大川原有重 春夏秋冬

人は泣きながら生まれ幸せになる為に人間関係の修行をする。様々な思い出、経験、感動をスーツケースに入れ旅立つんだね

汚染食材と食事の注意

2013-07-21 15:30:21 | 原子力関係

【情報】汚染食材と食事の注意メモ




食材の汚染や食事の注意を調査されている文鳥姉さんや食材の汚染を測定している市民グループなどの情報から、現在の状態をまずまとめます。

【引き続き広範囲に気を付けるべきもの】

・キノコ類  ・太平洋側の魚介類 (マダラ・ヒラメ・カレイ・クロダイ・スズキ・モツゴ・アイナメ等)

【長期間、産地に気をつけるもの】

・山菜類(タケノコを含む、本土全体) ・淡水魚(ワカサギ、鮎、イワナなど、東北、関東) ・常緑樹の果樹(ミカン、柚子など、東北) ・木の実(栗、クルミなど、東北) ・ジビエ類(イノシシ・鹿肉・野鴨・馬肉・野鳥・野うさぎなどの野生の鳥獣類、東北、関東、中部) ・レンコン、里芋など ・ブルーベリーやキウイフルーツなど(東北、関東) ・乾物類(切り干し大根など、東北) ・ハーブ類(東北、関東)

【産地と生産年に気を付けるもの】

・小麦粉 ・そば粉 ・大豆・小豆 ・玄米 ・林檎、柿などの果樹

【原材料に気を付ける加工品】

・H23年産の穀類を使用したもの(玄米・蕎麦・うどん・小麦胚芽入りシリアルやクッキー、ビスケットなど) ・H23年産の大豆を使用した製品(豆腐・豆乳・きな粉など)

空間線量が徐々に落ちついてきましたので、外部被曝より内部に注意を要します。食材の被曝は注意をすれば避けられることと、「平均値が1キロ40ベクレル以下にすること」という特徴があります。
この場合の「平均値」とは、たとえばお米や水のように大量に摂取するものに注意すれば、重さが軽いものや量の少ないものはそれほど問題ではありません。たとえば調味料などは使用する量が少ないのでやや安心という感じです。
(平成23年7月19日)


武田邦彦

原発事故関連死 東電、請求棄却求める 双葉病院患者ら3人の遺族訴訟 

2013-07-21 14:49:37 | 原子力関係
原発事故関連死 東電、請求棄却求める 双葉病院患者ら3人の遺族訴訟 東京地裁第1回弁論福島民報
 東京電力福島第一原発事故に伴う避難で体調を崩して亡くなったとして、大熊町の双葉病院と隣接する系列の介護老人保健施設の患者・入所者合わせて3人の遺族が東電を相手取り1人当たり約3300万円の損害賠償を求めた訴訟の第1回口頭弁論が17日、東京地裁で開かれた。訴訟は計3件で、遺族ごとに審理を実施。東電側は「原発事故と死亡の因果関係が不明確」としていずれの訴えについても請求棄却を求める答弁書を提出し、争う姿勢を示した。
 東電側は、答弁書で原発事故と患者らの死亡に因果関係が認められれば個別の賠償に応じる考えを示した。その上で「現時点で因果関係があるとする証拠が乏しい」として、患者らの診断書の提出を求め、因果関係についての認否は留保した。
 訴状によると、原告側はそれぞれ因果関係について「約8時間以上にわたり約230キロの移動を余儀なくされ、十分な医療提供を受けられなかったため死亡した」としている。
 閉廷後、原告側代理人の新開文雄弁護士(福島市)は「争点は因果関係のみで、早期に判決が出るのではないか」との見方を示した。東電側の代理人は「証拠を精査してから判断したい」と話した。
 次回口頭弁論は個別に行われ、9月12日午後1時半、同月20日の午前10時半と同10時40分から。

2患者遺族12人東京地裁に提訴

 原発事故の避難に伴い死亡したとして、患者2人の遺族計12人は17日、東電に対し1人当たり約3300万円の損害賠償を求め東京地裁に提訴した。新開弁護士によると、原告は事故当時、60代と70代だった男性患者2人の遺族。
 双葉病院からの避難をめぐる提訴は、26日に予定されている患者1人の遺族の訴訟と合わせ計6件。

※双葉病院と東京電力福島第一原発事故
 双葉病院は大熊町にある私立の精神科病院で、福島第一原発から約4.5キロの地点にある。政府の原発事故調査・検証委員会の最終報告書によると、病院の患者と隣接する系列の介護老人保健施設の入所者のうち、自力歩行が可能な209人が東日本大震災翌日の平成23年3月12日、国が手配した民間バスで避難した。14日には132人が自衛隊のバスで病院を離れた。同16日までに避難を完了した。同委員会は避難に伴う環境の変化などで計50人が死亡したとしている。

(2013/07/18 11:44カテゴリー:原発事故関連死)

ヨウ素剤40歳以上服用認める

2013-07-21 14:43:12 | 原子力関係
ヨウ素剤40歳以上服用認めるNHK

原子力発電所での事故の際、甲状腺の被ばくを防ぐヨウ素剤について、国の原子力規制委員会は、これまで「服用の必要はない」としていた40歳以上も、「リスクが残るという懸念がある」として、希望があれば服用を認めることになりました。
原発で事故が起きた際、甲状腺の被ばくを防ぐために服用するヨウ素剤について、先月見直された国の防災指針では、半径5キロを目安に事前に配布することや、自治体が配布の前に住民向けの説明会を開くことが盛り込まれました。原子力規制委員会は、自治体から要望を受けて、ヨウ素剤の配布や服用のルールをまとめた解説書を作成しました。
解説書には、▼服用の具体的な方法や副作用に関する説明のほか、▼これまで「服用の必要はない」としていた40歳以上も、希望があれば服用を認めることが盛り込まれています。
また40歳以上について、「近年の研究をみると、甲状腺がんの発生のリスクは年令と共に減るが、高齢者においてもそのリスクが残るという懸念がある」と説明しています。
原子力規制庁の森本英香次長は、19日の会見で、「ヨウ素剤は甲状腺の機能を下げるリスクもあるため、自治体には副作用についてもしっかりと説明してほしい」と話しています。
07月21日 12時21分

浜岡燃料カバー欠損再発防止へ

2013-07-21 14:42:03 | 原子力関係
浜岡燃料カバー欠損再発防止へNHK

中部電力が浜岡原発で核燃料を覆う金属製のカバーに異常がないか調べたところ、あわせて21本でカバーの一部が欠けているのがわかり先週、中部電力は国に報告するとともに、カバーをつくったメーカーに改善を要請するなどして再発防止の対応をとることになりました。
この問題は、去年6月、東北電力女川原子力発電所3号機で核燃料を覆う金属製のカバーの一部が欠けていることがわかったため、中部電力は去年8月から国の指示を受けて浜岡原発の使用済み燃料プールなどに保管されている核燃料を詳しく調べていました。調査の結果、3号機を除く1号機から5号機の核燃料あわせて8671本のうち21本で最大で長さ3.6センチにわたって金属製のカバーの一部が欠けていることが確認されたということです。
中部電力によりますとカバーの製造元の設備が古く溶接などの加工が不十分で、カバーが腐食しやすくなるなど耐久性が足りなかったことが原因とみられるということです。
浜岡原発は現在すべての原子炉が停止していて、燃料は原子炉と使用済み燃料プールに保管されています。
カバーが欠けたことによる原子炉や核燃料への異常は今のところ、確認されていないということです。中部電力は「引き続き3号機で調査を行うとともに、今後、カバーのメーカーに溶接設備の更新を要請したり溶接の耐久性の基準を見直すなどして改善していきたい」と再発防止対策を進めるとしています。
07月21日 12時45分

東電 知事に改めて会談要請へ

2013-07-21 14:41:03 | 原子力関係
東電 知事に改めて会談要請へNHK
東京電力の廣瀬社長は19日の記者会見で、新潟県の泉田知事と来週以降できるだけ早い機会に改めて会談し、柏崎刈羽原子力発電所の運転再開に向けて、安全審査を申請する方針に理解を求めたいという考えを示しました。
東京電力は、柏崎刈羽原発の運転再開に向け、原発の新たな安全基準に基づいて国に安全審査を申請する方針ですが、7月5日に行われた新潟県の泉田知事との会談は、知事が強く反発して物別れに終わっています。
これについて、東京電力の廣瀬社長は19日の記者会見で「安全審査の申請はできるだけ早くしたいが、手続きが必要なのは理解している。海外に出張している泉田知事が帰国してから再び会談するチャンスを期待しているし、課題を絞って話をして、着地点を見いだしたい」と述べ知事が帰国する7月22日以降、できるだけ早い機会に改めて会談して、理解を求めたいという考えを示しました。
一方、廣瀬社長は知事の理解を得る前に安全審査を申請する可能性については「そうならないようにしたい」と述べるにとどまりました。
07月19日 18時51分

ヨウ素剤40歳以上も服用可に

2013-07-21 14:39:52 | 原子力関係
ヨウ素剤40歳以上も服用可にNHK
原子力発電所での事故の際、甲状腺の被ばくを防ぐヨウ素剤について、国の原子力規制委員会は、これまで「服用の必要はない」としていた40歳以上も、「リスクが残るという懸念がある」として、希望があれば服用を認めることになりました。
原発で事故が起きた際、甲状腺の被ばくを防ぐために服用するヨウ素剤について、先月、見直された国の防災指針では、半径5kmを目安に事前に配布することや、自治体が配布の前に住民向けの説明会を開くことが盛り込まれました。原子力規制委員会は、自治体から要望を受けて、ヨウ素剤の配布や服用のルールをまとめた解説書を作成しました。
解説書には、▼服用の具体的な方法や副作用に関する説明のほか、▼これまで「服用の必要はない」としていた40歳以上も、希望があれば服用を認めることが盛り込まれています。
また40歳以上について、「近年の研究をみると、甲状腺がんの発生のリスクは年令と共に減るが、高齢者においてもそのリスクが残るという懸念がある」と説明しています。
原子力規制庁の森本英香次長は、19日の会見で、「ヨウ素剤は甲状腺の機能を下げるリスクもあるため、自治体には副作用についてもしっかりと説明してほしい」と話しています。
07月20日 11時02分

たえず泣き暮らしていたわけではない 候補たちは福島の2年半を見ているか

2013-07-21 14:36:57 | 日記
たえず泣き暮らしていたわけではない 候補たちは福島の2年半を見ているか (安積咲)<参院選・特別コラム>
2013年7月19日(金)10:00
 震災から2年半が経ち、被災地の話題も、被災地外ではすっかり少なくなったと聞いています。その度に「被災地を忘れないで」と声を涸らしている人の声をたびたび耳にします。まだまだ復興の遠い場所で、取り残されて行く不安感がどれだけのものか、被災地と呼べるほどの場所ではない郡山市に住む私には、到底分かるとは言えないのですが。(福島県郡山市在住・安積咲)
 けれどもある時期にのみ、思い出したように被災地の話が持ち出されます。それが選挙期間です。特にこの福島県については、被災復興よりも先に原発事故の話題が目立ちます。福島を語ることは原発事故を語ることである――という約束事が出来てしまっているかのようです。
 あの震災の前まで、福島県といえば、日本の都道府県の中でも格段に地味で、印象の薄い、東北の田舎でしかありませんでした。その位置もろくに知られず、外国人に至っては聞いた事もないという人の方が多かったでしょう。
 それが2011年の3月11日以降、突然変わりました。
 福島の名前は、原子力発電所の事故があった場所として、急に注目を集めるようになってしまいました。

○ 私たちの「大丈夫」を受け取って
 被災したのは福島だけではなく、東北のほかの地域ももちろん広範囲の被害を受けました。世界中が震災を気遣い、励ましの言葉をかけてくれました。なのに、「福島」に対してだけは、人々の態度が少し違ってきました。
 まるで腫れ物に触るような、同情と、憐憫のような目線に晒される日々が、あの日から始まりました。
 「もしかしたら福島はもう住んではいられない場所なのではないか」と訝しんだ人はあの当時、少なくなかったでしょう。「頑張って」とも言えない。「大丈夫?」とさえ聞けない。それくらい情報は錯綜していたし、声をかけようとする側も、こちらを気遣えば気遣おうとするほど、言葉を呑み込んでしまったところがあったと思います。
 どうしてそんなに躊躇するのだろう。普通に声をかけてくれていいのに。
 それまで特に意識することもなかった「福島に暮らす自分」という意味を、良きにつけ悪きにつけ意識せざるを得ない状況に追い込まれた。これも、震災後に奪われた、我々の日常の一部だったと思います。
 特に私の住むここ郡山は津波被災地ではありませんでしたから、建物の倒壊被害などは少ない方です。なので、尋ねられれば「大丈夫だよ、そこまでじゃないよ」と返事できる人も多かったのではないでしょうか。
 なのに、こちらからの「大丈夫」を、そのままに受け取ってくれない。
 福島を伝える報道は、自分たちの目に映る光景からどんどんかけ離れ、センセーショナルな情報ばかりが広がり、悲劇的な叫びばかりが取り上げられました。
 ネットで見かけたという、健康被害を大げさに訴える噂話を善意で教えてくれる人。「やっぱり逃げた方がいいんじゃない?」と恐る恐る声をかけてくれる人。そういう声のほとんどが他意のない心配からくるものであっただけに、その返事に苦しみました。
 県外に行き「福島から来た」と言うと一瞬、躊躇される。そんな今までになかった反応に、傷ついた人もいたでしょう。
 私は幸い経験をしませんでしたが、放射性物質による汚染がどのようなものであるかを知る人が少なかった当時、福島から来たというだけで「放射能が感染(うつ)る」と言われた人もいました。
 健康被害よりも福島に住む人の心を傷つけたのは、そういった不確定な情報による人々の態度の変化であり、自分たちの生まれた、住んでいる場所を、好き勝手に作り話の材料にされる、そんな世界の変化だったのではないでしょうか。

○2年半たえず泣き暮らしてきたわけではない
 過剰な噂話というものは時間が経てば少しずつおさまってゆくものです。1年、2年と時間が経ち、明らかに初期よりその騒ぎは沈静化しています。皮肉にも、被災を忘れるスピードとそれは重なるかのように。
 被災地を忘れないで欲しいけれど、被災として福島を話題にされる時、必ずと言っていいほど、それは原発問題の話題になってしまう。そこでまた、2年前と同じ根も葉もない噂が繰り返される。福島県の人間は、たえず放射能汚染に怯え、泣き暮らしてるかのように語られる。その違和感がこの選挙活動期に、より顕著になってしまう。今回の参院選においては、県内で先天性障害児が生まれているという確証のない噂話を演説で語った候補者までいました。
 どうしてそこまでして、福島県民を「悲惨な原発事故の被害者」として語らなければならないのでしょうか? 確証もない健康被害の例を持ち出してまで、福島県民を悲惨な姿に描く必要がどこにあるのでしょうか?
 福島を語ろうとする人が、福島の現実を知らない。見ようともしない。彼らが見るのはいつも、放射性物質による汚染の数値だけと言ってもいい。
 2年半です。その間、悲嘆と原子力発電所事故への恨みだけで人は生きていたと思いますか? その間にも人々の生活は続いていたのです。
 生活に則した汚染への対処法は、試行錯誤を経ながらでも進んでいます。空間放射線量を知らせる測定機は街中にあり、住民は常にその数値を把握しています。
 大きな健康被害がなかった事は県内で長く研究を続けて下さった学者の方々のデータや論文、そしてここに住んでいる人々が実際に証明しています。未だに放射能汚染の影響を受けて苦しい状況が続く農業・漁業の方々も、粘り強く検査や対策を続けています。
 辛いことも、理不尽への憤りも忘れてはないけど、それでも協力や尽力を下さる方々へ感謝をしつつ、人々は暮らしてきました。
 決して、恨みと哀しみのみに埋め尽くされた2年間半ではありません。
 望めるのなら、震災前の何気なかった日常を一番取り戻したい。それが何より多くの人々の願いだと思います。でも時間を巻き戻す事だけは不可能で、起こってしまった事実は変わらない。だからこそ、1日も早く「被災者」という枷(かせ)を取り払いたい。求めているのは、そのための具体策なのです。
 「子供たちの未来のために」とよく掲げる候補者がいます。ですが、子供が育つためには教育問題も経済問題も重要課題です。「脱原発」さえ達成すれば「子供のためのうつくしい未来」が実現できるかのような言葉には、現状の生活への対策が何も含まれない。そんな言葉に、重みなど見い出せるはずもありません。
 もちろん、事故を経験した人達はその恐ろしさを忘れてはいないし、将来的な脱原発を望む人が多いのは言うまでもないことです。それでも、それが言葉だけで成し遂げられないことも分かっています。ましてや過剰な健康被害の噂話を喧伝するような候補者に、共感できない県民がいたとしても、不思議ではないと思います。
 福島の時間は、進んでいます。人々は、前に向かっています。未来は既に築かれています。
 その「今」を見ようとしない人たちに、更なる未来を託せると思いますか。
 「嘆き苦しむ被災者のために」という想いは間違ってはいません。しかし、被災者はいつまで「かわいそうな被災者」でいればいいのでしょうか。
 過剰な同情や憐憫、それは相手を貶める視線にもなりかねない。そして人の矜持を傷つけるかもしれないのです。

○候補者は福島の「2年半」を見ているのか
 この2年半、福島で暮らし続ける、また福島で被災しやむを得ず新天地で暮らし始めた人たちが、苦しんだと同時に前を向き、生活を立て直そうと、日常を取り戻そうとしてきたその道程を、認めてくれた候補者はいたでしょうか。
 生産農家の方々の苦悩と嘆きだけではなく、その努力と成果を讃えてくれた人はいたでしょうか。
 福島に住む人間が、ずっと泣き暮し恨みつらみを抱え続ける弱者としか見えていないのであれば、それはこの2年半の時間を見ていないと判断します。
 本当に被災地の復興を願うのであれば、いつまでも被災者を哀れな弱者とし、自分たちの主張の飾り道具に使ったりはしないと私は思います。
 見て欲しいのは現実に生きている等身大の福島県民の日常の姿であり、その日常を少しずつ取り戻すまでに重ねて来た時間を、ありのままに見て欲しいのです。
 行政や政治への不信感は、震災時に膨れ上がり、今でもそれは続いていると思います。 それでも、生活を支えるために政治があるのであれば、自分たちは関わりを断つ訳にはいかない。だからこそ、今、自分たちの生活に必要なものを見極めてくれているのかどうか、それを福島の有権者は見ていると思います。
 震災以後、私が生まれ育った「福島」は突然「フクシマ」に書き換えられ、語られ始めました。それは先にも書いたように、原子力発電所の事故だけに注目された、私が知らない「フクシマ」でした。
 そんな「フクシマ」の情報ばかりが溢れていた頃、一番自分を支えた言葉は「福島はいいところですよね、大好きです!」というそれだけの言葉でした。自分は「福島」が好きだったのか、と再認識させてもらえた一言でもありました。
 福島に生まれ育った自分が、その血脈を形作った「福島」を「フクシマ」に捻じ曲げられ、作り替えられてゆくような錯覚に陥る中で、福島が好きだと言ってもらえたことは、ズタズタになりかけた私の誇りを思い出させてくれたのだと思います。
 必要なのは、復興のための課題が山積しているからこそ、今の福島を見て、共に歩んで行ける仲間です。一方的に情けをかける相手ではなく、力を合わせ、時にはぶつかってでも、これからの「福島」を作り上げていける、そんな関係性です。もちろん、福島に住む人間が全て完璧な訳ではなく、間違いも選択するかもしれない。そんな時に、指摘を厭わず、対等に接していけるような。
 悲劇の地「フクシマ」でも、過度に美化された聖者の地でもなく、瑕や問題を抱えた現実の「福島」を支えて、そして何より、愛を持って接してくれる存在です。
 もしも福島を想い、その政に携わる誰かを選ぼうという時に、そんな望みを抱く県民が一人でもいることを、思い出してもらえたらと願うばかりです。
<筆者紹介> 安積咲 福島県郡山市在住、自営業、FGA(英国宝石学協会特別正会員)。39歳。震災後、ツイッターで筆名「安積咲@福島県産」(@asakasaku) として、発信を続ける。

「中高一貫校を郡内に」 広野、楢葉、川内候補

2013-07-21 13:15:28 | 原子力関係
河北新報
 福島県双葉地区教育長会は18日、同県双葉郡8町村が福島第1原発事故を受けて設立を検討する中高一貫校の設置候補地を双葉郡広野町、楢葉町、川内村のいずれかに絞る方針を決めた。
 郡山市で開いた協議会で決定した。今後、8町村長が話し合い、候補地を決める。
 双葉郡は原発事故の避難区域が集中して一貫校を郡外に設ける考えもあったが、「一貫校は郡の復興の象徴で、郡内に設置すべきだ」とする意見が大勢を占め、郡内設置を決めた。
 広野、楢葉両町と川内村は放射線量が低く、避難区域指定が解かれたか、居住制約が緩い。多くの郡民の避難するいわき市に近く、通学の利便性も比較的高い。
 教育長会は来月1日に協議会を開き、一貫校の具体的方針を盛り込む教育復興ビジョンを策定する。


2013年07月19日金曜日

「県への事前説明は筋」 原産協理事長、「古巣」へ苦言

2013-07-21 12:14:19 | 原子力関係
河北新報
電力会社や原発立地自治体などでつくる日本原子力産業協会(東京)の服部拓也理事長は18日の記者会見で、東京電力が柏崎刈羽原発(新潟県)の再稼働に向けた安全審査の申請方針を県に相談せず発表したことについて、「福島第1原発事故で関心が高まった安全対策面の重要な変更申請で、県に事前説明するのが筋だ」と苦言を述べた。
 服部氏は東電OBで副社長も務めた。会見では「自治体との安全協定に基づき理解を得て申請するのが従来のやり方だ」と指摘。「東電は『石橋をたたいても渡らない』ほど慎重な会社のはずだが、手順を無視して発表が先行したのは、よほど重大な決意でもあったのか」といぶかしがった。
 東電の広瀬直己社長は2日、同原発6、7号機の安全審査を新規制基準施行日の8日にも申請する考えを表明。泉田裕彦知事は県の頭越しの表明に強い不快感を示し、東電の事前了解要請書の受け取りを拒否している。


2013年07月19日金曜日

汚染稲わらなど焼却処理を試験 福島・鮫川の施設

2013-07-21 11:13:22 | 原子力関係
河北新報

福島第1原発事故で、環境省は18日、福島県鮫川村に建設した放射能汚染廃棄物焼却施設で稲わらなどを燃やす実証試験を始めた。
 汚染された稲わらなどの農林業系副産物の焼却施設は全国初。計画では村内で出た稲わらなど計600トンを1年8カ月かけて焼却する。汚染度の低い牧草を混ぜ、灰の汚染濃度を1キロ当たり10万ベクレル以下に抑える。灰はセメントで固め、最終処分場が確保されるまで施設で保管する。
 施設は高さ約10メートルで、いわき市との境界に近い牧草地1600平方メートルに建てた。同省は煙の放射性物質はほぼ除去できるとしている。8月の本格稼働を目指す。
 一部住民は計画に反対し、この日も約30人が施設前で抗議行動をした。


2013年07月19日金曜日

福島・双葉病院原発関連死 東電請求棄却求める

2013-07-21 10:16:09 | 原子力関係
河北新報
 福島第1原発事故による避難後に死亡した双葉病院(福島県大熊町)の患者と病院系列の介護施設入所者の遺族が東京電力に損害賠償を求めた訴訟の第1回口頭弁論が17日、東京地裁であった。東電は請求棄却を求める一方、原子力損害賠償法に基づく「異常に巨大な天災地変」による免責は主張しない意向を示した。
 東電は「原発事故と死亡の因果関係が不明だ」として具体的な認否を留保した。遺族側は次回までに患者らの病状や様子を記した資料を証拠提出する。
 これまで患者・入所者4人の遺族が提訴し、17日はこのうち3人の弁論が別々に開かれた。遺族側の弁護士は「複数の裁判体に判断してもらうため審理を分けた。和解には応じず、あくまで判決を求める」と話した。別の患者2人の遺族も同日、提訴した。
 遺族側は患者1人当たり約3000万円の賠償を求めている。訴えによると患者らは2011年3~4月、避難時の過酷な移動や避難先での不十分な医療などで体調が悪化し亡くなった。いずれも自治体が関連死と認定している。


2013年07月18日木曜日

復興と政治-遠景・近景 原発賠償 生活再建、めど立たず

2013-07-21 10:12:24 | 原子力関係
河北新報
<3年ぶり稲作>
 夕闇が迫る中、軽トラックが青々とした水田の脇に止まった。今月上旬、福島県川内村の下川内地区。田んぼは、東京電力福島第1原発から直線で約21キロの旧緊急時避難準備区域にある。
 同級生と2人で稲作の受委託組合をつくる佐久間靖男さん(57)が、軽トラックを降りて田んぼの水かさを確認する。ひとめぼれを主力に20ヘクタール作付けしている。
 原発事故以来、3年ぶりのコメづくりだ。
 「ことしは補償と販売先があるから、安心して作れるがなあ」と、空を仰いだ。表情に明るさはない。
 補償とは、東電が水田10アール当たりに支払う5万円の賠償金を指す。コメの販売先は国だ。風評被害対策で村の収穫のほとんどが政府備蓄米として買い取られる。
 備蓄米には、政府の作付け奨励金として10アール当たり1万5000円も支給される。賠償金と合わせると作付け利益を十分得ることができる。
 それでも、村内の作付けは事故前の約3割の88戸計102ヘクタールにとどまる。佐久間さんは「コメづくりで生活再建できる人はほとんどいない」と将来を危ぶむ。
 事故から5カ月後、避難先の郡山市から家族3人で自宅に戻った。田畑の除染に汗を流し、昨年は村内20カ所の「試験栽培」にも参加した。収穫したコメは安全性が確認された。
 安全でも売れる保証はない。東電の賠償金は、生活再建する上で最低限の「担保」だった。
 賠償金の支払いは、ことし限りとみられている。旧緊急時避難準備区域の住民に対する月10万円の精神的賠償は昨年8月に終了した。来年は大幅な収入減を免れない。
 「風評被害はずっとついて回る。いつ、生計が安定するかなんて誰も分からない。支援がなくなったら、誰が村に帰ってくるのか」と佐久間さんは不安を募らせる。

<新居は買えず>
 自宅への帰還が絶望的な避難者は、不十分な賠償に前途を憂える。
 「次の家が買えないんだよ」。いわき市の仮設住宅で暮らす福島県大熊町の青山和人さん(61)が住宅情報誌を手につぶやく。5月に一時帰宅した際、原発から約2.8キロの帰還困難区域にある自宅は荒れ果てていた。あちこちにネズミの死骸が転がっている。放射線量は室内でも毎時7~8マイクロシーベルト。1週間足らずで一般人の年間許容量1ミリシーベルトを超えるほどだ。
 「20年も30年も帰れない家になりそうだ。どん底から抜け出すため、別の場所に家が必要だ」
 原発避難者への土地、建物への賠償額は家が古ければ古いほど低く、再び取得する際の価格との差が大きくなる。
 敷地面積約1000平方メートル、築30年で10年前に改築した青山さんの自宅の賠償額は計約1800万円。いわき市では土地代にも満たない。

<疲れ果てる心>
 事故後、親類の家や避難所、仮設住宅を転々とする生活を続け、疲れ果てた。5月に心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断され、通院と服薬が欠かせなくなった。
 「今の状態は、泥沼にたたき落とされ、つえも渡されずに自立しろと言われているようなもの。同じ目に遭わないと政治家には何も分からない」
 震災と原発事故で、東北の被災者たちは今なお、底なしの生活不安におびえる。被災地の遠景、近景、どこに焦点を合わせ、光を当てるのか。政治の真価が問われる。(報道部・高橋鉄男、勅使河原奨治)


2013年07月19日金曜日