先日仕事帰りに、スーパーで買い物をして品物を袋に入れていたら、私の真横で、カートを押していた、私と同年代くらいの女性が、突然、ガクンと両膝をついた。すぐ起き上がると思ったら、両手はカートの押手を持ったまま、なかなか立ち上がろうとしない。「大丈夫ですか」と声をかけ、手を差し伸べると、「いいです」という。こういう場合、手を出すことが必ずしもいいとは限らないこともあるので、カートを押さえて様子を見ていた。カートから手を放し、近くの台にすがり立ち上がろうとするのだが、まるでもがいているような姿は見ているのが気の毒なくらいだった。周りの客も気づいて遠巻きに見ている。何分たっただろうか、やっと自力で立ち上がって「ありがとう」と言って、カートを押して戸口へ歩いていった。
突然ああいう状態になることが度々あるのだろう、立ち上がった後はごく普通で、変わった様子は見られない。私も帰るため戸口まで出て、どう見ても同行の人はいないようだが、どうやって帰るのかと見ていたら、買い物袋を車に積んで自分で運転して帰って行った。今までの、あのもがきようは何だったんだろうと、私は、しばしあっけにとられて立ちすくんでいた。でも、本人はあの何分間、きっと恥ずかしかっただろう。
そして翌日、プールへ行くと、しばらく休んでいた友人が来ていた。「春休みだから、孫の守りで忙しかったの?」と聞くと、「違うの。ひざが痛くてねー」と言う。その彼女は私より2歳も年下である。聞くと、急にひざが痛み出して正座ができなくなったという。あわてて病院へ行くと、ひざの軟骨が磨り減っているので痛むのだとか、要するに年のせいだと言われたそうである。これ以上症状が悪化しないようにひざの筋肉を鍛える以外治療法はなく、もし痛みがひどくて我慢できないようだったら人工関節の手術をすることになるという。そばにいた仲間が「私もひざが悪いので、一度転んだらなかなか起き上がれないんだ」、そして「貴女も今にそうなるわよ」と言う。冗談ではない、足が悪くなったら独り暮らしの私など死活問題である。つい半月前までは何ともなかったのに、急に症状が表われるとは、加齢とともに少しずつ進行していたのだろう。年を取るということはこういうことなのだ。
だが、それよりもボケるのが怖い。先日、粗大ゴミ回収の手続きのため銀行に行ったのだが、窓口で用紙を渡され、いざ自分の住所を書こうとしたら番地が、860―3か830―6か、分からなくなったのである。頭が真っ白になって、あせればあせるほど思い出せない。今までこんなことは一度もなかったのに、「ああ、とうとう私もボケが始まったのか」と愕然とした。窓口の女性が笑いながら待っている。やっとバッグの中から保険証を出して記入したのだが、全く冷や汗ものだった。もし、これがまだらボケの始まりだったらどうしよう。これからは万一の時を考えて、氏名・住所・電話番号・連絡先などを書いたものを肌身離さず持っていなくては、などと思ったりもしている。
いくら足腰丈夫でもボケたら困るし、頭がしゃんとしていても足腰悪いというのも困る。元気でいたいがどうなることやら、明日が分からないという年になったのだと、改めて実感した。
突然ああいう状態になることが度々あるのだろう、立ち上がった後はごく普通で、変わった様子は見られない。私も帰るため戸口まで出て、どう見ても同行の人はいないようだが、どうやって帰るのかと見ていたら、買い物袋を車に積んで自分で運転して帰って行った。今までの、あのもがきようは何だったんだろうと、私は、しばしあっけにとられて立ちすくんでいた。でも、本人はあの何分間、きっと恥ずかしかっただろう。
そして翌日、プールへ行くと、しばらく休んでいた友人が来ていた。「春休みだから、孫の守りで忙しかったの?」と聞くと、「違うの。ひざが痛くてねー」と言う。その彼女は私より2歳も年下である。聞くと、急にひざが痛み出して正座ができなくなったという。あわてて病院へ行くと、ひざの軟骨が磨り減っているので痛むのだとか、要するに年のせいだと言われたそうである。これ以上症状が悪化しないようにひざの筋肉を鍛える以外治療法はなく、もし痛みがひどくて我慢できないようだったら人工関節の手術をすることになるという。そばにいた仲間が「私もひざが悪いので、一度転んだらなかなか起き上がれないんだ」、そして「貴女も今にそうなるわよ」と言う。冗談ではない、足が悪くなったら独り暮らしの私など死活問題である。つい半月前までは何ともなかったのに、急に症状が表われるとは、加齢とともに少しずつ進行していたのだろう。年を取るということはこういうことなのだ。
だが、それよりもボケるのが怖い。先日、粗大ゴミ回収の手続きのため銀行に行ったのだが、窓口で用紙を渡され、いざ自分の住所を書こうとしたら番地が、860―3か830―6か、分からなくなったのである。頭が真っ白になって、あせればあせるほど思い出せない。今までこんなことは一度もなかったのに、「ああ、とうとう私もボケが始まったのか」と愕然とした。窓口の女性が笑いながら待っている。やっとバッグの中から保険証を出して記入したのだが、全く冷や汗ものだった。もし、これがまだらボケの始まりだったらどうしよう。これからは万一の時を考えて、氏名・住所・電話番号・連絡先などを書いたものを肌身離さず持っていなくては、などと思ったりもしている。
いくら足腰丈夫でもボケたら困るし、頭がしゃんとしていても足腰悪いというのも困る。元気でいたいがどうなることやら、明日が分からないという年になったのだと、改めて実感した。
植木等の「そのうち何とかナルモンさ」です。
せめて脳の運動だけでもしなくちゃ…。
そんなことより、体に注意してください。歩けなくなったら悲惨なものですから。
慰めてくださってありがとう。でも、この歳になるととても気になりますね。喉元まで出ている固有名詞がなかなか出てこなくて、寝られなくなるときもあります。
お金があって健康で、家族仲良く幸せってのは、ホームドラマの中だけのことでしょうか。
最近は、プールの中でジョギングしています。結構きついですよ。