ニュージーランド移住記録:日記「さいらん日和」

2004年に香港からニュージーランドに移住した西蘭(さいらん)一家。子育て終了、仕事もリタイア。好きに生きる記録です。

香港

2014-10-01 | アジア・中華・香港
香港のことが気になって、なんとなく気もそぞろ。
ネットを見るたび、ついニュースをクリック。


どの辺で座り込んでいるんだろうか?

と写真をつぶさに見てしまったり。


10万人デモなどという話を聞くと耳を疑いそうながら、
1989年の天安門事件のときは、200万人デモも経験したので
桁の違いに香港の現実と大人たちの冷静さを垣間見るようです。

当時はこの通りが人で埋まり動けないほどでした。
沿道沿いの飲食店が大繁盛だったのも香港らしかったです


民主化を求めて座り込んでいる多くが学生のようで
天安門事件を知らない子どもたち。
または小さ過ぎて記憶がないであろう若い人たち。


どうかこの一件が第二の天安門事件になりませんように
と老婆心で祈らずにはいられません。


あの時も、
「まさか人民解放軍が学生に銃を向けるわけはない。
いくら中国でも、そこまではしないだろう。」
と、かなり直前まで思われていたのですから。


当時の香港はまさに電光石火で一丸となり
香港人らしく、整然とクールに大規模デモを成功させ
「このままゼネスト突入か?」
というところで、これまたクールに中止。


「これ以上中国を刺激したら、人民解放軍がやってくる!」
という懸念はこれまた電光石火の勢いで市民に共有され
一線を越えずに事態が収拾しました。


中国返還が決まっていても、まだイギリス統治下だったあの当時でさえ
「人民解放軍がやってくる!」
というのはリアルな実感でした。
だからこそ、ゼネストは幻で終わったのです。



香港在住の友人から
>不便ながら、ほとんどの人は普通の生活をしようとしています。
>(学生たちが)この行動の意味がどれだけわかっているかも疑問?
>ただただついていっているだけ。
というメールをもらいました。


地方から続々と物見遊山がてらの片道切符の学生が北京に集まり、
そのまま天安門で銃弾に倒れていった悲劇。


当時はネットどころか携帯電話もなく、天安門の学生と
次々と上京してくる学生の間に連絡はなかったも同然ですが、
今は情報を瞬時に世界中と分かち合える時代。


便利な反面、溢れる情報にほだされて
「ただただついていって」ないか?


可能性を信じないつまらない大人の見方と一蹴されるでしょうが
中国がこの手の動きに妥協したり話し合うはずはないでしょう。
ウイグル自治区だけでなく国内にも多数の同様の問題を抱え、
一国両制といえども「一国」の香港とて、例外ではないでしょう。


特に一国両制は香港に対し、
「国防と外交以外、高度の自治を認める」
制度なので、中国側の考えでは
「民主化デモは国防を脅かす」
という口実になるのでは?


「これ以上中国を刺激したら、人民解放軍がやってくる!」
問題がエスカレートすれば25年前に市民が共有したあの懸念は
今では現実となってしまうかもしれません。


どうかこれ以上のけが人が出ることなく



事態が早々に収束し



香港が持ち前の前向きさと明るさとガッツで

現実的に前へ前へと進んでいってくれますように



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