ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

ヌーサ6回目・フレーザー島行:河港メアリーバラ

2021年05月08日 | オーストラリア:フレーザーコースト

ハービーベイと並ぶフレーザー
コーストの中心メアリーバラ

といっても、何の知識もなく
フラりと立ち寄った街でした。


まずは地図を確認。碁盤の目で
19世紀に開発されたのが明白な
オーストラリアによくある古い街

ポートサイドという地名があり、
「こんな内陸に港
と思ったら、河港でした。


メアリーバラはその地名どおり
クイーンズランド州を北上して
先程フレーザー島からのフェリ
ーを降りたリバーヘッズに注ぐ、
全長300キロ近いメアリー川の
河口近くに位置する街でした。

(※赤線がメアリー川)


河口近くといっても、ここから
リバーヘッズまで30キロ以上で

大陸になじみがないせいか、
港=海の感覚だと内陸です。


メアリー川とかつての河港周辺

鉄道が平行しており物流の要
だった過去がしのばれます。


周囲は新しく整備された公園に。



メアリーバラの歴史は、羊毛の
積出し港として1847年に開始、
街の発展が始まりました。大型
船の入港を可能にするために、
1856年には新しい今の街の開発
に着手され、1859年には通関が
できる出入国港となりました。


今や見る影もないですが、ここ
は20世紀初まで国際交易と移民
の入国で大いに栄えた地でした。

意外にも19世紀には国内屈指の
移民入国港だったそうです。


移民の波に加担したのが1867年
ギンピ―での金鉱の発見で、
世界中から一攫千金を夢見る男
たちが押し寄せ、ゴールドラッ
シュが巻き起こりました。

(※ギンピ―博物館の看板)


金の発見はメアリーバラの重要性
を一段と高め、この地の銀行は計
400万オンス以上(113トン以上)
(👆こういう量になると金も鉱物)
の金輸出にかかわったそうです。


カフェがあったアデレード通りや



ケント通りは行政やビジネスの
中心という新しい街の顔となり
次々に建物が建設されました。




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