2月14日といえば、バレンタインデー。
「女の子が男の子に愛の告白をする日」つまり「好きなひとにチョコレートを渡す日」と認識したのが、3歳くらいのことだったように思います。小さな頃は好きな男の子がたくさん居て、あっちにもこっちにも・・・。というような記憶もあります。
ところが、近年、特にある程度の年齢に達した女性たちの間では、どちらかというと「チョコレートのお祭り」のようなイメージが強くなってきているように感じます。
「本命チョコ」「義理チョコ」の他に「友チョコ(=女性の友達同士で贈り合う)」、「自分チョコ」なども習慣化し、現在ではチョコレートの年間消費量の4分の1がこの日に消費されると言われるほどですから、国民的行事といっても過言ではないでしょう。
ちなみに、この4分の1の消費量であるチョコレートの売上。なんと約600億円!!!
なるほど、各所でバレンタインフェアが盛大に行われる理由もわかります。
このくだりで大方の予想はお付でしょうが、今日はこのバレンタインデーについて調べてみました。
そもそもバレンタインデーとは269年(270年という説もあります)、ローマ皇帝の迫害下で殉教した聖ヴァレンチノ(=バレンタイン=英語読み)司教の記念日であったことに由来していると言われています。
歴史上の事実であるかどうかは、定かではないようですが、バレンタインデーの背景には悲しい歴史が隠れていました。
舞台は3世紀のローマ帝国。後に「軍人皇帝時代」と呼ばれる軍隊が皇帝を擁立・廃位した軍事的内乱時代で、235年から285年のわずか50年の間に18人の皇帝が登位しました。
そんな中、268年に登位した皇帝クラウディス2世は、「若者たちが自分の愛する者を想うが故に戦争に行きたがらない」という理由から結婚を禁止する法令を出しました。
この法令に反し、内緒で結婚させていたのが当時禁教でもあったキリスト教の司祭ヴァレンチノです。それが皇帝の知るところとなり、皇帝はヴァレンチノをローマの宗教に改宗させようとしたのです。
拒否したヴァレンチノは、とうとう269年2月14日処刑されてしまいます。
その後、キリスト教はローマ帝国の国教となり、2月14日はバレンタイン司祭の死を悼む「聖バレンタインデー」となりました。
14世紀頃よりバレンタインは愛の守護神とみなされるようになり、恋人に限らず、広く愛し合う者同士が気持ちを伝えある日として広まったようです。
では、日本ではなぜ「チョコレート」なのでしょうか。
「チョコレート業界の陰謀」などとも囁かれていますが、神戸モロゾフ菓子店が1936年2月12日に国内英字新聞「ジャパン・アドバタイザー紙」に「バレンタインデーにはファンシーケース入りのチョコレートを贈りましょう」という広告を掲載したのがはじまりのようです。
その後1958年2月、メリーチョコレート会社が、新宿伊勢丹の売り場に「バレンタインセール」という手書きの看板を出しました。発案者は後に社長にまで出世されたそうですが、その年、3日間で3枚、たった170円の売上にしかならなかったそうです。
1959年には、ハート型のチョコレートが発売。「女性から男性へ」プレゼントしましょう。と宣伝され始めたのがこの時期です。
1960年以降、森永製菓など多くのチョコレート会社が販売促進を行った結果、1975年頃より日本中に定着するまでになったようです。
これに派生してできた文化が「ホワイトデー」。
これは日本独自の行事のようです。この起源にはいろいろな説があるみたいです。
例えば、1978年に福岡市のお菓子屋「石村万盛堂」がマシュマロを売り出したのが始まりだといわれている説。
またあるいは、1968年頃から不二家が「リターン・バレンタイン」の名目で、キャンディーやマシュマロの販売促進を行ったという説。
さらに、1980年「全国飴菓子協同組合」が3月14日を「キャンディーの日」と定め後に「ホワイトデー」になったという説があります。
この他4月14日を「オレンジデー」と呼び、恋人同士がオレンジ(色のもの?)を贈りあい、愛情の確認をする日という、なんだか意味のわからない記念日までできているみたいですが、まだまだ一般的ではないようです。
当然、私も今日初めて知りました。
「記念日」とか「イベント」事は女性として、決して嫌いではありませんが、この「オレンジデー」とやらには「?」でいっぱいです。
これも、数十年後には国民的行事に登りつめていたりするのでしょうか。(笑)
「女の子が男の子に愛の告白をする日」つまり「好きなひとにチョコレートを渡す日」と認識したのが、3歳くらいのことだったように思います。小さな頃は好きな男の子がたくさん居て、あっちにもこっちにも・・・。というような記憶もあります。
ところが、近年、特にある程度の年齢に達した女性たちの間では、どちらかというと「チョコレートのお祭り」のようなイメージが強くなってきているように感じます。
「本命チョコ」「義理チョコ」の他に「友チョコ(=女性の友達同士で贈り合う)」、「自分チョコ」なども習慣化し、現在ではチョコレートの年間消費量の4分の1がこの日に消費されると言われるほどですから、国民的行事といっても過言ではないでしょう。
ちなみに、この4分の1の消費量であるチョコレートの売上。なんと約600億円!!!
なるほど、各所でバレンタインフェアが盛大に行われる理由もわかります。
このくだりで大方の予想はお付でしょうが、今日はこのバレンタインデーについて調べてみました。
そもそもバレンタインデーとは269年(270年という説もあります)、ローマ皇帝の迫害下で殉教した聖ヴァレンチノ(=バレンタイン=英語読み)司教の記念日であったことに由来していると言われています。
歴史上の事実であるかどうかは、定かではないようですが、バレンタインデーの背景には悲しい歴史が隠れていました。
舞台は3世紀のローマ帝国。後に「軍人皇帝時代」と呼ばれる軍隊が皇帝を擁立・廃位した軍事的内乱時代で、235年から285年のわずか50年の間に18人の皇帝が登位しました。
そんな中、268年に登位した皇帝クラウディス2世は、「若者たちが自分の愛する者を想うが故に戦争に行きたがらない」という理由から結婚を禁止する法令を出しました。
この法令に反し、内緒で結婚させていたのが当時禁教でもあったキリスト教の司祭ヴァレンチノです。それが皇帝の知るところとなり、皇帝はヴァレンチノをローマの宗教に改宗させようとしたのです。
拒否したヴァレンチノは、とうとう269年2月14日処刑されてしまいます。
その後、キリスト教はローマ帝国の国教となり、2月14日はバレンタイン司祭の死を悼む「聖バレンタインデー」となりました。
14世紀頃よりバレンタインは愛の守護神とみなされるようになり、恋人に限らず、広く愛し合う者同士が気持ちを伝えある日として広まったようです。
では、日本ではなぜ「チョコレート」なのでしょうか。
「チョコレート業界の陰謀」などとも囁かれていますが、神戸モロゾフ菓子店が1936年2月12日に国内英字新聞「ジャパン・アドバタイザー紙」に「バレンタインデーにはファンシーケース入りのチョコレートを贈りましょう」という広告を掲載したのがはじまりのようです。
その後1958年2月、メリーチョコレート会社が、新宿伊勢丹の売り場に「バレンタインセール」という手書きの看板を出しました。発案者は後に社長にまで出世されたそうですが、その年、3日間で3枚、たった170円の売上にしかならなかったそうです。
1959年には、ハート型のチョコレートが発売。「女性から男性へ」プレゼントしましょう。と宣伝され始めたのがこの時期です。
1960年以降、森永製菓など多くのチョコレート会社が販売促進を行った結果、1975年頃より日本中に定着するまでになったようです。
これに派生してできた文化が「ホワイトデー」。
これは日本独自の行事のようです。この起源にはいろいろな説があるみたいです。
例えば、1978年に福岡市のお菓子屋「石村万盛堂」がマシュマロを売り出したのが始まりだといわれている説。
またあるいは、1968年頃から不二家が「リターン・バレンタイン」の名目で、キャンディーやマシュマロの販売促進を行ったという説。
さらに、1980年「全国飴菓子協同組合」が3月14日を「キャンディーの日」と定め後に「ホワイトデー」になったという説があります。
この他4月14日を「オレンジデー」と呼び、恋人同士がオレンジ(色のもの?)を贈りあい、愛情の確認をする日という、なんだか意味のわからない記念日までできているみたいですが、まだまだ一般的ではないようです。
当然、私も今日初めて知りました。
「記念日」とか「イベント」事は女性として、決して嫌いではありませんが、この「オレンジデー」とやらには「?」でいっぱいです。
これも、数十年後には国民的行事に登りつめていたりするのでしょうか。(笑)