ニュージーランド移住記録:日記「さいらん日和」

2004年に香港からニュージーランドに移住した西蘭(さいらん)一家。子育て終了、仕事もリタイア。好きに生きる記録です。

ヒジャブを取って見えたもの

2019-03-24 | 経済・政治・社会
1週間ぶりに会ったイラン人の友だちは一回り小さく見えました。
私たちはテロがあった日、事件が起きる前に会っていました。
あの日は甲状腺と食べ物の関係の話で地味に盛り上がりました。


「誰かクライストチャーチに知っている人がいたの?」
「友だちが夫を亡くしたの。まだ小さい子がいるのよ。」


私たちは絶句したまま固く抱き合いました。
みな妻であり、母であり、立場は一緒。
宗教も人種も年齢も住む場所も超えて、
強く強く通じ合っていました。


彼女が一回り小さく見えたのは哀しみばかりでなく、
本当に一回り小さくなっていたからです


彼女は事件を機にヒジャブを取ることを決め、
私と会った日はまさにその最初の日でした。
取っただけで本当に小柄に見えたのです。


「取ったのね。」
「とうとうね。」


彼女は前々から取るかどうかで悩んでいました。
NZで育った娘たちからは取れ取れと言われ、
ご主人はどちらでもいいという容認派。
習慣を変えるかどうかは彼女次第でした。


事件が起きて、娘たちの取れ取れは本気になり、
なんとイラン本国の敬虔なイスラムの母上まで、
「お願いだから取って。」
と電話で懇願してきて、とうとう決めたそうです。


「ヒジャブのせいで、ママに何かあったら大変。」
「娘が狙われるかもと思ったら生きた気がしない。」
と娘と母親から口々に言われ、心が決まったそうです。


「どう?どう?まだ恥ずかしいのよ。」
「可愛いじゃない。ホントに可愛い。」
彼女のヒジャブなしの姿を見たことがなかったので、
本当にこんなに愛らしい人だったんだ、と思いました。


異教徒の私がとやかく言う立場にはありませんが、
「いつかは」という彼女の希望を知っていたので、
「おめでとう
と言って、私たちは再び固く抱き合いました。


「一度取ったら、もう被る気しないんじゃない?」
「そうね。いいヒジャブは人にあげちゃうわ。」
とまったく未練はなさそうでした。


彼女がヒジャブを取って見えたものは、
「自由」だったのでは?
自由の味は一時味わったら、
もう元には戻れないはず(笑)


「ヒジャブって暑いのね。私も被ってみて驚いたわ。」
「でしょう?夏はホントに大変なのよ~
神妙にはにかんでいた彼女にいつもの笑顔が戻り、
私たちの会話も徐々にいつものペースになりました。


(つづく)



息子に聞いて初めて知りましたが、先週の青空礼拝の時、
警護にあたった他の男性警察官も胸に赤いバラを
差していたんだとか。


でも彼女は女性でヒジャブを被っていたから

(※写真はAP)
あの日のひとつのアイコンになったんでしょうね。






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