沖縄島を中心に発信します。 天気がいいね・・・晴れも曇りも雨も好きだから!

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シーサー多様(その2)

2012-06-27 18:14:12 | 宮古島にて

 今日、お仕事で宮古島市城辺庁舎に行きました。 ここは合併前の旧城辺村役場の庁舎として使われていました。 現在は市の城辺支所と教育委員会が入っています。

 駐車場への入り口には庁舎の看板(石標)があり、道の両脇にシーサーが飾ってあります。

 このシーサーちょっとユニークでした。 正面右側のシーサーです。

 口を開けるとともに、舌を上げるように出しています。 私の解釈です。 これは邪気を吸い込むとともに幸運を逃がさないようにしているのでは?・・・つまり防ぐ・逃がさない=「守る」の一人二役。

 両手にはお金(銭!)をしっかり持ち、台座にはヒョウタン徳利や反物?みたいなものが・・・つまり「人々の生活を守る」という意味があるのでは?

 次に正面右側のシーサー、

 顔の表情は同じです。 手には「子シーサー」を抱えています。 台座には巻物や角笛らしきもの。 これは「子供と学問・芸術を守る」という意味?

 「人々の生活を守る」=「支所の仕事」 「子供と学問・芸術を守る」=「教育委員会の仕事」 シーサーは駐車場入り口ですでに城辺庁舎の役割を説明しているみたいです。  注:あくまでも私の解釈です。 庁舎の人から聞いたわけではありません。あしからず。    

 

  


これは何でしょうか?

2012-06-26 18:38:14 | 宮古島にて

 宮古島島内のサトウキビ畑にはこのような施設がいたるところで見られます。

 管の形?バルブが付いている・・・ 何となく「水が汲めるような施設」と想像できませんか? その通りです。 これは農業用水を汲む施設です。 カギ型に曲がった鉄管の先の青いホ-スは「サニーホ-ス」と呼ばれる手で巻くことができるが、けっこう丈夫なPVC(ポリ塩化ビニル)ホースです。

 では、この施設の名称は? いつもお仕事をさせていただいている「沖縄県農林水産部」のホームページには「農業土木用語」とその説明のコーナーがあります。 お客さんの宣伝に、アドレスをクリック。

http://www3.pref.okinawa.jp/site/view/contview.jsp?cateid=53&id=11612&page=1

用語解説(農業土木編)

○かんがい
 ダムや用水路、かんがい施設を整備し、作物の生育に必要な水を耕地に注ぐこと。
 かんがい施設のタイプとして、1型(スプリンクラー)、2型(給水栓)、3型(コイン式給水所)がある。(注:ホームページの1・2・3はローマ数字表示)

 畑に水を供給するシステムを「かんがい」(灌漑:漢字で書くのは難しい・・・)といいます。 かんがい施設のタイプは1・2・3型に分かれています。 1・2型は名前からしてわかりますよね。

 この写真に写っている施設は3型のコイン式給水所、つまり有料の給水所です。 軽トラやトラックに水タンクを積んでホ-スの下に乗り付けて、タンクの上蓋を開けて中に水を入れます。 簡単に給水でき、運ぶのにも便利ですので、1・2型の施設が未だ付いていない農地では重宝がられます。 で、水のお値段は?

 

 給水コントローラーボックスに近づき、ハンドルを回して蓋を開けると、

 10円と100円を入れるコインボックスがあります。 給水可能のランプが付いていますので、お金を入れれば水が出ます。 このような施設は沖縄だけではなく鹿児島(私は喜界島で見かけました)にもあります。 でも利用目的はあくまでも農業用のみです。 倫理感を持って使いましょう。

 10円で500L出ます。 もちろん必要量に達したら、途中で止めることもできます。 ただし、100円を入れてもおつりは出ません。 最大500L×10=5,000Lを使い切って下さい。 出るときの水の勢いはすごいです。 使用する時にはサニーホ-スをタンクの中に入れてしっかりと持って下さい。 勢いのあまりホ-スが暴れて思わず水をかぶることも・・・・

 私はそれで持っていたデジカメとともにもろにかぶって、カメラの基版が破壊されました。 ごっそり修理費がかかりました。

 最後はちょっぴり恨みを込めた紹介となりました。

 


今日の宮古島南部海岸

2012-06-25 18:55:14 | 宮古島にて

 今日は仕事で宮古島南部に行きました。 南部は断崖地形が多く、海岸沿いには湧水が見られます。 なぜ湧水が多く見られるかというと、宮古島の地形と地質構造に関係があります。 しかし、これを詳しく説明する資料が・・・今手元にありません。 那覇の支店にあります。 今週末に那覇に戻りますので、「なぜ、宮古島の南部海岸には湧水が多いのか?」については次の機会にというわけで、

 ここは「ムイガー」と呼ばれる湧水池です。撮ったのは標高40m位の突端部から。 ここから断崖を下っていきます。 下って海岸部の岩場に到着しますと、

 先ほどの写真で見えたコンクリート堰が目の前に。 写真左側は取水ポンプ室。 隣は木の電柱跡。 つまり、30年くらい前までは簡易水道の水源池として利用されていました。 電気やポンプが無いその前の時代には、水汲み場だったのです。 川のない宮古島では重要な「水瓶」として大切に利用されていたのです。崖沿いを40m下まで降りて、水を瓶に汲んでまた登る。 この水は生活水の外に農業用水としても使われました。 この重労働は女性の仕事でした。

 ここからの風景を紹介します。

 ムイガーから見た東側の風景です。 断崖が続いているのがわかります。 見にくいですが、断崖の先端が東平安名崎になります。 沖縄県地方梅雨明けですので、今日は晴れていました。

 仕事帰りに「インギャーマリンガーデン」に寄り道。 

 ここも凪っていました。 6月19日のブログ(台風4号接近(その後))で使った写真と比較。

 全然雰囲気が違います(当たり前か)

 しばらく晴れの日が続きますが、内地は梅雨真っ盛り。 後1ヶ月近く梅雨模様と思います。 土砂災害や大雨による河川増水など災害にご注意下さい。

 


慰霊の日と海神祭(その2)

2012-06-24 11:53:11 | 宮古島にて

(前回の続き)

 内地や沖縄本島の人たちからみて、いくら旧暦5月4日だからといって、慰霊の日に祭りで喜び騒ぐことはないだろうとご立腹されるかもしれません。

 はじめに断っておきますが、これから述べることは「ないちゃー」(内地の人)である私個人の考えです。 宮古の人達が思っていることの代弁ではありません。 決して誤解しないでください。

 沖縄本島と宮古・石垣などの先島地方では、太平洋戦争沖縄戦の状況と現状を比べた場合、6月23日の扱い方が異なると思います。

1.太平洋戦争沖縄戦

 1)沖縄本島

 中南部が戦場となり、多くの沖縄県民が戦争の犠牲となった。 日本軍は県民を守ってくれないどころか、防空壕からの撤去、スパイ扱いなど日本国民として扱ってくれなかった。

 日本軍の米軍上陸地点予想の完全なる失敗につきる。 当初本島南部上陸を予想して、上陸後に民間人を中・北部に避難させ、日本軍は南部で戦うと考えたらしい。 でも、米軍は嘉手納~読谷一帯の海岸から上陸して本島を分断。 北部に逃げられなかった住民は日米両軍の戦いに巻き込まれた。 

 地形的に南部の海岸は断崖部分が多いのに、嘉手納~読谷・恩納村にかけては砂浜が多い地形。 上陸用舟艇で米軍がおそってくるのは南洋諸島の戦いでも常に使われた作戦。 全く過去の原因と結果を分析せず、事実から何も学ばない無能な戦術論を考えたのがそもそもの間違い。 参謀達は陸士・陸大で何を学んだのか? 「ば科学(バカ学)」か?

 2)先島地方

 米軍の空襲・艦砲射撃はあったものの、直接の地上戦はなかった。しかし、日本軍駐屯による食糧不足と、山間・森林部への避難によるマラリア発生で病死者が戦死者を遙かに上回っていた。 これは本島北部の山間・森林部でも同様であった。 日本軍も6月23日以降、沖縄の第32軍から台湾方面第10軍に編入された。

 本来、石垣・西表、そして宮古の山林・森林部にはマラリヤ発生地域が多くあることは琉球王朝時代から知られていたことである。 実際、王朝時代にマラリヤ地域に強制移住させられて、移住者が全滅した例もいくつもあった。 「西表炭鉱」などはマラリヤのため鉱夫が逃げられない理由となっていた。 つまり、琉球王朝・沖縄県ともマラリヤの存在を知りながら何も対処してこなかった。 怠った理由は、先島の人々からみれば「人頭税」の時代から続く「本島からの差別」以外の何ものでもない。

 

2.現状

 1)沖縄本島

 米軍基地が沖縄県の半分近くを占めている。 自衛隊も駐屯している。 「米軍統治~琉球政府時代」(アメリカー世(ゆ))から事件・事故が多発し、今も起きている。 「日米地位協定」によって、ウチナンチューを事故死させても無罪で通る(通った)。 自衛隊も名を変えた「日本軍」であると過去の記憶が現在も通用するかのような報道がなされている?

 アメリカー世から「大和(やまと)世」に変わっても、沖縄戦とその戦後は今も続いている。 だから記憶を途絶えさせてはいけない。 →6月23日は歴史を風化させない、沖縄(本島)の現状を許してはいけない「祈念と怒りの日」である。

 2)先島地方

 戦後米軍と琉球政府によってマラリヤはほぼ根絶された。 宮古島のマラリヤ発生地域であった「大野山林」は今や森林公園として市民が普通に散歩を楽しんでいる。 石垣・西表は山間・森林部を観光スポットにしている。  米軍基地はない。 自衛隊も宮古島にレーダー・通信隊があるだけ。 与那国に配備予定があるが賛否両論。 むしろ推進派の方が強いように見える。

 沖縄戦の結果、多くの島民を殺したマラリヤが根絶されたことは、戦争の記憶を断ち切るのに十分である。 もちろん親戚が本島でなくなったり、先島の空襲でなくなった人たちには忘れられないが。 ただし、社会資本の整備や雇用などで本島と比べまだ大きな差がある。 こちらの方が今の大きな問題ではないか? →沖縄戦の記憶は風化しつつある。 むしろ本島との格差は今も大きい。

 

 沖縄戦と現状とを比べた場合、その意識にずれがあるように思えます。だから、こちら宮古島では慰霊の日に大漁・航海安全祈願の祭が行われても、決して悪い意味にとらえないでください。

 

 今日の朝、散歩で行った「トゥリバ海岸」(7~9月は海水浴場としてオープン)から撮った伊良部大橋。 伊良部側のセグメントブロックによる橋梁部工事が進んでいません。 中央部(主航路部)が架橋されれば、宮古島側にあるセグメントブロック製作場から陸送で持って行く予定でしたが・・・「クレーン船洋翔は何処?」 噂では中央部架橋は9月頃とか・・・ 工期大丈夫かいな? 

 


慰霊の日と海神祭(その1)

2012-06-23 18:28:24 | 宮古島にて

 今日6月23日は沖縄県の「慰霊の日」です。 糸満市摩文仁の丘の平和祈念公園で野田総理・仲井間県知事等出席し、67年目の慰霊祭が行われました。

 同時に今日は旧暦の5月4日に当たります。 この日は沖縄各地の漁港で大漁・航海安全を祈願する祭りが行われます。 この祭りで爬竜船競争、いわゆる「ハーリー」が行われます。 もっとも、今では休日や観光シーズンなどにずらして行うのが多いです。 たとえば、「那覇ハーリー祭」は新暦の5月4日、つまり大型連休の観光シーズンに行われています。

 今日、私が住んでいます(仮住まいですが)宮古島市の久松で「久松海神祭」が行われました。 「慰霊の日に祭り騒ぎか!」と多くの方が思われましょうが、それについては次回に説明しますので、今日は海神祭を見てきた内容についてブロぎます。

 今朝は薄曇りでしたが、天気がよかったので、久松漁港へ散歩しました。 するとこのような横断幕が・・・「ハーリーか!」いつ開催だとは書いていない・・・

 

 港に行くと、舞台やテントがほぼ設営済み。 準備していた人に聞くと、「祭りは今日の8時から始まります」との返事。 久々にハーリーがみれると期待しました。

 もう爬竜船も準備万端。 船の中をのぞいたらオールが12本・・・漕ぎ手は12人一組だなと思いました

 9時くらいに行こうかなと思ったら、会社から電話。 休日出勤の人に渡す資料(私の会社PCに入っている)のため会社に1時間ほど出てから漁港へ行く。 会場到着時間は10時頃。

 波は少々高かったが、予定通り開催されて、ちょうどレースの午前の部(?)が終了したところでした。 皆さん舞台前のテントに移動中。

 オリジナルTシャツ。

 いろいろなTシャツだらけ。 参加者はチーム別・地区別にそれぞれおそろいのTシャツ姿。だから私のような普通のTシャツ格好をした人は「よそ者」と一目でわかります。

 出し物(余興?)の第一弾は獅子舞。 シーサーとそれを操りなだめながら若者の縁起舞。

 暑いさなか、シーサーには二人が入っていますが、息のあった動きに感心しました。 今日や祝い事のために日頃からよく練習しているんだなと思いました。

 なかなか勇壮かつユーモアある踊りが披露されました。

 

 続いて、「奉納相撲」 一番戦は大漁・航海安全を祈った相撲。 みごとに悪い相手(?)を倒して、行司軍配「今年は大漁・航海安全になります」と勝ち名乗り。

 その後はユーモアある相撲となり、数番の取組みがありました。

 勝っても負けても勝敗に関係なし。両者ともカチャーシーで喜び合い。

 続いては久松と言えば・・・「久松五勇士」 メロディーが流れてきたら・・・これは「黒潮の闘魂」  歌うは「沖縄の海ボウズ」の異名をとった”グレート宇野”さんの名曲だ!

 なぜ、名曲かというと、この私が25年近く前に聞き、感動のあまり、宇野さん直筆サイン入りのドーナツ盤まで買ってしまったというもの。

 「しまった! 三脚持ってきていたら動画撮影、YouTubeに公開できたのに・・・・」悔しさ後悔の念で一杯。 ちなみにYouTubeで探ったら、これが出てきました。 宮古青年会議所50周年記念式典の余興でこれが・・・みましたら、ほぼ同じ踊りでしたので、型が決まっているのでしょう。 みなさん、是非この歌と踊りを拝聴ください。 アクセスは次の通り。

http://www.youtube.com/watch?v=E5F0WBzvRzI

  この後、久松小学校・中学校の子供たちの郷土踊り・創作エイサーがありました。 新規中学教育課程で「ダンス授業」が採用されるそうですが、沖縄の中学校では是非とも「創作エイサー」を最重点課題に採用してください。

 さて、昼休み。 子供たちも親と昼ご飯を食べに帰り始めました。 テントの中のおじさんたちはビール・島酒真っ盛り。 オトーリを始めるグループも。 周辺は酒臭さで一杯・・・午後漕げるのかよ???

 さて、午後のレースに期待して、今度は三脚を持って再び漁港に行くと、

 ???・・・テントが撤収されている! 残っているテントではオトーリ真っ最中ですが・・・ まさかがよぎりながらも近くの人に尋ねたら、「今年の海神祭は終わりました」との答え・・・「いつもこんなスケジュールなんですか?」とたずねると、「ハーリーは8時から10時ぐらいまでで、それからは踊りや余興です。例年通りですよ」との答え。 つまり私が会場にきた時、ちょうどハーリーが終わった時でした。 那覇ハーリーみたいに午後からの本ハーリーなど元からなかったのでした。 ・・・自分は観光ハーリーの概念に毒されていたのでは?

 ハーリーに期待したのに結局なんだったのか? 自問しても答えは出ません。 でも、ハーリーは終わりました。  

 どうやら沖縄県地方は梅雨明けしたようです。