ひぇ~、今日も暑かった!大東のすがし家で開催されたアナスタシアお茶会3日目。
ただ、昨日の大山のお茶会は、今日以上に蒸し暑かったらしいけど、エアコンなしのお茶会もアナスタシア風で良かったのかも。
学校は人生そのもの
さて、今日は、楽しみにしていた本邦初公開のドキュメンタリー映画「シチェチニン先生の学校 第2部」の上映がありました。
印象に残った言葉はいくつもありましたが、子どもたちに学校の感想をインタビューする場面で“毎日、生きる喜びを感じる”“学校が人生そのものであり、歩みたい道”だとの子どもたちの答え。
シチェチニン先生は、最初に教育の意味は“生きることの意味”“人間を幸せにする意味”であると仰っていましたが、学校で日々そのことを実感して過ごすこの学校の子どもたちは何と人間的なんだろうかと思わずにはいられません。
シリーズ6巻に紹介されている5歳に成長したアナスタシアの子どもは、自然や親族から得るイマジネーションによって、見事に成長している姿が描かれていますが、その姿はシチェチニン先生の学校の子どもたちの姿とダブります。
あるグループの子どもたちは、自分たちの住まいや学校施設になる建物の床や壁に、下書きもなしにペンキで直接絵を描いていくのですが、その絵は本当に素晴らしいもので、それは、想像と降ってくるインスピレーションによって描かれ、しかも、グループで作業する全員に降りてきて思いを共有して描き進められている。
彼らは、自分さえよければという意識はなくて、全員のために自分があり、その一人一人が個として最大に尊重されている。
あるがままに、日々満足して暮らす
小学校の校長先生をしていらっしゃった女性が参加していらっしゃいましたが、彼女とは、今の教育制度は完全に行き詰っているが、今の制度の中でそれを変えるのは至難だねとの思いが重なりました。
そういう意識を持った人たちが、さまざまなチャネルで子どもたちの本来持つ力を伸ばせる場づくりを進める時代ですねとも。
たまたま今朝、東京から見えた方が、時代が変わっているよね、オセロゲームのように、あっちで一つ、こっちで一つ、コマがひっくり返っているよねと仰っていましたが、これから、まさにオセロゲームのようにコマが返る時代かもしれません。
ただ、それは、日々が生きる喜びにあふれている人たちの手によってのみ、変わって行くものなんだろうと思えてなりません。
私たちは自然とともに、宇宙に生きていることを忘れないで、リハーサルではない生き方をしたいものです。
保江邦夫さんではありませんが、あるがままに、日々を最高の満足で生きる!そして、出雲人らしく、日本人らしく。