旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

足利学校

2021年08月04日 | 旅 歴史

 栃木県足利市昌平町に足利学校があります。
 足利学校は日本最古の総合大学です。隆盛期の天文年間には全国から多くの学徒が儒学・医学・兵学などの授業を受けました。創設については、国学の遺制説、また小野篁(おののたかむら)説、、足利義兼説など様々あります。再興したのは鎌倉にいた関東管領(かんれい)の上杉憲実でした。 
 応永26年(1419)管領の職を継いで以来、尚書正義(しょうしょせいぎ)20巻をはじめ、毛詩註疏(もうしちゅうそ)(重文)、礼記(らいき)正義(国宝)、春秋左伝註疏などを寄進しました。鎌倉円覚寺の僧であった快元を初代庠主(しょうしゅ)(校長)に招くなど学校の復興を図りました。
 憲実の子孫の憲房も父祖の志を受けて書籍を学校に寄進するなど、学校のために尽くしました。7代目の庠主・九華(きゅうか)の代になると学校はますます盛況を極め、天文年間(1530-1555)には3000人もの生徒が学んだといわれています。
 宣教師フランシスコ・ザビエルはインドのゴア政庁に「日本国中最も大にして最も有名な坂東の大学」と報告しています。
 永禄3年(1560)には小田原の北条氏政が金沢文庫の宋版「文選(もんぜん)」(国宝)を寄進しています。
 学校では、儒学を中心に易(えき)学・兵学・医学などが講義されていました。田代三喜・曲阿瀬道三(まなせどうさん)という有名な医師も育ちました。応仁の乱以後、戦国大名が最も必要としたのは卜筮(ぼくぜい)(占いの技術)でした。
 卒業者はその道の権威者として重んじられました。たとえば徳川家康に仕えた第9代の庠主・三要(さんよう)は有名です。家康に気に入られ孔子廟の修理もやってもらったほどでした。
 江戸時代末期には藩校へと移行し、明治5年(1872)廃校になりました。孔子廟と学校門を残し、それ以外の方丈などは取り壊されました。昭和57年(1982)「史跡足利学校跡保存整備事業」に着手し平成2年(1990)12月に復元され江戸中期の姿に蘇りました。

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