GAIA所員のひとり言

建築設計事務所の一所員の、建築はもちろん、社会の様々なことについてのひとり言。

GILLEでFikaを楽しみましょ~!

2011-09-14 18:50:02 | Weblog
『GILLE』。スウェーデンで国民的なお菓子ブランドです。
どのくらい国民的かといいますと、スウェーデンのクッキー&ケーキ市場の40%を占めるほどだそう。大人気ですね。
今回ご紹介するのは、その『GILLE』のクッキーの1つ。
 
 
見た目以上にサクサクとした食感の秘密はオーツ麦を使用していること。
クセニなる味&ハマる食感です☆
ちなみに、オーツ麦は「穀物の王様」と呼ばれ、欧米では広く親しまれている穀物。栄養価が高いといわれる玄米と比べても、食物繊維が約8倍、カルシウムが約4倍、鉄分が約3倍も含まれており、とっても体に良い食材!!優秀♪
 
ちなみに、スウェーデンには「Fika(フィーカ)」というお茶の習慣があります。
それは、コーヒーを飲むだけでなく、クッキーやケーキなどの甘いものを食べながら、楽しくおしゃべりするのだとか。
3時になったらFika、仕事の合間にちょっとFika、スポーツの後にFika・・・といったようにちょっとした息抜きの時間といった感じでしょうか。
そんなFikaのお供にぴったりなのがこの『GILLE』のクッキー。
 
ぜひ、みなまさもちょっとした息抜きとして、コーヒーとクッキーを片手に「Fika」を楽しんでみませんか??
 
 
tomo

鎌倉野菜にこだわった本格イタリアン♪

2011-09-13 18:45:51 | Weblog
今回ご紹介するのは『イル・バンビーノ』。
鎌倉野菜の美味しさにこだわった、本格イタリアンのお店です。
場所は自由が丘駅から7,8分、奥沢駅からは1分という好立地。とても分かりやすいところにあります。
 
お店は広くはなく、定員は20名ぐらいでしょうか。
切り盛りされているのは、フロアに1名とキッチンに1名のみ。
ちなみにフロアの方はソムリエでありどうやらこのお店のオーナーのようです。
 
鎌倉野菜へのこだわりと謳うだけあり、お野菜がふんだんに盛り込まれています。
この野菜は毎朝オーナーとチェフのお2人で「レンバイ」に赴き手に入れてきているものだそう。
「レンバイ」とは、鎌倉市農協連即売所のこと。この即売所はなんと昭和3年(1928年)に外国人牧師の提言によりはじまったとされるもので、前日もしくは当日朝に採った野菜などを生産した農家が直接消費者に売る市場です。
 
いただいたのはこんなお料理☆
  
  
  
  
なんといっても新鮮なお野菜、そして、小さめの食べやすいサイズのフォカッチャや、ヒラマサと冬瓜の入った 新生姜の風味のパスタ、旨脂舞豚と鎌倉ゴボウのラグーパスタ、歯ごたえしっかりのシャモなどどれも一味ひねりがあって定番ではない味を楽しませてくれます♪
 
お味はしっかり、でも濃すぎず、ちょうど良いです。
 
店内もとても落ち着いていて快適♪
こちらは、女子会でもデートでも家族とでも使いやすそうです^^
 
みなさまもぜひお試しになってみてください☆☆
 
 
tomo

『コクリコ坂から』は青春系☆

2011-09-12 18:47:51 | Weblog
スタジオジブリ最新作『コクリコ坂から』という映画を見てきました。
監督は宮崎吾朗氏。企画・脚本を吾朗氏の父である宮崎駿氏が勤めています。
 
こちらの映画。感想を聞く限りですと、賛否評論でしたので、どうなのかなぁと少し不安でした。
見てみた後の正直な感想・・・わたしは好きでした^^
確かに淡々と話が流れていくところや、話の結末が検討のつくところ、細かな説明が不足しているところなど、少し内容として物足りなさを感じるところもあるかもしれません。しかし、それ以上に見終わった時の爽やかな感情がとても心地よかったです。
「青春だなぁ~。純愛だなぁ~。いいもんだなぁ~」と。
 
時は東京オリンピック開催の前年1963年。舞台は横浜の港町。
船乗りだった父をもつ16歳の海と、同じ高校に通う新聞部部長の俊。下宿コクリコ荘、高校にある明治から残る通称「カルチェラタン」という文化部部室の建物を中心として描かれていきます。
1963年の町並みは、昭和の空気感がたっぷり。その時代にわたしは生まれていなかったけれど、その頃の風景をご存知の方にとっては非常に懐かしく惹かれる風景であり、この映画の大きな魅力の1つになっているのではないかと思います。
わたしが最も惹かれたのは1つ1つの繊細な気持ちを丁寧に表す表情でしょうか。
うれしい時、恥ずかしがっている時、照れている時、我慢している時、悲しい時、感情があふれ出してきた時・・・
特に我慢強い海が感情を抑えきれなくなって涙した時、見ているわたしも涙してしまいました。
 
非常に人間らしい作品だと思います。
風景の懐かしさを求めるもよしっ、若さ溢れる元気いっぱいの行動にスカっとするもよしっ、純な恋愛にあたたかくなるもよしっ、
それぞれの楽しみを見出しながら、ご覧になってみてはいかがでしょうか。
 
ちなみに、「コクリコ坂」という坂は実際には横浜にはありません。
「コクリコ」はフランス語で「ひなげし」という意味があるのだそうです。どうしてこの題名になったのか・・・それは謎です。
 
 
tomo

国籍の決め方ってご存知ですか??

2011-09-09 18:07:03 | Weblog
国籍とはどのように決められているかご存知ですか??
実は国によってその定義は異なっています。
世界には大まかに分けて、「血統主義」の国籍法と「生地主義」の国籍法があります。
そのどちらかを用いている国、両方を用いている国が存在しています。
ちなみに日本は「血統主義」に準じています。
 
血統主義、生地主義とは何か??
「血統主義」とは、両親がその国の国籍を持つ国民であれば、子は生まれた国に関係なく血統により両親の国籍を取得するというものです。
「生地主義」とは、両親の国籍には関係なく、自国内で生まれた子は自国の国籍を取得する、つまり生まれた場所の国がその子の国であるといういうものです。
例えば、「血統主義」を採る日本の場合、日本で生まれた子であっても、その両親が日本国籍ではない場合には日本国籍を取得することはできません。しかし「生地主義」を採る国アメリカの場合は、アメリカで生まれたという時点で自動的にアメリカ国籍を取得することになります。
 
ちなみに、「血統主義」には2つのパターンがあり、父親の血統だけを認めその国籍しか取得できない「父系優先血統主義」と、両親の双方の血統を認めどちらかの国籍を取得できる「父母両系血統主義」となる。
現在の日本においては、後者の「父母両系血統主義」を採用していますが、この形になったのは実は最近で1985年国籍法の改定によるものだそうです。ですので、それまでは「父系血統主義」を採り、母親が日本国籍であっても父親が日本国籍でない時点で子は日本国籍を取得することができませんでした。
 
このような「血統主義」「生地主義」が存在することで生じるのが「二重国籍」。
生まれつきの国籍者は22歳に達するまでに国籍を選択しなければならないというように定められています。
では生まれつきでない場合はどうするのでしょうね??
永住権や市民権なども関わってきたりすることもありますし・・・
国籍ってなかなか複雑ですね!!
 
国籍の謎興味深いです!!!
 
 
tomo

日本生まれのお料理「ドリア」☆作ったのはこんな人!

2011-09-08 19:08:40 | Weblog
みなさま、お料理のドリアは、
日本で生まれた料理ってご存知でしたか??
ドリアといえば、お米を使った料理の1つで、お米をシーフードや鶏肉と混ぜ、その上にチーズをのせて焼き上げるもの。
てっきり西洋で作られたものかと思っていましたら、まさかの日本発祥料理。
しかし、いうならば、日本で生まれましたが発案者はスイス人の料理人とのこと。
 
その料理人、名前をサリー・ワイルといいます。
ワイル氏は、1926年に開業した横浜ホテルニューグランドの初代総料理長を務めていらした方。
実はこの方日本における西洋料理の発展を語る上でなくてはならない方であり、ワイル氏がいなければ、日本の西洋料理界の発展は数十年遅れただろうといわれるほどです。
 
以下抜粋*****
 日本に本格的な西洋料理を伝えたスイス人シェフ。昭和2年(1927)に、本場パリのホテルから、横浜ホテルニューグランドの料理長として招かれて以来20年間に渡って、横浜を舞台に西洋料理の「美味」を日本の食通たちにふるまい続けました。また、「食空間のエンタテインメント化」「アラカルト料理」「調理場の国際標準化」など、当時、黎明期にあった日本のフランス料理界の厨房に数々の「革命」をもたらしました。
 ワイルのもとからは、ホテルオークラの小野正吉氏、東京プリンスホテルの木沢武男氏、日活ホテルの馬場久氏ほか、一流ホテルやレストランのオーナーが数多く巣立っていきました。戦後、スイスに帰国してからは、個人の海外渡航が困難だった時代に日本の若き料理人のヨーロッパ修行の世話人として尽力。料理人たちに世界への扉を開き、戦後日本の西洋料理界に大きな飛躍を促しました。日本の料理人たちから「スイス・パパ」と呼ばれ、晩年まで慕われ続けたのは、その人柄と料理人たちへの惜しみない愛情によるものです。
 昭和48年(1973)には、ワイルの文化的業績に対して日本政府より勲5等瑞宝賞が贈られています。
以上抜粋*****
 
そんな彼が作り出した料理「ドリア」。
ドリアは、お客様の「体調が優れないからのど越しの良いもの」という要望を受け、即興で創作されたお料理なのだそうです。お客様に対するワイル氏の優しさが込められたお料理ですね☆
このドリアは今も横浜ホテルニューグランドの名物料理となっています。
 
考えてたら食べたくなってきました♪♪
上にかかったとろけているチーズをのばしながら、アツアツをいただくっっ♪おいしそ~~~♪
 
 
相手を気遣って生まれたお料理が、時代を超えて今もなお愛されているというのは非常に素晴らしいことだと思います。
これからもずっと愛されていくに違いありません^^
 
 
tomo

二十世紀梨の発祥の地は千葉県のゴミ捨て場!?

2011-09-07 18:31:14 | Weblog

梨のおいしい季節になってきましたね。街中でも見かける機会が多くなってきました。
ところで、先日おもしろい話を教えていただきました。
「二十世紀梨はどこが発祥の地か!?」というもの。
みなさまはどこだと思いますか??
島根県の特産品ですし、やっぱり鳥取県?????

実は、千葉県・松戸市なのだそうです!!!
しかも、最初に発見されたのはなんとゴミ捨て場だというから驚きです!!!
1888年、千葉県大橋村(現・松戸市)において当時13歳の松戸覚之助という少年がいました。親類宅のゴミ捨て場で梨の苗木を見つけました。そう、これが後の「二十世紀梨」☆

梨園を経営していた覚之助の父は虚弱な苗として興味を持ちませんでしたが、覚之助少年は非常に興味をもち、じっくりと育ててみることにしました。しかし、なにせ虚弱な苗ですから、育てるのは非常に困難であり、試行錯誤の上10年後にようやく成熟に至ります。
当初「青梨新太白」と名づけられましたが、あまりの素晴らしい出来に「これぞ20世紀最高傑作」ということで、1898年東京興農園主の渡瀬寅二郎と東大助教授の池田伴親氏により「二十世紀梨」と新たに命名されました。
 
現在、松戸市を含む関東地方ではあまり栽培されていませんが、発祥の地は「二十世紀が丘梨本町」と名づけられ、地名として名残をみせています。
 
ところで、「二十世紀梨」を読んでみてください。なんと読まれますか??
こちら、正確には・・・
 
にじっせいきなし」と読みます。お間違いのないよう~♪
 
梨好きとしてはこの季節たまりませんっ♪♪
 
 
tomo

日本で一番古いブラジル料理屋さん!?

2011-09-06 18:45:54 | Weblog

本日のランチは事務所の近くにあるブラジル料理屋さん『サッシ ペレレ』に行ってきました。

 
実はこのお店、日本におけるボサノヴァの第一人者としてその地位を不動のものとしている小野リサさんのお父さまが経営されているそうで、1974年にオープンしたこのお店は日本で一番古いブラジル料理のお店ともいわれています。

お昼にはラ4つほどのンチメニューが用意されているのでそこから選択♪
こちらが、「ガーリックチキン」。
 

こちらが、「フェイジョアーダ」。

 
フェイジョアーダというのは豆と豚肉、牛肉を煮込んだ料理。
ブラジル、ポルトガル、アンゴラ、サントメ・プリンシペ、東ティモールなどポルトガルおよびその旧植民地で食べられているそうですが、その中でもブラジルのものは世界最も有名なフェジョアーダです。代表的なブラジル料理で、ブラジルの国民食と呼ばれています。
黒豆とお肉がじっくり煮込まれた一見カレーのようなこちらの料理。味は甘めでマイルド。おいしい♪

ブラジル料理ってあまり食べる機会がありませんでしたが、すごく興味が出てきました^^

ランチ中、生ライブも行われていて、仕事中だということを忘れてしまいそうでした☆

ぜひまた行ってみたいと思います♪


tomo


サンドアートに目が釘付け☆

2011-09-05 19:57:10 | Weblog

サンドアートをご存知でしょうか?

 
最近ですと、JA共済連の『身近な場所』篇という交通安全啓発CMで見かけることがあります。
砂と手を使って自在に物を描き出し、物語を展開させていくその手法に目が離せません。

画像: http://www.ja-kyosai.or.jp/about/press_nendo/2010/20100917/files/20100917_2.pdf#search='JA 身近な場所'より

向こう側より得られる光とガラスの板にある砂を使って濃淡を描き、人、木、自動車など手早くかつ自在に生み出していきます。
独特の柔らかい雰囲気で温かみがあり、『安全』を表現するCMにもぴったり。

このCMのサンドアートを描き出しているのは、「国際的なサンドアート・アーティストのキム・ハジュン氏。
ぜひ、生でこの描き出している様子をみてみたいですね!!

ぜひ注目してご覧になってみてください☆


tomo


人が爪に色を塗り始めた理由・・・

2011-09-02 18:44:43 | Weblog
キーボードで文字を打ち込みながら思ったのです。
マニキュアって何者??
そこに色を付ける場所があったから色を塗り始めたの・・・???
 
そもそも、マニキュアとは、ラテン語で「手」を意味するmanusと「手入れ」を意味するcureが合わさったものであり、つまり「手のお手入れ」という意味しています。
色を塗るという行為は、紀元前3000~4000年頃の古代エジプト時代にはすでにあったようで、ヘナと呼ばれる花の汁で爪が染められていました。
ちなみに、階級が高くなるほど濃い色で染められていたようですので、階級を示す目印的なものとして使われていたのかもしれません。
日本でいう禁色のような制度かしら???
 
日本に伝来してきたのは平安時代といわれています。
江戸時代では「爪紅(つめべに)」と呼ばれていたという記録がのこっています。
当時、ホウセンカの紅い汁を爪にこすりつけ爪を着色していたといわれています。
そんなこともあり、ホウセンカには「爪紅(ツマクレナイ)」という異名があります。
なるほど。
 
爪に塗ってみようと誰が最初にはじめ普及させたのか・・・謎は残りますが、それが何千年の時を越えてある意味文化として残っているわけですから非常に偉大なことだと思います。
 
身近な疑問が出てきたらまた調べてみたいと思います^^☆
 
 
tomo

浴衣でぷらり鎌倉散策♪

2011-09-01 18:57:33 | Weblog
先日浴衣を着て鎌倉に繰り出してきました♪
夏といえば、やっぱり浴衣☆例え花火大会に行けなくとも、1年に1度くらいは着たいものです。
というわけで、お友達と浴衣鎌倉散策企画を実行~~!
 
鎌倉といえば、「鎌倉大仏」ですね!
 
「長谷の大仏」とよく言われますが、決して長谷寺にあるわけではありません。
「高徳院」というお寺にありますのでご注意を^^☆
変わらず大きく、存在感のある風格。
この鎌倉大仏は少し猫背気味なのですが、それは鎌倉期に流行った「宋風」の仏像の特色を示しているから。
特徴と時代関係を見ると面白いですね。
 
その日のお夕飯はお蕎麦がいただけるお店「松原庵」へ。
閑静な住宅地に佇むそのお店は、住居だった日本家屋を改装して作られています。
なんといっても照明が美しいです。
 
わたしたちは今回テラス席でしたが、そのテラス席から家屋の中を眺めると、その光の放ち方がとっても魅力的。幻想的です。
鎌倉野菜を用いたものや相模湾近海の魚介を使ったものなどお料理にもこだわりを見せます。
 
 
呑んでもいないのにこの雰囲気に酔ってしまいそう~♪
 
鎌倉は東京から近いのに、都会の喧騒を忘れさせてくれるゆったりとした独特の雰囲気があってとても好きです。
ちなみに、浴衣姿は道行く人になかなかの人気で、鎌倉大仏前では外国の方々に一緒に写真を撮ってほしいと依頼され、松原庵では日本人の方に素敵ですねと声を掛けていただいたり。普通にプラスαの要素が加わってより楽しい散策となりました^^
 
まだまだ夏は終わらない!?
ぜひみなさまも浴衣散策されてみてはいかがですか?おすすめです☆
 
 
P.S.台風が近づいていますね。。。みなさま、帰り道お気をつけて!!
 
 
tomo