9月11日。
16年前のこの日、わたしはどこで何をしていたのでしょう?
そして、同時多発テロの事件をどのようにして知ったのでしょうか。
なんてこった、オーマイガッ!
事件を知った時の衝撃的な感覚は忘れられません。
でも、いつ、どこで、どのようにして知ったか、まったく覚えていないとは・・・。
2001年は、すでに退職して3年ほど経った頃。
毎日が日曜日の日々が続き、一万歩散歩と図書館通いが日課。
それに、そろそろ地域とのつながりを考えようか、という頃でした。
テレビはなく、パソコンは捨て、ネットもメールもケータイもない。
新聞以外のメディアで、唯一よく聞いていたのがラジオ放送。
たぶん、事件のことはラジオで知り、映像などは新聞やどこかのテレビで見たのでしょう。
西欧文明とイスラム文明。
「文明の衝突」が予見していた事件と騒がれたのではなかったか。
そしてこれを機に、アフガン、イラク戦争が起きた。
文明の衝突ではなく、世界の超大国アメリカへの攻撃だ、と言った人もいた。
アメリカの行動や利益の結果が招いたものだと。
近代と近代から取り残されたものとの間の闘いでもあるのだと。
近代の最大の遺産は「多様性」こそにある。
その「多様性」を考えずに、人心を操作して団結させるやり方では本質は何も変わらない。
それではテロリストと同じではないか。
その女性はイラク戦争にもベトナム戦争にも反対した。
「他者の苦痛へのまなざし」を忘れてはいけない。
いままた北朝鮮と一触即発の事態・・・彼女が生きていたら何を語ったことでしょう。