ここのところ、立て続けに新潮新書の書籍を読みました。
最初に読んだのが、「好かれる方法」。
タイトルのストレートさに惹かれて購入しました。
その内容は、PR会社の社長である著者が、その経験を基にPRの方法をまとめられたものでした。
ハチセでも様々な場面で、パブリシティを利用したPR活動をしており、私が担当したものだと、新築のモデルハウス及びリ・ストック制震工法を取り入れたリ・ストック京町家モデルハウスがその例です。
Advertisementではなく、publicityの利用は、うまくいくと期待以上の宣伝効果を得ることができる手段ですが、あくまで、記者の感覚で公開されるために、こちら側の思惑とは全く違うかたちで掲載されることもあります。
これは、Advertisementとは違い、原稿を公開前にチェックできないことが一番の原因です。ですから、原稿をチェックしなくても、私たちの思いを正確に伝えることができれば、私たちの思いを「面白い」と思ってもらうことができれば、無料で世間に広く情報を流すことが可能になります。
ところが、これがとても難しくて、私は二度とも全くうまくいきませんでした。
そこで、何かのヒントがあれば・・・。と手にしたのがこの本です。
結果的には、良くわからなかった。というのが正直な感想です。
PRに限らず、こういった類の「○○の方法」といった本は、数多く出版されていますが、結局その核心というか結論は、自分で見出さなければならない。ということに改めて気付かされることがほとんどです。
ただ、この本を通して、初めて理解できたことがあります。
それは、PRという言葉は、Public(公衆・大衆)とRelations(関係)の頭文字を取ってつくられた言葉だということです。つまり、PRとは、「大衆や公衆、ひいては社会との関係を向上させて、良好なものにする行為」だとそこには記されていました。
要するに、PR活動とは、一方的にこちらの考えを発表するのではなく、対象とする人との良好な関係を築くことで、そこから潜在的に存在する魅力を相手方から引き出してもらうという相互関係があってこそ成立するものだと知りました。
それから、なんとなくもやっとしたものを抱きながら、次に手に取ったのが、「人は見た目が9割」です。
高校生の頃、ハンドボール部に所属していた私は、中学時代では考えられないほど、その顧問のことを信頼し、尊敬していました。
その先生との関わりの中で、「オシム語録」ならぬ数多くの「ユミ語録」が私の心に刻まれているのですが、その内の1つが次ぎのような言葉でした。
「『人を見た目で判断するな』って習ったやろう?人はね、見た目で判断するものなんだよ。だから、そんな言葉があるんだよ。」
これは、服装の乱れを改善させるために私たちに向けられた言葉なのですが、当時この言葉に妙に納得してしまって、それからの生活の中で、人だけではなく、商品も含めて「見た目」に左右されることの多さを改めて実感するようになりました。
この本のページをめくると、比較的早い段階で前述と同じ記述に出会います。うん。うん。と次々に読みすすめていくのですが、納得のいく部分と(そうかなぁ?)と感じる部分とがありました。まぁ、こういった本は偏りがあるし、また、そんな偏りを正しいと思えなければ本として成立しないので、こんなものなのかなぁ。と足早に読み終わりました。
ここまできて、どうもスッキリしないので、次に手にしたのが、今更な感じもしますが、「国家の品格」です。
この本から、「品格」という言葉が今年の流行語大賞にも選ばれたようですね。
私もなんとなく、予想はしていました。今年はやたらと「品格」という言葉を耳にする機会が増えたような気がします。そして、最近になって急に話題の中心になり始めた「イジメ問題」や「虐待」その他モロモロの普通の感覚では理解に苦しむ事件を受けて、また「品格」という言葉を耳にする機会が一層増したようにも感じます。
2007年問題もいよいよ1ヶ月後になりましたが、今や知らない人はいないと言ってもいいほど有名になった「団塊の世代」という言葉。これも本はといえば元経済企画庁長官堺屋太一氏の著書がキッカケだったということ。これも知らない人はいないでしょう。私は、この本を読んだことがありません。
そんなわけで、今回は流行に乗っておこうと、手にとりました。
現在は、少し忙しくて、なかなか読む時間がとれず、まだ40ページそこそこしか読めていません。こちらももちろん、ある種の偏りが見られるのでしょうが、私は今のところ比較的、好意的な印象を持っています。
例えば、2002年から始まった「ゆとり教育」で小学生でも英語を習うようになりましたが、これに対して「英語よりも国語を優先すべきだ」という内容があります。
私もこれには、全く賛成で、当時から小学生で英語の科目が取り入れられることに賛成ではありませんでした。
そうは言っても、「あんた習ってたやん!」という母の言葉には何も言い返すことができませんでしたが・・・。
最初に読んだのが、「好かれる方法」。
タイトルのストレートさに惹かれて購入しました。
その内容は、PR会社の社長である著者が、その経験を基にPRの方法をまとめられたものでした。
ハチセでも様々な場面で、パブリシティを利用したPR活動をしており、私が担当したものだと、新築のモデルハウス及びリ・ストック制震工法を取り入れたリ・ストック京町家モデルハウスがその例です。
Advertisementではなく、publicityの利用は、うまくいくと期待以上の宣伝効果を得ることができる手段ですが、あくまで、記者の感覚で公開されるために、こちら側の思惑とは全く違うかたちで掲載されることもあります。
これは、Advertisementとは違い、原稿を公開前にチェックできないことが一番の原因です。ですから、原稿をチェックしなくても、私たちの思いを正確に伝えることができれば、私たちの思いを「面白い」と思ってもらうことができれば、無料で世間に広く情報を流すことが可能になります。
ところが、これがとても難しくて、私は二度とも全くうまくいきませんでした。
そこで、何かのヒントがあれば・・・。と手にしたのがこの本です。
結果的には、良くわからなかった。というのが正直な感想です。
PRに限らず、こういった類の「○○の方法」といった本は、数多く出版されていますが、結局その核心というか結論は、自分で見出さなければならない。ということに改めて気付かされることがほとんどです。
ただ、この本を通して、初めて理解できたことがあります。
それは、PRという言葉は、Public(公衆・大衆)とRelations(関係)の頭文字を取ってつくられた言葉だということです。つまり、PRとは、「大衆や公衆、ひいては社会との関係を向上させて、良好なものにする行為」だとそこには記されていました。
要するに、PR活動とは、一方的にこちらの考えを発表するのではなく、対象とする人との良好な関係を築くことで、そこから潜在的に存在する魅力を相手方から引き出してもらうという相互関係があってこそ成立するものだと知りました。
それから、なんとなくもやっとしたものを抱きながら、次に手に取ったのが、「人は見た目が9割」です。
高校生の頃、ハンドボール部に所属していた私は、中学時代では考えられないほど、その顧問のことを信頼し、尊敬していました。
その先生との関わりの中で、「オシム語録」ならぬ数多くの「ユミ語録」が私の心に刻まれているのですが、その内の1つが次ぎのような言葉でした。
「『人を見た目で判断するな』って習ったやろう?人はね、見た目で判断するものなんだよ。だから、そんな言葉があるんだよ。」
これは、服装の乱れを改善させるために私たちに向けられた言葉なのですが、当時この言葉に妙に納得してしまって、それからの生活の中で、人だけではなく、商品も含めて「見た目」に左右されることの多さを改めて実感するようになりました。
この本のページをめくると、比較的早い段階で前述と同じ記述に出会います。うん。うん。と次々に読みすすめていくのですが、納得のいく部分と(そうかなぁ?)と感じる部分とがありました。まぁ、こういった本は偏りがあるし、また、そんな偏りを正しいと思えなければ本として成立しないので、こんなものなのかなぁ。と足早に読み終わりました。
ここまできて、どうもスッキリしないので、次に手にしたのが、今更な感じもしますが、「国家の品格」です。
この本から、「品格」という言葉が今年の流行語大賞にも選ばれたようですね。
私もなんとなく、予想はしていました。今年はやたらと「品格」という言葉を耳にする機会が増えたような気がします。そして、最近になって急に話題の中心になり始めた「イジメ問題」や「虐待」その他モロモロの普通の感覚では理解に苦しむ事件を受けて、また「品格」という言葉を耳にする機会が一層増したようにも感じます。
2007年問題もいよいよ1ヶ月後になりましたが、今や知らない人はいないと言ってもいいほど有名になった「団塊の世代」という言葉。これも本はといえば元経済企画庁長官堺屋太一氏の著書がキッカケだったということ。これも知らない人はいないでしょう。私は、この本を読んだことがありません。
そんなわけで、今回は流行に乗っておこうと、手にとりました。
現在は、少し忙しくて、なかなか読む時間がとれず、まだ40ページそこそこしか読めていません。こちらももちろん、ある種の偏りが見られるのでしょうが、私は今のところ比較的、好意的な印象を持っています。
例えば、2002年から始まった「ゆとり教育」で小学生でも英語を習うようになりましたが、これに対して「英語よりも国語を優先すべきだ」という内容があります。
私もこれには、全く賛成で、当時から小学生で英語の科目が取り入れられることに賛成ではありませんでした。
そうは言っても、「あんた習ってたやん!」という母の言葉には何も言い返すことができませんでしたが・・・。