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所沢航空記念公園で思ったこと

2013-07-03 08:42:40 | しばらく遠出・・・・

 日曜日に所沢航空記念公園に行きました。 ここは戦前、陸軍航空基地・航空技術研究所などがあり、戦後は米軍の基地が置かれていました。

 

 米軍の返還地です。 まだ米軍通信基地などが残っており、完全返還には至っていません。 それでもかなり広い土地が返還されています。

 埼玉県は「日本航空発祥の地」として、公園および博物館などの施設やモニュメントを整備しました。 日本で最初に飛行機が飛んだ地は「東京代々木(練兵場)」,海軍航空技術発展の地は? などは突っ込みません。

 

 公園としては、「武蔵野の自然」を生かし、散歩や休息の場所にうってつけの並木道もあります。

 

 公園のすぐ近くには高層マンション群が迫ってきています。 おそらく災害避難場所としての機能も持っているでしょう。 つまり、”人が集まる場所”として十分な条件を持っている場所です。 都心からちょっと離れていますが、広くて緑のあるエリアで休日や余暇の時間を楽しみましょう! 

 そういう意味では基地返還後の跡地利用としては成功していると思います。 ただし、返還後の跡地利用として、最初から”公園の空間”を目的としたか、それとも最初は工場などの”生産施設群の空間”を目的にしていたのか・・・・? 

 一方、沖縄では? 沖縄県は人口が集中している中南部地区の米軍基地全面返還を押し出しています。 普天間基地返還運動はその最たるものです。 ただ、面積的に言えば、中北部のキャンプハンセンや北部訓練場,伊江島補助飛行場など中南部に比べて人口の少ない地域の施設が広いエリアを占めています。

 中南部地区の全面返還は、”基地負担の軽減”,”安全で自由な生活空間の確保”等いろいろな理由があると思います。 しかし第一の理由としては”沖縄県の(自立)経済発展のために是非とも必要である”ことだと思います。

 普天間基地が返還されても、米軍施設の面積比が大きく縮小されるわけではありません。 返還後の問題はその利用方法(開発)と供用開始までに時間がかかることです。 ”米軍牧港住宅地”が全面返還されて約30年(一部返還から40年)経ちますが、その跡地である”那覇新都心”地区はまだ発展段階にあるのですから。