大川原有重 春夏秋冬

人は泣きながら生まれ幸せになる為に人間関係の修行をする。様々な思い出、経験、感動をスーツケースに入れ旅立つんだね

たえず泣き暮らしていたわけではない 候補たちは福島の2年半を見ているか

2013-07-21 14:36:57 | 日記
たえず泣き暮らしていたわけではない 候補たちは福島の2年半を見ているか (安積咲)<参院選・特別コラム>
2013年7月19日(金)10:00
 震災から2年半が経ち、被災地の話題も、被災地外ではすっかり少なくなったと聞いています。その度に「被災地を忘れないで」と声を涸らしている人の声をたびたび耳にします。まだまだ復興の遠い場所で、取り残されて行く不安感がどれだけのものか、被災地と呼べるほどの場所ではない郡山市に住む私には、到底分かるとは言えないのですが。(福島県郡山市在住・安積咲)
 けれどもある時期にのみ、思い出したように被災地の話が持ち出されます。それが選挙期間です。特にこの福島県については、被災復興よりも先に原発事故の話題が目立ちます。福島を語ることは原発事故を語ることである――という約束事が出来てしまっているかのようです。
 あの震災の前まで、福島県といえば、日本の都道府県の中でも格段に地味で、印象の薄い、東北の田舎でしかありませんでした。その位置もろくに知られず、外国人に至っては聞いた事もないという人の方が多かったでしょう。
 それが2011年の3月11日以降、突然変わりました。
 福島の名前は、原子力発電所の事故があった場所として、急に注目を集めるようになってしまいました。

○ 私たちの「大丈夫」を受け取って
 被災したのは福島だけではなく、東北のほかの地域ももちろん広範囲の被害を受けました。世界中が震災を気遣い、励ましの言葉をかけてくれました。なのに、「福島」に対してだけは、人々の態度が少し違ってきました。
 まるで腫れ物に触るような、同情と、憐憫のような目線に晒される日々が、あの日から始まりました。
 「もしかしたら福島はもう住んではいられない場所なのではないか」と訝しんだ人はあの当時、少なくなかったでしょう。「頑張って」とも言えない。「大丈夫?」とさえ聞けない。それくらい情報は錯綜していたし、声をかけようとする側も、こちらを気遣えば気遣おうとするほど、言葉を呑み込んでしまったところがあったと思います。
 どうしてそんなに躊躇するのだろう。普通に声をかけてくれていいのに。
 それまで特に意識することもなかった「福島に暮らす自分」という意味を、良きにつけ悪きにつけ意識せざるを得ない状況に追い込まれた。これも、震災後に奪われた、我々の日常の一部だったと思います。
 特に私の住むここ郡山は津波被災地ではありませんでしたから、建物の倒壊被害などは少ない方です。なので、尋ねられれば「大丈夫だよ、そこまでじゃないよ」と返事できる人も多かったのではないでしょうか。
 なのに、こちらからの「大丈夫」を、そのままに受け取ってくれない。
 福島を伝える報道は、自分たちの目に映る光景からどんどんかけ離れ、センセーショナルな情報ばかりが広がり、悲劇的な叫びばかりが取り上げられました。
 ネットで見かけたという、健康被害を大げさに訴える噂話を善意で教えてくれる人。「やっぱり逃げた方がいいんじゃない?」と恐る恐る声をかけてくれる人。そういう声のほとんどが他意のない心配からくるものであっただけに、その返事に苦しみました。
 県外に行き「福島から来た」と言うと一瞬、躊躇される。そんな今までになかった反応に、傷ついた人もいたでしょう。
 私は幸い経験をしませんでしたが、放射性物質による汚染がどのようなものであるかを知る人が少なかった当時、福島から来たというだけで「放射能が感染(うつ)る」と言われた人もいました。
 健康被害よりも福島に住む人の心を傷つけたのは、そういった不確定な情報による人々の態度の変化であり、自分たちの生まれた、住んでいる場所を、好き勝手に作り話の材料にされる、そんな世界の変化だったのではないでしょうか。

○2年半たえず泣き暮らしてきたわけではない
 過剰な噂話というものは時間が経てば少しずつおさまってゆくものです。1年、2年と時間が経ち、明らかに初期よりその騒ぎは沈静化しています。皮肉にも、被災を忘れるスピードとそれは重なるかのように。
 被災地を忘れないで欲しいけれど、被災として福島を話題にされる時、必ずと言っていいほど、それは原発問題の話題になってしまう。そこでまた、2年前と同じ根も葉もない噂が繰り返される。福島県の人間は、たえず放射能汚染に怯え、泣き暮らしてるかのように語られる。その違和感がこの選挙活動期に、より顕著になってしまう。今回の参院選においては、県内で先天性障害児が生まれているという確証のない噂話を演説で語った候補者までいました。
 どうしてそこまでして、福島県民を「悲惨な原発事故の被害者」として語らなければならないのでしょうか? 確証もない健康被害の例を持ち出してまで、福島県民を悲惨な姿に描く必要がどこにあるのでしょうか?
 福島を語ろうとする人が、福島の現実を知らない。見ようともしない。彼らが見るのはいつも、放射性物質による汚染の数値だけと言ってもいい。
 2年半です。その間、悲嘆と原子力発電所事故への恨みだけで人は生きていたと思いますか? その間にも人々の生活は続いていたのです。
 生活に則した汚染への対処法は、試行錯誤を経ながらでも進んでいます。空間放射線量を知らせる測定機は街中にあり、住民は常にその数値を把握しています。
 大きな健康被害がなかった事は県内で長く研究を続けて下さった学者の方々のデータや論文、そしてここに住んでいる人々が実際に証明しています。未だに放射能汚染の影響を受けて苦しい状況が続く農業・漁業の方々も、粘り強く検査や対策を続けています。
 辛いことも、理不尽への憤りも忘れてはないけど、それでも協力や尽力を下さる方々へ感謝をしつつ、人々は暮らしてきました。
 決して、恨みと哀しみのみに埋め尽くされた2年間半ではありません。
 望めるのなら、震災前の何気なかった日常を一番取り戻したい。それが何より多くの人々の願いだと思います。でも時間を巻き戻す事だけは不可能で、起こってしまった事実は変わらない。だからこそ、1日も早く「被災者」という枷(かせ)を取り払いたい。求めているのは、そのための具体策なのです。
 「子供たちの未来のために」とよく掲げる候補者がいます。ですが、子供が育つためには教育問題も経済問題も重要課題です。「脱原発」さえ達成すれば「子供のためのうつくしい未来」が実現できるかのような言葉には、現状の生活への対策が何も含まれない。そんな言葉に、重みなど見い出せるはずもありません。
 もちろん、事故を経験した人達はその恐ろしさを忘れてはいないし、将来的な脱原発を望む人が多いのは言うまでもないことです。それでも、それが言葉だけで成し遂げられないことも分かっています。ましてや過剰な健康被害の噂話を喧伝するような候補者に、共感できない県民がいたとしても、不思議ではないと思います。
 福島の時間は、進んでいます。人々は、前に向かっています。未来は既に築かれています。
 その「今」を見ようとしない人たちに、更なる未来を託せると思いますか。
 「嘆き苦しむ被災者のために」という想いは間違ってはいません。しかし、被災者はいつまで「かわいそうな被災者」でいればいいのでしょうか。
 過剰な同情や憐憫、それは相手を貶める視線にもなりかねない。そして人の矜持を傷つけるかもしれないのです。

○候補者は福島の「2年半」を見ているのか
 この2年半、福島で暮らし続ける、また福島で被災しやむを得ず新天地で暮らし始めた人たちが、苦しんだと同時に前を向き、生活を立て直そうと、日常を取り戻そうとしてきたその道程を、認めてくれた候補者はいたでしょうか。
 生産農家の方々の苦悩と嘆きだけではなく、その努力と成果を讃えてくれた人はいたでしょうか。
 福島に住む人間が、ずっと泣き暮し恨みつらみを抱え続ける弱者としか見えていないのであれば、それはこの2年半の時間を見ていないと判断します。
 本当に被災地の復興を願うのであれば、いつまでも被災者を哀れな弱者とし、自分たちの主張の飾り道具に使ったりはしないと私は思います。
 見て欲しいのは現実に生きている等身大の福島県民の日常の姿であり、その日常を少しずつ取り戻すまでに重ねて来た時間を、ありのままに見て欲しいのです。
 行政や政治への不信感は、震災時に膨れ上がり、今でもそれは続いていると思います。 それでも、生活を支えるために政治があるのであれば、自分たちは関わりを断つ訳にはいかない。だからこそ、今、自分たちの生活に必要なものを見極めてくれているのかどうか、それを福島の有権者は見ていると思います。
 震災以後、私が生まれ育った「福島」は突然「フクシマ」に書き換えられ、語られ始めました。それは先にも書いたように、原子力発電所の事故だけに注目された、私が知らない「フクシマ」でした。
 そんな「フクシマ」の情報ばかりが溢れていた頃、一番自分を支えた言葉は「福島はいいところですよね、大好きです!」というそれだけの言葉でした。自分は「福島」が好きだったのか、と再認識させてもらえた一言でもありました。
 福島に生まれ育った自分が、その血脈を形作った「福島」を「フクシマ」に捻じ曲げられ、作り替えられてゆくような錯覚に陥る中で、福島が好きだと言ってもらえたことは、ズタズタになりかけた私の誇りを思い出させてくれたのだと思います。
 必要なのは、復興のための課題が山積しているからこそ、今の福島を見て、共に歩んで行ける仲間です。一方的に情けをかける相手ではなく、力を合わせ、時にはぶつかってでも、これからの「福島」を作り上げていける、そんな関係性です。もちろん、福島に住む人間が全て完璧な訳ではなく、間違いも選択するかもしれない。そんな時に、指摘を厭わず、対等に接していけるような。
 悲劇の地「フクシマ」でも、過度に美化された聖者の地でもなく、瑕や問題を抱えた現実の「福島」を支えて、そして何より、愛を持って接してくれる存在です。
 もしも福島を想い、その政に携わる誰かを選ぼうという時に、そんな望みを抱く県民が一人でもいることを、思い出してもらえたらと願うばかりです。
<筆者紹介> 安積咲 福島県郡山市在住、自営業、FGA(英国宝石学協会特別正会員)。39歳。震災後、ツイッターで筆名「安積咲@福島県産」(@asakasaku) として、発信を続ける。

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