵するのは早い。
今年の春に、桜田門外ならず、「千波湖の変」が起こっていたのだから。
千波湖は水戸にある湖。
そこにいる白鳥と黒鳥が、羽をむしられ、首の骨を折られ、なんと14羽も殺されていたそうだ。
千波湖に生息する白鳥は、彦根市と親善関係を結んだ際に贈られた白鳥が繁殖したものだという。
なんともひどく、悲しい話だ。
馬屋(重要文化財)
馬屋内部
馬屋は、表門を出て、内堀の外側に建っている。
建物はL字形をしていて、21頭の馬を収容することができたという。
彦根城博物館
井伊の赤備え
彦根城に隣接した彦根城博物館では、さまざまな大名道具や、復元された表御殿を見ることができる。
持ち帰りできる展示解説シートが置かれてあり、分かりやすい。
また、江戸時代から残る能舞台も設置されていて、ここでは能や狂言の上演もされているそうだ。
家老脇家屋敷跡
二の丸には、家老脇家屋敷跡がある。
屋敷跡の前には、小さな石碑が立っていて、次のような碑文が彫られていた。
「脇家は代々井伊家の家老にして
後裔に脇光三あり
明治三十六年四月十日蒙古にて死去行年二十五才」
帰る頃には、雨足も弱まった。
当日の行程:(JR長浜駅) → 【長浜城(長浜市長浜城歴史博物館)】 → (JR長浜駅~彦根駅) …(車) → 【彦根城】 → 【安土城跡と見寺】 → 【園城寺(三井寺)】 → 【近江大津宮錦織遺跡】 → 【露国皇太子遭難之地】
「本日のひこにゃん」の看板
ひこにゃんの特別住民票
このところ、豪雨のニュースをよく耳にする。
昨日(9月3日)も、滋賀県内は激しい雨が降ったようだ。
テレビをつけていると、「記録的短時間大雨情報」の速報が何度も入ってきた。
彦根城を訪れた日も、雨が降っていた。
けれど、空模様とは関係なく、彦根城は賑わっていた。
ひこにゃん効果であろうか。
先日発売された「ひこにゃん切手」は、即日完売だったという。
えらい人気だ。
彦根城は、どこへ行ってもひこにゃんだらけ。
ちょっと鬱陶しいほどである。
かわいいんだけれど。
ひこにゃんの1日の労働時間は1時間半。
動いているひこにゃんに出会うことはなかった。
天守閣(国宝)と親善都市水戸の梅 天守閣の中(天井)
太鼓門櫓方面から見た天守閣。
天守閣の前には、親善都市水戸の梅が植えてある。
敦賀市の仲介によって、彦根市と水戸市は親善都市提携を結んだという。
昭和43年というから、桜田門外の変から108年後のことだ。
彦根城の天守閣は、建築当時の姿を留めている。
天井梁には、曲がった木がそのまま用いられていて、とても美しい。
天秤櫓(重要文化財)
天秤櫓(案内板より)
天秤櫓は、上から見ると「コ」の字型をしていて、両隅に2階建ての櫓が設けられている。
上のほうの写真では天秤櫓の左側しか写っていないが、全体像は案内板の写真のようになっている。
この形から天秤櫓と呼ばれるようになったそうだ。
天秤櫓が築かれたのは彦根城築城から数年後のこと、長浜城の大手門からの移築であるという。
その後、幾度か修理が重ねられてきたのだが、中でも嘉永7年(1854)の修理は大規模で、石垣まで積み替えられたそうである。
向かって右側の石垣が築城当初からの「牛蒡積み」で、左手に石垣が寛永年間に積み替えられた「落し積み」になっている。
彦根城内堀
黒門から出て、楽々園の手前で振り返った風景。
石垣が美しい。
楽々園の御書院
楽々園の地震の間
黒門から出て内堀を越えると、楽々園がある。
楽々園は、江戸時代には「槻御殿(けやきごてん)」と呼ばれた彦根藩の下屋敷。
延宝5年(1677)、4代藩主井伊直興によって造営が始まり、2年後に完成した。
文化12年(1815)井伊直弼もこの屋敷で生まれた。
楽々園には、地震の間もある。
その名の通り、地震のときに逃げ込むための部屋である。
日常はお茶座敷として使われていたようだが、耐震設計が施されているそうだ。
玄宮園
玄宮園と彦根城
玄宮園は、楽々園の東側に隣接している。
井伊家旧下屋敷の大名庭園。
中国唐時代の玄宗皇帝の離宮をなぞらえて命名された。
作庭は、中国の瀟湘八景(しょうしょうはっけい)あるいは近江八景を模しているという。
下の写真にあるように、彦根城天守閣を借景としている。
玄宮園を出て、彦根城博物館へ向かうまでの間に目にしたものをいくつか。
井伊直弼大老像
井伊文子の歌碑
「一身に背負いまして立ちましし大老ありてこそ開港はなりぬ」
歌人・井伊文子さんは、16代当主で元彦根市長の井伊直愛さんの妻。
琉球国王であった尚泰の曾孫でもある。
花の生涯記念碑
舟橋聖一の小説『花の生涯』では、井伊直弼の波乱に富んだ一生を描いている。
この小説は、映画や演劇にもなった。
NHKのドラマで取り上げられると、『花の生涯』ブームが起こり、この碑は、それを記念して昭和39年に建てられたそうだ。
そんなブームがあったとは。
『花の生涯』が大河ドラマの第1作目なのだと知って、なんだかすごいことのような気がしてきた。
二季咲桜
冬(11月から1月)と春(4月から5月)の年に2回開花する桜。
昭和47年4月に、水戸市から寄贈されたものとのこと。
では、水戸には何があるのだろうと気になった。
水戸市には、彦根市から贈られたコブハクチョウがいるらしい。
そうか、確執はもう残っていないのか、と安堵するのは早い。
今年の春に、桜田門外ならず、「千波湖の変」が起こっていたのだから。
千波湖は水戸にある湖。
そこにいる白鳥と黒鳥が、羽をむしられ、首の骨を折られ、なんと14羽も殺されていたそうだ。
千波湖に生息する白鳥は、彦根市と親善関係を結んだ際に贈られた白鳥が繁殖したものだという。
なんともひどく、悲しい話だ。
馬屋(重要文化財)
馬屋内部
馬屋は、表門を出て、内堀の外側に建っている。
建物はL字形をしていて、21頭の馬を収容することができたという。
彦根城博物館
井伊の赤備え
彦根城に隣接した彦根城博物館では、さまざまな大名道具や、復元された表御殿を見ることができる。
持ち帰りできる展示解説シートが置かれてあり、分かりやすい。
また、江戸時代から残る能舞台も設置されていて、ここでは能や狂言の上演もされているそうだ。
家老脇家屋敷跡
二の丸には、家老脇家屋敷跡がある。
屋敷跡の前には、小さな石碑が立っていて、次のような碑文が彫られていた。
「脇家は代々井伊家の家老にして
後裔に脇光三あり
明治三十六年四月十日蒙古にて死去行年二十五才」
帰る頃には、雨足も弱まった。