安東伸昭ブログ

安東伸昭の行動日記

倉敷市真備町地区の水害(陸上自衛隊日本原駐屯地)

2018年09月09日 | 災害
平成30年9月8日

倉敷市真備町地区の水害

陸自の支援活動が被災者との絆に 日本原駐屯地の増田司令に聞く

西日本豪雨災害から6日で2カ月を迎える。
陸上自衛隊日本原駐屯地(岡山県奈義町滝本)の隊員たちは発生直後から倉敷市真備町地区を中心とした被災地に入り、人命救助や行方不明者捜索、災害廃棄物の撤去などの支援に尽力した。
活動の詳細やその中で結ばれた被災者との絆など、1等陸佐の増田健吾司令(47)に聞いた。



☆被災地での活動はどう展開されたのか。
岡山県から災害派遣要請があったのは7月6日深夜。
日本原の主力部隊は6月下旬から北海道で実施された演習に参加していたため、残っていた隊員15人程度を、まず高梁市や倉敷市真備町地区に派遣した。
主力部隊も演習を中止し、フェリーで帰隊、10日から被災地入りした。
真備町地区では8月11日の撤退まで毎日100人以上、多いときは約200人の隊員が活動した。
高梁、新見市では給水支援も行った。


☆特に真備町地区は県内で被害が甚大だった。
7月7日朝から三軒屋駐屯地(岡山市)の隊員10人ほどと協力し、人命救助に尽力した。
井原線川辺宿駅近くの小田川の土手を拠点に、民家の2階や屋上などに取り残された住民をボート7隻で何往復もして助け出した。
隊員は県内だけでは足りないため、愛知県の部隊の応援を受けて対応し、約千人を救助できた。
中には取り残された家族がいると住民から懇願されて救助に向かい、無事助けることができたケースもあった。


☆9日には水が引き、活動内容に変化があったと思う。
 主目的は行方不明者の捜索に移った。
ローラー作戦を展開し、道路、田畑をはじめ、小田川の中州も捜した。捜索の一環という位置付けで行っていた災害廃棄物の撤去は、国の要請を受け、13日から本格的にスタートした。
日本原の隊員は大型機械が入れない路地や住宅街の道路上に背丈より高く積まれている廃棄物を、手作業で回収車へ載せた。避難所での給水や支援物資の輸送も担当した。

☆活動中に苦労したことは。
 人命救助では水が濁っている上、初めての土地で水深が予測できない怖さを感じた。
大量に漂流している廃棄物のためエンジンのスクリューが破損したこともあった。
水が引いた後は暑さとの闘い。
猛暑日が続き、熱中症にならないよう30分作業し10分休憩を徹底しながらの活動だった。


☆1カ月以上にわたる活動で、被災者との交流も深まったのではないか。
 住民からの感謝の言葉は常に隊員の力になった。
被災して大変な状況なのに、隊員に飲み物を差し入れしようとしてくれたり、日陰を休憩場所として貸していただいたり…。
差し入れを受け取ることはできなかったが、住民の温かさを受け取った。




県民や関係機関の理解や支援、協力を得られたことで、完遂できたと感じている。
過酷な環境の中、隊員もよく頑張ってくれた。


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