今治の町は、北西から東南にのびる海岸線と、その海岸線に垂直に走る線のきれいな碁盤の
目のようになっているのをご存じでしょうか。
これは、7,8世紀の条里制のなごりです。
今治は、1400年ほど前に京都と地方の国府を結ぶ太政官道である南海道の伊予の終点でし
た。国府の場所は未だに特定されていませんが、歴史ある立派な町だったのです。
今、たまたま、JA富田支所の横で発掘調査がされていますが、これは万が一「国府跡」が
でてくるかもとの期待もちょっとはあるのでは、と思います。
海岸線から垂直に伸びるのは、北東から南西の方向で、北東の海の近くの椿森神社が鬼門、
南東の山にある仙遊寺が裏鬼門を封じているとのこと。
富田新港から、まるひろ、上徳の湯、を通って鉄道の高架を上がると、お作札山の山頂近く
の仙遊寺が目の前に現れます。
自動車で気にしながら走っていますと、本当に、突然、堂々と目の前に現れます。
今治は、太古の昔からずっと、今も頑張っているような気がします。
目のようになっているのをご存じでしょうか。
これは、7,8世紀の条里制のなごりです。
今治は、1400年ほど前に京都と地方の国府を結ぶ太政官道である南海道の伊予の終点でし
た。国府の場所は未だに特定されていませんが、歴史ある立派な町だったのです。
今、たまたま、JA富田支所の横で発掘調査がされていますが、これは万が一「国府跡」が
でてくるかもとの期待もちょっとはあるのでは、と思います。
海岸線から垂直に伸びるのは、北東から南西の方向で、北東の海の近くの椿森神社が鬼門、
南東の山にある仙遊寺が裏鬼門を封じているとのこと。
富田新港から、まるひろ、上徳の湯、を通って鉄道の高架を上がると、お作札山の山頂近く
の仙遊寺が目の前に現れます。
自動車で気にしながら走っていますと、本当に、突然、堂々と目の前に現れます。
今治は、太古の昔からずっと、今も頑張っているような気がします。