踏切三年!!!。

2019-11-09 23:59:23 | スポーツ
東京オリンピックが迫ってきました。  
昭和39年10月、 「夏季東京オリンピック」の開会式のあの
入場行進に身震いした感動を思い出します。 
35歳の時で55年経過とは光陰矢の如しそのものです。
今朝の日テレ 「ぶらり途中下車の旅・大江戸戦の旅」番組
に、 笑点でお馴染みの 「林家 たい平」さんが出演されて
いました。
吃驚したのは、立派なオリンピック ミュージアムの紹介で
した。  
建造物への路上に、三段跳び金メダル1号の  織田 幹雄
選手の記録 15.21メートルの踏切、 ホップ、 ステップ、
ジャンプ、着地点が示されており、 たい平が驚嘆していた
ことに「さもあらん」と共鳴したことだ。

1928年・アムステルダム五輪の金メダルと日の丸掲揚
の 殊勲樹立は織田 幹雄選手であった。
続く1932年 ロサンゼルスの五輪では南部 忠平選手が
15.72㍍(世界新記録) で三段跳びで金メダルと又々
センターポールに日章旗を翻した。
まだまだと更に三段跳びは日本のお家芸と、その名を
世界に轟かしたのは 1936年 ベルリン五輪で金メダル
三連覇を達成せしめた田島 直人選手であった。
記録は16.00㍍。
金メダルの度毎に記録は常に前チャンピオンを超越と
いう見事さであった。

「華々しい三人と見るであろう。 だがそうではない、地味
なトレーニングの明け暮れであった」・・・と。 
朝から晩まで、只管(ひたすら) 全力疾走で踏切板での
ロス無しで・・・を毎日毎日繰り返す練習をした。
踏切3年集中したと言ってよい。
いざ試合というとき、「しまった。 踏切が〇㌢手前過ぎ
だった」。 「しまった、〇㌢オーバー、ファールの失敗を
してしまった」・・本番の時そう云う不安は全く無くなった
「しまった」 踏切板をオーバしたと思ったら踏切板が先
へスライドしてくれ  ファールを免れた」
「しまった。踏切が手前過ぎた」・・・と思ったとき踏切板
は私の方へ常にすり寄って来てくれた」
だから私はスピードに専念し自信満々踏み切ることが
出来たのであった。・・・と。  





 







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