ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

トンガリロ8回目行:レジェンドを生んだテクイティ

2019年11月10日 | 北島:ワイカト
2018年1月の7回目の
トンガリロクロッシングから
無事生還(笑)



ホテルのスパとシャワーで
すっきりした後は

雲が晴れたルアぺフと


カンカン帽を被った
ナウルホエを見ながら



祝杯



イカ男の夫はカラマリ
私はシーフードチャウダー



2日目のクロッシング後は

なぜかいつもメインがピザ


天気にも恵まれ
体調も万全で

いい7回目となりました。


翌朝はゆっくり起きて



クロッシングの人が出払った

ガラ~ンとしたレストランで
のんびり朝食


天気も良く、この日も絶好の
登山日和だったことでしょう。

「また来年
と思いながら下山しました。


帰り道で展示物を見つけて
クルマを降りてみると、



キングカントリーが生んだ
NZ最高のラグビーレジェンド

Sir コリン・ミーズ
(1936-2017)
の追悼展示会でした。
亡くなって半年も経って
いない時期でした。


ミーズは歴史上最高の
ラグビー選手として内外に
その名を知られています。

「20世紀最高のラグビー選手」
にも選ばれました


今では珍しくないですが、
192cm、102㎏の立派な体躯で

ついたあだ名がパインツリー


まっすぐな松のような長身を
生かしてロックとして活躍し
1957~71年まで国代表である
オールブラックとして55キャップ。



試合数が今よりはるかに少ない
時代にあっては驚異的な数
14年間の代表期間も超人的。



弟のスタンレーもオールブラック。



このおばあちゃまはスタンレーの
ファンだったのか、彼を激写(笑)



ここはテクイティという場所

かつては羊毛や材木で栄え、


整備された鉄道に

過去の繁栄が偲ばれます。


繁栄より前の19世紀後半、
植民地化によって政府軍に
肥沃なワイカト平野を追われ
領土を失ったマオリ王たちは
この山間部へ逃げ込みました。


その史実はキングカントリー
という地名に残されました。


今は駅舎がカフェになり、
地元の人が寛いでいました。