不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

シドニー行:カラハーズレーンとビッグディグ

2019年01月01日 | オーストラリア:シドニー

新年明けましておめでとうございます。
初夢は連続でいろいろと見たのですが、
見すぎて何も覚えていません


なので、2017年5月のシドニー旅行記の続きを
続いたり止まったりの気まぐれブログですが、
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
年内に2017年脱出が夢です(笑)



=============



スザンナプレイスを出ると目の前は不思議な空間

薄いネットのようなフェンスが立ち、奥には大きなYHA


フェンス右のホエーラーズアームスというのは、
かつてここに実在したホテルの名前で、
左側の民家も取り壊される前の原寸大です。


ここはグロスター・ストリートといい、



一本奥のカンバーランド・ストリートとの間は、

1788年に流刑囚700人以上を乗せた移民船が到着して以降、
彼らが多数暮らした、ロックスひいてはシドニー発祥の地


18~19世紀の暮らしぶりがうかがえる貴重な場所。

リアルな壁画


ということも、この時点ではよくわからずに

ブラブラ歩いていました(笑)


レンガの色、素材、不揃いさに時代の古さが感じられます。



やってきたのはカラハーズレーンという小さな小径

この小さなコテージは古そうだけど20世紀の家のよう。
試しにググってみたら普通に売買されていました(笑)



いきなりビックリな光景

この上はYHAや考古学教育センターになっていて、


まさに薄い不思議なフェンスの内側



剥き出しの岩にロックスというネーミングが実感できます。

あまりにも岩しかなく、先住民も住み着かなかった場所に、
流刑囚たちが住みつき、家によってはいつ誰が建て、
住んでいたかもわかっており、夫婦とも流刑囚とか(笑)


1809~1820年代にはジョージ・クリッブという有名な流刑囚が
ここで場を併設した肉屋を営んでいたそうです
クリッブは14年の刑に服しながらも、商業的に成功をおさめ、
借家も建てて入植者や元流刑囚に貸し出していたそうな。


クリッブは1810年頃に大きな井戸を掘り、水を確保しましたが、
からの汚水で汚染されてしまい、使えなくなりました。
井戸はゴミ捨て場となり、おびただしいゴミが堆積していきました。


そこから掘り出されたものの一部。

クリッブは酒の密造を疑われたものの証拠不十分で無罪に。
しかし、井戸からはアルコールの蒸留器が見つかり、
彼の有罪が証明されました


しかし、180年後に

1994年にビッグディグと呼ばれる考古学者とボランティアによる
一帯の発掘調査が始まり、さまざまな物が掘り出されたのです。
古くは1795年に建てられた30軒以上の家や
100万点以上の埋蔵品が発掘されたそうです。
蒸留器もその中のひとつ


YHAの中まで採掘現場そのままになっています。

生きた教育の場としては最高
修学旅行なら一石二鳥


カラハーズレーンは長い間スラムと称される場所でした。



1902年にここの住人だった15歳の少年がペストで死亡し、
州政府により周辺の家の取り壊しが始まりました。

ロックスではペストにより3人の死者が出たそうです。
(※ネズミの山~


取り壊し前のカラハーズレーン



今のカラハーズレーン

一部の石畳がそのまま残されていました。
次回はぜひビッグディグ考古学教育センターを訪ねてみよう


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする