6月28日(土)
当日の行程:(車) → 【石清水八幡宮】 → 【淀城跡】 → 【與杼神社】 → 【天王山】…(宝積寺)…(自玉手祭来酒解神社)…(大山崎町歴史資料館) → 【勝竜寺城公園】 → 【長岡天満宮】 → 【光明寺】 → 【大原野神社】 → 【勝持寺】 → 【願徳寺】 → 【善峯寺】 → 【長岡宮跡】 → 【桜井駅跡(楠木正成伝説地)】
総門
光明寺がある粟生広谷は、浄土宗を開いた法然上人が、初めて念仏の法門を説いた地として知られる。
光明寺は、建久九年(1198)、熊谷次郎直実(蓮生法師)によって創立され、法然上人を開山第一世と仰いでいる。
総門は天保16年(1845)の建立。
総門の先には、なだらかで、長い石段が続く。
御影堂
御影堂は、火災によって幾度も焼失している。
現在ある御影堂は、宝暦4年(1754)に再建されたもの。
法然上人立教開宗之像 法然上人袈裟掛之松
法然上人立教開宗之像は、法然上人43歳、専修念仏の最初の教えを説いたときの姿を表しているという。
経蔵の前には、法然上人袈裟掛の松もある。
圓光大師御石棺
圓光大師とは法然上人の大師号。
この石棺は、御影堂の右手前にある。
法然上人は、建暦2年(1212)に亡くなり、京都、東山の大谷に埋葬された。
比叡山の僧たちが、上人の墓を暴こうとしていることが発覚し、それを知った上人の弟子たちは密かに石棺を持ち出し、 嵐山の二尊院、さらには、太秦の西光寺へと移したのだそうだ。
そんなある日、石棺から光明が放たれ、その光を追っていくと、粟生野の地を照らすという不思議なことが起こる。
そこで、上人と深い因縁のある粟生野で荼毘に付し、裏山に遺骨を埋葬したのだという。
圓光大師御本廟の入口 本廟への階段
圓光大師御本廟は、御影堂の裏手にある。
圓光大師御本廟までは、長い階段が続く。
入ることはできなかった。
光明寺のてぬぐい
光明寺の御朱印
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総門
光明寺がある粟生広谷は、浄土宗を開いた法然上人が、初めて念仏の法門を説いた地として知られる。
光明寺は、建久九年(1198)、熊谷次郎直実(蓮生法師)によって創立され、法然上人を開山第一世と仰いでいる。
総門は天保16年(1845)の建立。
総門の先には、なだらかで、長い石段が続く。
御影堂
御影堂は、火災によって幾度も焼失している。
現在ある御影堂は、宝暦4年(1754)に再建されたもの。
法然上人立教開宗之像 法然上人袈裟掛之松
法然上人立教開宗之像は、法然上人43歳、専修念仏の最初の教えを説いたときの姿を表しているという。
経蔵の前には、法然上人袈裟掛の松もある。
圓光大師御石棺
圓光大師とは法然上人の大師号。
この石棺は、御影堂の右手前にある。
法然上人は、建暦2年(1212)に亡くなり、京都、東山の大谷に埋葬された。
比叡山の僧たちが、上人の墓を暴こうとしていることが発覚し、それを知った上人の弟子たちは密かに石棺を持ち出し、 嵐山の二尊院、さらには、太秦の西光寺へと移したのだそうだ。
そんなある日、石棺から光明が放たれ、その光を追っていくと、粟生野の地を照らすという不思議なことが起こる。
そこで、上人と深い因縁のある粟生野で荼毘に付し、裏山に遺骨を埋葬したのだという。
圓光大師御本廟の入口 本廟への階段
圓光大師御本廟は、御影堂の裏手にある。
圓光大師御本廟までは、長い階段が続く。
入ることはできなかった。
光明寺のてぬぐい
光明寺の御朱印