ブログを10日ぶりに更新します。 「多良間島」に関する面白い情報を発信しますと、偉そうに言ったのに・・・すみません。
お仕事で多良間島に来ていますが、今回はお仕事に直接関係ない話で、多良間島を統一した人「土原豊見親」(方言名:んたばるとぅゆみゃ,大和言葉で’つちはらとみおや’そのまんま)のお話を軽く。 というのも歴史的背景はあまり知りません。地元のおじいちゃんからのお話ですので・・・・
多良間島の空中写真です。見にくいですが、集落は北に固まっています。 土原豊見親は宮古島の「城辺」(ぐすくべ)から来た人ですが、元は首里から派遣された官史だそうです。 多良間島は小さい島ですが豪族が何人もいて、島の各地に分かれて争っていたそうです。 土原豊見親はこれら豪族を倒して島を統一し、今後は島で争い事が起きぬよう人々を北の一箇所に集めたそうです。 多良間島には豊見親にちなんだのか「豊見城(とみしろ)」姓の人が多いです。
この史跡は土原豊見親のお墓ですが、県指定記念物です。 何でも歴史的な「名墓」だそうです。 なぜ?どこがだ?・・・すみません。 説明できません。
そんなに大きくもなさそうなのに・・・疑問を持った方は下記看板の説明文をお読みください。
久しぶりに更新したら「他人のふんどしお相撲ブログ」になりました。 次回はマジメにやりますので今回はお許しを。
最後に多良間村役場の標識を、
「日本で最も美しい村」連合(事務局:北海道美瑛町)に加盟しています。