つれづれに 

老いてゆく日々、興味ある出来事に私見を添えた、オールドレディーの雑記帳です。

かち割り・・・

2019-08-29 | 懐かしいです

 わが購読紙に連載中のエッセー『ふる里の風景』、先々週は「かち割り」について書かれていた。(原文通り)  
 僕らが子どものころ、電気冷蔵庫は普及前で、冷蔵庫といえば氷式と呼ばれる木製の箱形がほとんどだった。上段に氷を入れて冷やす方式である。氷は氷屋さんに配達してもらうのが一般的だったが、その氷が冷蔵庫用とはまた別に、僕らのささやかな楽しみにもなっていた。  
 甲子園名物(夏の高校野球)「かち割り」に似た氷の飲み物ができたからである。大きなスプーンの背で氷を叩いて砕き、ガラスのコップに入れて砂糖をかける。それをカラカラ揺すりながら、溶けた氷水をちびちびと飲むのだ。もちろん、おじさんが自転車で売りにやってくるアイスキャンディーの味には遠く及ばなかった。それでも溶けた砂糖の程よい甘さと冷たさが相まって、ひと時幸せな気分になったものだった。

 これを読んでいたら、小学生だったあの暑い夏の日のことが次から次へと頭に浮かんできた。70年も昔のことなのに、今でもはっきりと覚えている。
 私たち姉弟は、学校の春・夏・冬の長期休みの時はいつも母の実家へ行っていた。実家には叔父夫婦と祖父母、同年代のいとこが2人、私たち姉弟を入れると9人という大所帯になったが、叔母が気の良い人だったので居心地がよくて楽しかった。
 家業が八百屋だったので、その頃には珍しかった冷蔵庫があり、毎日午前中に氷屋さんが来て、氷を切って入れていた。あのシャリシャリと氷を切る音、あたりに飛び散る小さな氷の粒、あの涼し気な光景は今でも忘れられない。上段に氷を入れると下段に入れた食べ物や飲み物が冷たくなるのだが、なぜそうなるのか不思議でならなかった。
 おじさんが自転車で売りにやってくるアイスキャンディーもよく覚えている。自転車の後ろの荷台にアイスキャンディーの箱を積んで、小さな旗が風に揺れていた。遠くからチリンチリンと鐘の音が聞こえてくると、子どもたちは祖母にお金をもらって我先にと飛び出して行ったっけ。たしか5円だったと思うが、子ども5人分だから祖母の負担は大きかったろうね。
 私は「かち割り」を作った記憶はない。当時の氷式の冷蔵庫では氷は作れなかったからで、毎日買っている氷を「かち割り」になんてできるはずもない。 
 “甲子園名物”と言われる「かち割り」も見たことがない。ネットで検索してみたら、大きな氷を小さく割って20センチほどのポリ袋に、一口強サイズの氷約400グラムが200円、ストローを差し込んで飲むそうである。
 ちなみに、水は六甲山系の地下水を汲み上げたもので、2日間かけてゆっくりと製氷する事で水に溶け込んだ空気が徐々に抜け、気泡が少ないので溶けにくいそうである。 
 家庭用の冷蔵庫で氷を作ることができるようになったのは1961(昭和36)年頃だそうで、家庭に冷蔵庫が普及率約100%となったのは15年後の1976(昭和51)年だそうである。ああ、昭和は遠くなりにけり! でも、私の昭和の思い出は永遠に続く。

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