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旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

勝興寺本堂

2025年04月04日 | 旅 歴史

 富山県高岡市伏木古国府に勝興寺(しょうこうじ)があります。
 勝興寺の本堂は間口39.3m、奥行37.4m、高さ23.5mの大きな建造物です。1重、入母屋造り、向拝3間があり、金属板葺きで、寛政7年(1795)に建てられています。全国の国宝・重要文化財の建造物の中でも平面積は8番目の大きさを誇っています。令和2年(2020)に国宝に指定されました。

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http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


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勝興寺

2025年04月03日 | 旅 歴史

 富山県高岡市伏木古国府に勝興寺(しょうこうじ)があります。
 勝興寺は越中国府の国庁跡と伝わる地に建立された浄土真宗本願寺派のお寺です。承久の乱(1221)で佐渡へ流された順徳天皇の第3皇子・成彦親王が親鸞に帰依して、善空房信念となり、佐渡に一宇を創建、上皇より殊勝誓願興行寺という勅号を得たのが始まりだといわれています。
 文明3年(1471)、本願寺6世・蓮如が越中砺波郡蟹谷庄土山(南砺市土山)に土山御坊を開きました。蓮如の子・蓮誓は、二俣本泉寺、井波瑞泉寺とともに3寺を兼任しました。
 その後、明応3年(1494)に蟹谷庄高木場(南砺市高窪)へ移転しました。永正14年(1517)に順徳上皇の勅願所だった勝興寺の寺号を譲られることになり本願寺も承認しました。火災による焼失後、永正16年(1519)に安養寺村(小矢部市末友)に移転し、安養寺御坊勝興寺と改めています。
 当時の寺領は10万石に及び、瑞泉寺と並んで越中一向一揆の中心勢力として猛威を振るいました。天正9年(1581)に織田信長と石山寺本願寺との合戦に参戦しました。その間隙をついて木船城主石黒左近が領内に侵入し堂宇は焼失しました。
 天正12年(1584)、佐々成政に属した守山城主・神保氏張から現在地である出城の古国府城が寄進され、堂宇を再建されました。その後領主となった前田利長からも庇護され寺領が安堵されました。
 江戸時代に入ると加賀藩主前田家から庇護され寺領75石が寄進され、堂宇の改修や造営にも藩費が使われました。慶安2年(1649)に3代藩主・利常の養女つるが入輿し、延享3年(1764)には5代藩主・吉徳の8男・時次郎が勝興寺に入りました。
 明和8年(1771)、兄・重教の隠居により、勝興寺住職となっていた前田時次郎は還俗して加賀藩10代藩主・治脩(はるなが)となりました。現在の勝興寺の境内は約3万3千平方mと広大で、周囲は堀に囲まれ、中世の豪壮な城郭寺院の風格を残しています。
 本堂、大広間及び式台は令和2年(2020)に国宝に指定されました。唐門、経堂、御霊屋、鼓堂、宝蔵、総門、式台門、台所、書院及び奥書院、御内仏が国の重要文化財に指定されています。寺宝も紙本金地著色洛中洛外図など数多く所持しています。

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清水町配水塔資料館旧配水塔

2025年04月02日 | 旅 歴史

 富山県高岡市清水町に清水町配水塔資料館があります。
 清水町配水塔資料館の旧配水塔は昭和6年(1931)に建築されました。1階から4階までは直径9.29mの鉄筋コンクリート造りで、その上の5階部分に銅板張りの貯水槽が乗っています。直径11.4mあります。旧配水塔の高さは29.7mになり、容量は355立方mです。
 開口部上部はファンライト風半円形の欄間を設けています。入口はアーチ風、基礎に段差を付けるなど洋風建築の要素を取り入れています。犬養毅元内閣総理大臣揮毫の「恵澤萬年」が刻まれた御影石の扁額が設置されています。
 旧配水塔は昭和60年(1985)に「近代水道百選」に選定されました。平成8年(1996)には「国土の歴史的景観に寄与しているもの」との登録基準を満たしている事から国の有形文化財に登録され、平成21年(2009)にも富山県教育委員会による「とやまの近代歴史遺産」に選定されました。

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清水町配水塔資料館

2025年04月01日 | 旅 歴史

 富山県高岡市清水町に清水町配水塔資料館があります。
 この資料館は清水町水道公園内にある水道に関する博物館です。昭和6年(1931)に完成した高岡市の水道施設で、旧配水塔の1階部分を活用し、工事写真、装置、工具などを展示しています。平成8年(1996)に旧配水塔、第三源井上屋、水源地水槽の3棟が国の有形文化財に登録されました。

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武田家住宅主屋

2025年03月31日 | 旅 歴史

 富山県高岡市太田に武田家住宅があります。
 武田家住宅は、間口、奥行ともに21mで、建築面積は443平方mという大規模な邸宅です。茅葺きの寄棟造りですが、背面はこけら葺きの切妻造りの越屋根としています。その下部に茅葺き屋根をまわし、さらに北側を除く3面に桟瓦葺きの下屋を設けています。
 「ひろま」及び「ちゃのま」の天井に見られる「枠の内」といわれる豪壮な梁組みや、小壁の三段化粧貫、竹簀子天井などに当時の農家建築様式の典型をみることができます。武田家住宅は昭和46年(1971)に国の重要文化財に指定されています。

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武田家住宅

2025年03月30日 | 旅 歴史

 富山県高岡市太田に武田家住宅があります。
 武田家は、甲斐の武田信玄の弟・逍遙軒(しょうようけん)信綱の子孫と伝えられていて、代々十村役(大庄屋)をつとめた豪農でした。山岡鉄舟や横山大観ら多くの著名人がこの家に滞在し、作品を残しました。
 武田家住宅は、安永年間(1772-1780)にかけて勝興寺本堂が再建されたときの余材で建てられたといわれていて、構造や手法からもその頃のものであるようです。

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桜谷古墳

2025年03月29日 | 旅 歴史

 富山県高岡市太田字桜谷に桜谷古墳(さくらだにこふん)があります。
 桜谷古墳は二上山丘陵の北東の雨晴海岸に近い、標高20mの台地にある北陸地方最大級の古墳です。4世紀から5世紀にかけて築かれたもので、大正7年(1918)に諏訪社の神木の老松を掘り出した際に内行花文鏡1面と管玉13個が出土し、前方後円墳が2基と円墳が7基発見されました。
 桜谷1号墳は、柄鏡式の前方後円墳で、全長62m前方部の幅30m、後円部の径35m、高さ6mという規模です。高さは5.4mで、三段に築かれています。
 桜谷2号墳は、後円部の径33mで、前方部が小さく、帆立貝式前方後円墳といわれるものです。大正12年(1923)に後円部から碧玉製紡錘車(へきぎょくほうすいしゃ)、石釧(いしくしろ)、菅玉(くだたま)などが出土しました。
 地方にはたいへん珍しい大型前方後円墳であることや、立地条件の良さから、大和政権下の一行政区となった、当時の地方官またはそのゆかりの者の墓だろうと考えられています。桜谷1号墳、2号墳は昭和9年(1934)に国の史跡として指定されています。

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高岡銅器

2025年03月28日 | 旅 歴史
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 富山県高岡市は高岡銅器で有名です。
 高岡市は高岡城の城下町として盛え、北部の伏木地区は大伴家持が国司として赴任した越中国の国府がありました。高岡は日本で銅器の生産額の約95%を占めています。高岡大仏や梵鐘などの大きいものから、銅像などの細かい作品まで、多彩な鋳造技術は全国的にも有名です。
 慶長16年(1611)、高岡の町を開いた加賀藩2代藩主、前田利長が7人の鋳物師を招いて鋳物産業を興させたのがこの町の始まりだそうです。金屋町には千保川のほとりに静かに軒を並べる町並みが残されています。
 一国一城令により、高岡城がなくなったあとも「高岡の人々の転出を規制し、商業都市への転換を図る」という前田利常の政策が功を奏し、商工業が発展しました。
 高岡銅器のほか高岡漆器などの伝統工芸品も有名です。アルミサッシの生産額は日本一を誇っています。

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時鐘

2025年03月27日 | 旅 歴史

 富山県高岡市大手町に高岡大仏がある大仏寺に時鐘があります。
 寺島蔵人奉行は時を告げる時鐘製作に奔走し、文化元年(1804)に初代大鐘を造りました。しかし不具合があり金屋町出身の鍋谷仁左衛門が改鋳を願い出て浄財を集め文化3年(1806)に完成させました。大火など経て大仏寺に寄付され寺宝となっています。

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高岡大仏

2025年03月26日 | 旅 歴史

 富山県高岡市大手町に高岡大仏があります。
 高岡大仏は高さ15.85mで、小杉大仏、庄川大仏と共に越中三大仏の一つです。また一説には天平勝宝4年(752)に造られた高さ18.08mの奈良大仏、寛元4年(1246)に造られた高さ13.35m(台座を含む)の鎌倉大仏と並んで日本三大仏に数えられています。「銅器のまち」高岡のシンボルです。
 承久3年(1221)に源義勝によって約4.8mの木造大仏が二上山の麓に建立されたのが最初です。慶長14年(1609)前田利長によって高岡が開町し、大仏は城下に移転されました。その後に焼失しましたが延享2年(1745)に極楽寺の等誉上人が、高さ約9.7mの金色の木造大仏を造りました。
 その後文政4年(1821)にその大仏も焼失し、天保12年(1841)に再建されましたが、明治33年(1900)の高岡大火で再び焼失してしまいました。明治40年(1907)松木宗左衛門が発願し、荻布宗四郎などの協力を得、高岡銅器の職人の努力の末、昭和7年(1932)現在の大仏が完成し、翌年開眼式が盛大に行われました。
 高岡大仏の「円光背」には、阿弥陀仏の仏徳を一字で表現する梵字「キリーク」が頂点に配されています。高岡大仏が鎮座する台座の内部は回廊となっていて、壁面には地獄絵などの仏画や、高岡大火で類焼した大仏の焼け残りとされるご尊顔が安置されています。

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射水神社の紅梅

2025年03月25日 | 旅 歴史

 富山県高岡市古城の古城公園内に射水神社(いみずじんじゃ)があります。
 射水神社の紅梅は明治8年(1875)に現在地の高岡城本丸跡に遷座したことを祝い、白銀町の篤志により奉納された紅梅です。樹齢約400年の年月を重ね、今なお幹から直接に花をつけています。

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射水神社社殿

2025年03月24日 | 旅 歴史

 富山県高岡市古城の古城公園内に射水神社(いみずじんじゃ)があります。
 射水神社の社殿は明治33年(1900)の高岡大火の時に類焼して焼失しました。2年後の明治35年(1902)に再建されています。拝殿は木造平屋建て、間口3間、奥行2間、切妻造り、平入、銅板葺です。本殿は神明造り、銅板葺きです。

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射水神社

2025年03月23日 | 旅 歴史

 富山県高岡市古城の古城公園内に射水神社(いみずじんじゃ)があります。
 射水神社は越中総鎮守として二上山に祀られていた古社で、延喜式では名神大社に列し、越中式内34社の首位に置かれていました。二上山自体を神とし、その麓に鎮座していましたが養老元年(717)、元正天皇の勅願により行基が養老寺を開山し、射水神社の別当にしました。
 祭神の二上神を二上権現として祀り、神仏混合の大社として繁栄しました。越中では高瀬神社と同階で最高位になり、越中国一宮でもあります。ただ越中一宮と主張する神社は射水神社のほか気多神社、高瀬神社、雄山神社などがあります
 承平年間(931-938)に兵火にかかり社殿、社宝など灰燼に帰しました。天暦年間(947-957)に空也が再建し、社殿も整備されましたが、天正年間(1573-1592)に度々兵火に見舞われ宿坊三ヶ寺を残すだけとなったそうです。
 前田利家が領主となると社殿は修築され、二上山一山を社地として寄進されました。その後も歴代前田家から崇敬され庇護されました。神仏分離令により仏式が廃され、明治8年(1875)に現在地に遷座しました。明治33年(1900)の高岡市の大火で類焼しましたが2年後に再建されています。

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高岡古城公園

2025年03月22日 | 旅 歴史

 富山県高岡市古城に高岡古城公園があります。
 高岡古城公園は加賀藩2代藩主、前田利長が築いた高岡城の城址を、明治8年(1875)公園として開放したものです。園内には無料の動物園、蒸気機関車、芝生広場、遊具、博物館、体育館などがあります。桜の名所としても有名で日本さくら名所100選に選定されています。
 加賀前田家2代の利長は、慶長3年(1598)に利家の後を継ぎ当主となりました。慶長10年(1605)に利常を3代藩主にして、自らは隠居して富山城に移りました。慶長14年(1609)3月の大火により富山城は焼失しました。そこで、当時関野と呼ばれていた地に新しく城をつくることにしました。
 高岡城の縄張は当時、前田家の客将だった高山右近とされています。右近はキリシタン大名で、築城の名手として有名でした。利長は、「詩経」の一節から関野の地を「高岡」と名付け、慶長14年(1609)9月に高岡城に入城しました。
 慶長19年(1614)に利長は亡くなり、翌年には一国一城令により、火災から再建された富山城に城機能は移され、高岡城は廃城となりました。廃城後も高岡町奉行所の下で、加賀藩の米蔵・塩蔵・火薬蔵・番所などが置かれ、軍事拠点としての機能は密かに維持されそうです。
 明治3年(1870)、金沢藩は高岡城跡を民間に払い下げしましたが、区長の服部嘉十郎らの尽力により城跡は明治8年(1875)に「高岡古城公園」として残りました。高岡城は日本100名城に選ばれ、約21万平方メートルの広大な城跡公園は市民の憩いの場となっています。


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瑞龍寺石廟

2025年03月21日 | 旅 歴史

 富山県高岡市関本町に瑞龍寺(ずいりゅうじ)があります。
 瑞龍寺の石廟は瑞龍寺を造営したとき,開山の広山恕陽禅師が利長、利家の父子に織田信長、信忠と信長の側室も加えて同じ形式の5基を建造しました。利長の石廟には壁面に25菩薩が刻まれています。石造建築の貴重な遺構で富山県の文化財に指定されています。

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