岩沢川の終着点_ 岩の海
ちょっと不思議な眺めです。
海に橋がかかっている・・・。
あれは「真鶴道路(有料部分)」の岩大橋。
あそこを渡ると まるで「海の上を走っている」ような感じがしますよね?
(ほんの一瞬ですが^^;)
↓浜 の部分は夏は海水浴場になるそうです。
(私まだ 夏来たことないんですよー)
↓セメントで整備されている部分は「岩漁港」。
↓川が海に注ぐ場所。
↓小島には鳥居が立てられています。きっとお社もあるのでしょう。
浜辺に立てられた ちょっとお洒落な建物。
シャワーが見えるから きっと夏の海水浴客のための施設なのでしょう。
↓道脇に石碑を発見。なになに
↓源頼朝船出の浜_とな。
1180年の「石橋山の合戦」に破れた頼朝が安房へ逃れるために船出したのは 岩だったのかー。
真鶴の方へ行く途中「うたい坂」というバス停がありました。
ここも頼朝ゆかりの場所。
敵に館を焼かれた頼朝の家来 土肥実平がここで主君を励ます舞(焼亡の舞)を舞ったそうな~。
しかし どこが(バス停ではなく、本当の)謡坂?
ちゃんと調べてから出かければよかった・・・
結局わからなかったunmabeです。
謡坂の碑 というのがあるらしいのですがー
見つけられないまま
真鶴道路の「岩IC」に出ちゃった・・・。
↓真鶴半島の先っぽが見えますね。
↓ずーむIN!
↑右に 真鶴漁港出口の赤い灯台が見えます。そして
その向こうに 先日義父と行った「うに清」が写っていますから
あの辺りが「琴ヶ浜」だ~。
ちょっと(だけ) 真鶴に詳しくなっちゃった^^)♪
オマケ:土肥実平は謡坂でどんな謡をしたのかしら と思ったら_
『源平盛衰記』の中盤の
S2202 土肥焼亡舞同女房消息(せうそく)附大太郎烏帽子(えぼし)事
という段に
真平(サネヒラ=実平)佐殿(スケドノ=頼朝) の御前にて、一時乱舞ぞしたりける。
土肥に三の光あり、第一は八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)我君を守給ふ和光(わくわう)の光と覚えたり。第二は我君平家を打亡し、一天四海を照し給ふ光なり。第三は真平より始て、君に志ある人々の、御恩によりて子孫繁昌の光也。嬉しや水々鳴は(有朋上P727)滝の水、悦開て照したる土肥の光の貴さよ、我屋は何度も焼ばやけ、君だに世に立たまはば、土肥の杉山広ければ、緑の梢よも尽じ、伐替々々造らんに、更に歎にあらじかし、君を始て万歳楽、我等(われら)も共に万歳楽とぞ舞たりける。
って書かれているのですね。
勉強になりましたー。
ちょっと不思議な眺めです。
海に橋がかかっている・・・。
あれは「真鶴道路(有料部分)」の岩大橋。
あそこを渡ると まるで「海の上を走っている」ような感じがしますよね?
(ほんの一瞬ですが^^;)
↓浜 の部分は夏は海水浴場になるそうです。
(私まだ 夏来たことないんですよー)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/02/b80147b5bc8b17b5c1ae4b3dcd9690da.jpg)
↓セメントで整備されている部分は「岩漁港」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/08/f6e9071383c7a5f13c269cc8f6c784f6.jpg)
↓川が海に注ぐ場所。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/ff/740f2b01827be634cdbc40cb645620e7.jpg)
↓小島には鳥居が立てられています。きっとお社もあるのでしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/1a/206aecaae0202242018f9624ef3ed4a2.jpg)
浜辺に立てられた ちょっとお洒落な建物。
シャワーが見えるから きっと夏の海水浴客のための施設なのでしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/08/8799dccc5b260e8fa7787ff6e63c8fd5.jpg)
↓道脇に石碑を発見。なになに
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/d0/24848fba3ad0c810b3f316913ee260a0.jpg)
↓源頼朝船出の浜_とな。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/96/7b514845dc98aa7a1162a6418aaa28f4.jpg)
1180年の「石橋山の合戦」に破れた頼朝が安房へ逃れるために船出したのは 岩だったのかー。
真鶴の方へ行く途中「うたい坂」というバス停がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/41/6a1c8e8f0e97ebf778e29101ac6c93fc.jpg)
ここも頼朝ゆかりの場所。
敵に館を焼かれた頼朝の家来 土肥実平がここで主君を励ます舞(焼亡の舞)を舞ったそうな~。
しかし どこが(バス停ではなく、本当の)謡坂?
ちゃんと調べてから出かければよかった・・・
結局わからなかったunmabeです。
謡坂の碑 というのがあるらしいのですがー
見つけられないまま
真鶴道路の「岩IC」に出ちゃった・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/58/e0efd6c1596845eb11df56195e27b0e5.jpg)
↓真鶴半島の先っぽが見えますね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/88/e7050795a3d3493b8d20af0cae2ef18b.jpg)
↓ずーむIN!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/05/84613def39a73246de5d0067fedb5ee0.jpg)
↑右に 真鶴漁港出口の赤い灯台が見えます。そして
その向こうに 先日義父と行った「うに清」が写っていますから
あの辺りが「琴ヶ浜」だ~。
ちょっと(だけ) 真鶴に詳しくなっちゃった^^)♪
オマケ:土肥実平は謡坂でどんな謡をしたのかしら と思ったら_
『源平盛衰記』の中盤の
S2202 土肥焼亡舞同女房消息(せうそく)附大太郎烏帽子(えぼし)事
という段に
真平(サネヒラ=実平)佐殿(スケドノ=頼朝) の御前にて、一時乱舞ぞしたりける。
土肥に三の光あり、第一は八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)我君を守給ふ和光(わくわう)の光と覚えたり。第二は我君平家を打亡し、一天四海を照し給ふ光なり。第三は真平より始て、君に志ある人々の、御恩によりて子孫繁昌の光也。嬉しや水々鳴は(有朋上P727)滝の水、悦開て照したる土肥の光の貴さよ、我屋は何度も焼ばやけ、君だに世に立たまはば、土肥の杉山広ければ、緑の梢よも尽じ、伐替々々造らんに、更に歎にあらじかし、君を始て万歳楽、我等(われら)も共に万歳楽とぞ舞たりける。
って書かれているのですね。
勉強になりましたー。
ちょっともう水着になる勇気(?)はありませんが 私も せめてこの砂浜を素足で歩きたいです^^)
検索で知りましたが、、、 岩の漁港の先 (橋の下あたり)では 魚釣りが出きるそうですね。 色んな方が 浜からとは又違う海の景色をHPに上げてらっしゃって 「ああ私も この景色も見たいものだ」と思いました。
_という訳で 岩には又行ってみるつもりです^^)v
この記事を参考に、昨日自転車で行って来ました岩海岸。こじんまりとした浜で良い感じでした。
洒落た建物はお察しの通りライフガードの監視所でした。7月から海開きだったようでちゃんと監視員さんも居ましたよ。