七面山の登山口の近くにある「白糸の滝」は、Sさんと場所の特定の検証している時に、地図を見ていて滝があるのだと思っていました。
ここが、登山口です。
続きます。
羽衣橋を渡って行きます。
そして、橋を渡った目の前の「白糸の滝」です。
調べてみると、お萬様(養珠院)がここに始めて来たのは、1640年で当時は女人禁制で登れなかった七面山に登るために、7日間の滝行をしたそうです。
龍神さん達も喜んでいるようでしたね。
さて、この頃K会長は七面山を降りていました。
K会長にはIさんが、地図を送ってくれました。
橋の下の流れです。
そして、橋を渡った目の前の「白糸の滝」です。
この日は暑かったので、滝の水が落ちてきて、涼しくなり気持ち良く、マイナスイオンを沢山浴びることが出来ました。
「白糸の滝」の前には「お萬様の像」がありました。
「白糸の滝」の前には「お萬様の像」がありました。
そこに小屋があったので、中を見てみると、すぐ近くにある「増田屋旅館」さんの小屋で、滝行の方が着替えたり荷物を置けるようになっていました。
調べてみると、お萬様(養珠院)がここに始めて来たのは、1640年で当時は女人禁制で登れなかった七面山に登るために、7日間の滝行をしたそうです。
その時、お萬様は64才で、今の私と変わらない時だったのかと思い、スゴい人だと思いました。
そもそも、江戸からこの麓まで来るというのも、大変なことですからね。
お萬様は、徳川家康公の側室で、日蓮宗を弾圧していた家康が、日蓮宗のお坊さん(日遠)を殺そうとした時に一緒に死ぬ気だったので、家康も考え直したそうで、信仰を貫き通した人だったようです。
徳川家の、御三家と言われる尾張、水戸、紀州のうち、水戸と紀州の始まりはお萬様の子供で、かの水戸光國の祖母になるとのことで、重要な側室だったので徳川家にとっては強いDNAですね。
Iさんが「おにぎり」を買って来てと言っていたのは、お萬様に1個渡すつもりだったそうで、どっちのおにぎりがいいか聞いて欲しいと言われて聞いてみると「きのこのおにぎり」と言われたので、伝えました。
ここで、しばらくお祈りをして、滝坪のところに降りました。
龍神さん達も喜んでいるようでしたね。
さて、この頃K会長は七面山を降りていました。
私とSさんが検証した場所は、登山口からしばらく登ったところにある二丁目の「神力坊」の近くの杉並木でした。
K会長にはIさんが、地図を送ってくれました。
ここが、登山口です。
灯篭に「元丁目」と書いてあります。
K会長は、「二丁目」に降りて来ていると写真を送ってくれました。
続きます。