ニュージーランド移住記録:日記「さいらん日和」

2004年に香港からニュージーランドに移住した西蘭(さいらん)一家。子育て終了、仕事もリタイア。好きに生きる記録です。

ピッピの旅立ち

2007-09-30 | ペット・動植物
大変ご無沙汰していました。
もうひとつのブログ、シロ猫ピッピの「おいら物語」をご覧になってくださっている方はお気付きのように、15年も一緒だった愛して止まないピッピが9月18日午前1時44分に永眠しました。

(左のシロ猫がピッピ。生まれてからずっと一緒だったアニキ、トラ猫のチャッチャはとうとう1匹に→)

本当に穏やかな最期で、私の腕の中で眠りながら1匹で遠くへ旅立っていきました。最後の最後はのぞき込む私と夫を、大きな潤んだ目を見開いてその目に焼き付けるようにじっと見てから、微笑むようにニコッと口を開き、本当に幸せそうな、あどけない表情でこの世去っていきました。

2週間以上経った今でも、こうしてあの時のことを思い返すと涙が止まりませんが、あれ以上は望めないほど静かで、穏やかな、まったく苦しむことのない最期だったのですから、「あれでよかったのだ」と自分に言い聞かせています。

そうは言っても、人生で初めて味わう喪失感。
心にぽっかりと開いてしまった穴をどう埋めたらいいのかわからないまま、今日まできました。ピッピがいなくても、朝が来て、1日が始まります。家事をしたり、仕事をしたりしているうちに面白いように時間は過ぎていくのですが、まったく手応えというものがなく、まるで指の間からこぼれていく水のようです。あれから2週間も経ってしまったなど、信じられないくらいです。

これまでの時間はピッピの思い出を抱(いだ)きながら、ギアをニュートラルに入れ、ゆるい下り坂をず~っと下ってきたような気分でした。
アクセルもブレーキも踏まない、ただただ惰性に任せた時間。
その間もアイロンがけをしたり、仕事をしたり、すべきことはしてきたのですが、そこに私の意志はほとんどなく、長年繰り返した習慣でなんとなく終えてきたような気さえします。不思議で透明な時間。

それでも明日からは10月。
今になって哀しみの癒し手としての時間のありがたみを知りました。本当にどんな瞬間でも一瞬にして過去になっていくということは、スゴいことだと気づきました。

朝日の輝き、
月光の柔らかさ、
小鳥のさえずりの慰め、
春の気配の温かさ、
残された家族のありがたさ・・・
そんなひとつひとつに心を震わせながら、
「これからも生きていくんだなぁ。」
とぼんやり思っています。

姿形は違ってもピッピは間違いなく家族でした。特に1回目の大変なガン闘病をともに乗り切ってからは、本当に心を通い合わせることができる、友であり、息子であり、動物ならではの霊性の高さやひたむきさから多くのことを学ぶ、師でもありました。

もう少し気持ちが落ち着いたら、メルマガで「ペットプロジェクト」の続きを書こうと思います。そんな日が1日でも早くくるように、ざわつく心を沈めていつもの生活に戻っていければと思っています。

たくさんのお悔やみや労いのメールをいただきました。お返事がぜんぜん進んでいないのですが、少しずつお返事させていただきますね。今はこの場を借りて、遅ればせながらお礼を申し上げます。

今日からニュージーランドは夏時間。
ピッピが大好きだったこれからの季節、一生懸命生きてみます。

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