新年明けましておめでとうございます。
初夢は連続でいろいろと見たのですが、
見すぎて何も覚えていません
なので、2017年5月のシドニー旅行記の続きを
続いたり止まったりの気まぐれブログですが、
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
年内に2017年脱出が夢です(笑)
=============
スザンナプレイスを出ると目の前は不思議な空間

薄いネットのようなフェンスが立ち、奥には大きなYHA
フェンス右のホエーラーズアームスというのは、
かつてここに実在したホテルの名前で、
左側の民家も取り壊される前の原寸大です。
ここはグロスター・ストリートといい、

一本奥のカンバーランド・ストリートとの間は、

1788年に流刑囚700人以上を乗せた移民船が到着して以降、
彼らが多数暮らした、ロックスひいてはシドニー発祥の地。
18~19世紀の暮らしぶりがうかがえる貴重な場所。

リアルな壁画
ということも、この時点ではよくわからずに

ブラブラ歩いていました(笑)
レンガの色、素材、不揃いさに時代の古さが感じられます。

やってきたのはカラハーズレーンという小さな小径

この小さなコテージは古そうだけど20世紀の家のよう。
試しにググってみたら普通に売買されていました(笑)
いきなりビックリな光景

この上はYHAや考古学教育センターになっていて、
まさに薄い不思議なフェンスの内側

剥き出しの岩にロックスというネーミングが実感できます。

あまりにも岩しかなく、先住民も住み着かなかった場所に、
流刑囚たちが住みつき、家によってはいつ誰が建て、
住んでいたかもわかっており、夫婦とも流刑囚とか(笑)
1809~1820年代にはジョージ・クリッブという有名な流刑囚が
ここで場を併設した肉屋を営んでいたそうです
クリッブは14年の刑に服しながらも、商業的に成功をおさめ、
借家も建てて入植者や元流刑囚に貸し出していたそうな。
クリッブは1810年頃に大きな井戸を掘り、水を確保しましたが、
からの汚水で汚染されてしまい、使えなくなりました。
井戸はゴミ捨て場となり、おびただしいゴミが堆積していきました。
そこから掘り出されたものの一部。

クリッブは酒の密造を疑われたものの証拠不十分で無罪に。
しかし、井戸からはアルコールの蒸留器が見つかり、
彼の有罪が証明されました
しかし、180年後に

1994年にビッグディグと呼ばれる考古学者とボランティアによる
一帯の発掘調査が始まり、さまざまな物が掘り出されたのです。
古くは1795年に建てられた30軒以上の家や
100万点以上の埋蔵品が発掘されたそうです。
蒸留器もその中のひとつ
YHAの中まで採掘現場そのままになっています。

生きた教育の場としては最高
修学旅行なら一石二鳥
カラハーズレーンは長い間スラムと称される場所でした。

1902年にここの住人だった15歳の少年がペストで死亡し、
州政府により周辺の家の取り壊しが始まりました。

ロックスではペストにより3人の死者が出たそうです。
(※ネズミの山~
)
取り壊し前のカラハーズレーン

今のカラハーズレーン

一部の石畳がそのまま残されていました。
次回はぜひビッグディグ考古学教育センターを訪ねてみよう
初夢は連続でいろいろと見たのですが、
見すぎて何も覚えていません

なので、2017年5月のシドニー旅行記の続きを

続いたり止まったりの気まぐれブログですが、
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
年内に2017年脱出が夢です(笑)
=============
スザンナプレイスを出ると目の前は不思議な空間


薄いネットのようなフェンスが立ち、奥には大きなYHA
フェンス右のホエーラーズアームスというのは、
かつてここに実在したホテルの名前で、
左側の民家も取り壊される前の原寸大です。
ここはグロスター・ストリートといい、

一本奥のカンバーランド・ストリートとの間は、

1788年に流刑囚700人以上を乗せた移民船が到着して以降、
彼らが多数暮らした、ロックスひいてはシドニー発祥の地。
18~19世紀の暮らしぶりがうかがえる貴重な場所。

リアルな壁画
ということも、この時点ではよくわからずに

ブラブラ歩いていました(笑)

レンガの色、素材、不揃いさに時代の古さが感じられます。

やってきたのはカラハーズレーンという小さな小径

この小さなコテージは古そうだけど20世紀の家のよう。
試しにググってみたら普通に売買されていました(笑)
いきなりビックリな光景


この上はYHAや考古学教育センターになっていて、
まさに薄い不思議なフェンスの内側


剥き出しの岩にロックスというネーミングが実感できます。

あまりにも岩しかなく、先住民も住み着かなかった場所に、
流刑囚たちが住みつき、家によってはいつ誰が建て、
住んでいたかもわかっており、夫婦とも流刑囚とか(笑)
1809~1820年代にはジョージ・クリッブという有名な流刑囚が
ここで場を併設した肉屋を営んでいたそうです

クリッブは14年の刑に服しながらも、商業的に成功をおさめ、
借家も建てて入植者や元流刑囚に貸し出していたそうな。
クリッブは1810年頃に大きな井戸を掘り、水を確保しましたが、
からの汚水で汚染されてしまい、使えなくなりました。
井戸はゴミ捨て場となり、おびただしいゴミが堆積していきました。
そこから掘り出されたものの一部。

クリッブは酒の密造を疑われたものの証拠不十分で無罪に。
しかし、井戸からはアルコールの蒸留器が見つかり、
彼の有罪が証明されました

しかし、180年後に


1994年にビッグディグと呼ばれる考古学者とボランティアによる
一帯の発掘調査が始まり、さまざまな物が掘り出されたのです。
古くは1795年に建てられた30軒以上の家や
100万点以上の埋蔵品が発掘されたそうです。
蒸留器もその中のひとつ

YHAの中まで採掘現場そのままになっています。

生きた教育の場としては最高

修学旅行なら一石二鳥

カラハーズレーンは長い間スラムと称される場所でした。

1902年にここの住人だった15歳の少年がペストで死亡し、
州政府により周辺の家の取り壊しが始まりました。

ロックスではペストにより3人の死者が出たそうです。
(※ネズミの山~


取り壊し前のカラハーズレーン

今のカラハーズレーン

一部の石畳がそのまま残されていました。
次回はぜひビッグディグ考古学教育センターを訪ねてみよう
