沖縄島を中心に発信します。 天気がいいね・・・晴れも曇りも雨も好きだから!

晴れれば洗濯物が乾く。雨が降れば農作物が育つ。災害あればみんなで協力して安全対策を考える。自然はみんなに平等だよ。

東北大学理学部自然史標本館_2

2013-05-31 16:42:32 | しばらく遠出・・・・

 それでは、入場致します。

 一般入場者150円、東北大生無料です。 一般の人たちには入場料が必要ですが、小冊子(ニュースレター・企画展紹介等)がもらえます。

 中に入りますと水槽があり、生きたサンゴが飼育されています。 フラッシュ撮影禁止なので省略。 ”寒い東北の地でサンゴを飼っている???” 

 東北大学はサンゴ礁に関する地質研究が有名です。 これは戦前の帝国大学時代より今も続いています。 南洋諸島パラオにはサンゴ熱帯研究所もあったそうです。 

 ちなみに沖縄の地質学研究も盛んで、戦前から詳しい調査研究がなされています。 沖縄の代表的な岩石である琉球石灰岩(Ryukyu Limestone)も東北帝大の矢部教授(フズリナ化石の研究で世界的に有名な学者)・半沢先生によって初めて命名されています。 北大東島で400mものボーリングを戦前に実施したのも東北帝大で、今もそのボーリングコア試料は残っています。 今回は見られませんでしたけど・・・・・・

 

 今、新エネルギーとして”シェールガス”が注目されています。 シェールガスのボーリング試料を採集した日本の地球深部探査船”ちきゅう”の模型が展示されています。 全体模型と船の諸元を。

 船にボーリング掘削リグを積んだ調査船は過去にもありました。 30年以上前、学生の時に、アメリカの深海探査調査船”グローマーチャレンジャー(GC)号”が那覇に寄港した際、私たちは大学(と言うより海洋学科)のコネで一般ではなく特別見学ができました。 当時、日本にはこのタイプの船がありませんでしたので、最新の海洋探査機器を持ち、”水深1000m以上の海で、(船の上から)海底を2000m以上も掘る!”なんて船は驚きよりも脅威の世界でした。 船内で視た”船のアピール映画”に感動したことを今でも覚えています。

 GCは当時アメリカが主張していた”プレートテクトニクス理論”を証明する研究試料採集のために造られた船です。 純粋な学術研究船です。 なぜ研究オンリーの船を造ったのか? 当時は冷戦時代です。 ソ連は”大陸の海洋化理論”を展開していたので、それを覆すために・・・・・・国家権力の意地と面子が背景にあったそうです。 GCは1985年に引退し、今は”ジョイデス・リゾリューション号”がその後身として活躍しているそうです。

 ”ちきゅう”はGCをしのぐ最新技術や掘削能力を持つ船です。 ちきゅうは学術だけではなく、”資源調査を目的にもする研究船”です。 日本がいかに資源確保を国家戦略の重要位置に置いているかと言うことが分かります。

 

 政治っぽい話は置いて、さらに中に・・・・ 何か生物の頭の化石(レプリカ)

 しっぽの化石

 すでに分かっている人もいると思いますが、答えは次回。

 

 この他に、こんなに巨大なアンモナイト化石もあります。

 しかも、展示目的が”自由に触っていい”。 化石の感触を味わうことができます。・・・・・・(続く) 

 

 

 


東北大学理学部自然史標本館_1

2013-05-29 18:46:46 | しばらく遠出・・・・

 青葉城を後にして、次に行ったのは東北大学理学部キャンパスです。

 今回、仙台に来た目的の1つは「東北大学理学部自然史標本館」を見学することです。 ここには東北大学理学系(地学系が中心で地理学資料も含む)の昔からの研究資料や貴重な化石・鉱石鉱物などが数多く展示してあるという、地学マニアにとってはうれしい博物施設です。

 

 まず、建物。 丸いタンク状です。 中の展示物をぐるっと回って見られるようこんな形をしています。

 

 この建物の周りに植えてある木です。 まず、イチョウ

 次にメタセコイア

 地学好きの人にはピンと来たと思います。 これら両木は「生きた化石」です。 イチョウは裸子植物。 ヨーロッパでは中生代に栄えた植物の仲間です。 江戸時代、長崎のオランダ医シーボルトはとっくに全滅したはずのイチョウの木を見てビックリした話は有名です。

 メタセコイアは「アケボノスギ」と呼ばれ、同種は新生代第三紀に栄えた化石植物として知られていました。 メタセコイアには非常な思い入れがあります。 これは私の母校である「東京都立秋川高等学校」の校章だからです。 秋川高校については別の機会にブログ紹介しますので今日は・・・・・(詳しく述べたいのですが)・・・・・・ここまで。

 

 昔の大木が長い年月をかけて炭化したものが「石炭」です。 ところが、炭化せずに石英などのシリカ分に置換されたかつての木は「珪化木」と呼ばれるものに変身します。

 長らく福岡にいた私には珍しくありません。 旧産炭地やボタ山跡にはたくさん残っています。 だって、燃料にならないものだから炭坑にとっては厄介者です。 あっちこっちに「ほたられて」いました。

 

 さて、入り口近くに「石板」が置いてあります。 何かの化粧板?

 何やら、模様が入っています。 では近づいてみましょう。

 槍みたいのやら、丸っこいものやら・・・・・・これは化石です。 この石板の名前は「デボンの海」。 今から約3億7千万年ほど前の古生代デボン紀の海に住んでいた生物の化石です(石板はモロッコ産)。 槍みたいに尖っているのが「直角貝(筆石)」,丸っこいのが「ゴニアタイト」と呼ばれるもので、これらはタコやイカと同じ「頭足類」に属する生物です。 直角貝はオウムガイの仲間、ゴニアナイトはアンモナイトの祖先と言われるものです。

 

 館内に入場する前から、楽しいものばかり。 無料でいきなりデボン紀の化石に会うんですから、入場したらどんな地学資料に会えるやら・・・・・・(続く)

 


青葉城_2

2013-05-28 19:00:09 | しばらく遠出・・・・

 さて、城の(石垣の)上に着きました。 青葉城には天守閣がありません。 明治の初め頃、この城を管理した明治政府の役人(薩長土肥の誰か?)が破壊し、ついでに伊達家の財宝を持ち出したそうです。 ”勝てば官軍か?” お隣の大国でのお話ではないぞぉ・・・・・・

 ともかく、(元天守閣)お城の中心があったらしい場所には、”城壁の変遷”というか、青葉城城壁の前期・後期の形が分かるよう、その1部が置かれていました。

 

 まず、伊達政宗公が築城した当時の石垣。

 1mくらいの同じような大きさの自然石が積まれています。 もちろんその隙間には間詰め石が入っています。 その裏側、

 土盛り固めして、こぶし大~数10cm大の円礫で裏込めして城壁となる巨石を積んだ構造になってます。 つまり、土盛り(突き固め)以外は自然型を生かして造っています。 円礫なんかは近くの広瀬川から持ってきたのか?

 

 江戸時代の4代藩主頃に改築されたものがこれ。

 今の石垣の形です。 なるべく隙間の無いように切り出した石を積み上げています。 その裏側、

 突き固めた土盛りでなく、円礫もありますが、切り出した石の残岩や前の城壁石などを積み上げています。 前期の石垣は土盛り固めと自然石の石積みで、感覚的には”柔体構造”。 一方後期のそれは大石を投げ込み、隙間のない石積みで”剛体構造”のように見えます。 

 話では、先の地震で崩れた石垣は後期のタイプだったそうです。 作りが簡単だから前期は自然石・土盛り固めだったかもしれませんが、現在の耐震構造の基本理論を考えた場合、前期の形は理にかなっていたように思えます。

 

 さて、青葉城と言えば、おきまりの”伊達政宗公銅像”

 近景写真は一般的ですので、あえて、材座含めて全景。 少し引いても立派な像です。 ここから見える風景。

 仙台市の町並みが一望と言いたいですが、高層ビル群が目立ちます。 しかし、かすかに仙台の海が見えます。 その反対側。

 遙かに雪を頂いた蔵王連峰か奥羽山脈が見えます。 仙台市は、東は太平洋、西の堺は山形県山形市と太平洋から日本の脊梁山脈分水界まで1つの市として成り立っています。 したがって、仙台市内だけで日本の太平洋型気候の特徴を何から何まで体験できる”生きた自然地理都市”と言えるでしょう。 他に地質学的にも・・・・・・

 

 青葉城には、陸軍第二師団が置かれていました。 ここには第二師団の慰霊顕彰碑が置かれています。 先の大戦の仙台空襲でも残ったそうですが、地震で一部壊れたということで修復中でした。

 

 

 さて、青葉城も一通り見学しましたので、次に移動。 歩いて降りるかって? そんな根性残っていません。 次は公共市内観光バス”るーぷる仙台”で移動します。

 このバスは仙台駅を起点に休日20分・平日30分間隔で走っています。 市内の主な観光地をぐるっと1周約2時間でまわります。 1乗り250円ですが、何回も乗れる1日乗車券もあります。 このバスを利用して1日かけて、市内の各名所を降りて歩き回ったら、貴方も今日から”仙台通?”

 

 


青葉城_1

2013-05-27 06:53:15 | しばらく遠出・・・・

 仙台市博物館を後に、今度は伊達政宗公が構築した仙台藩のお城、青葉城(仙台城趾)を目指しました。

 仙台市博物館から青葉通り(国道48号かいな?)を西へ進むと、入城の受け付け?に当たるであろう”大手門”が白い姿を見せました。

 仙台空襲で焼けたために、復元されたそうです。 では、ここを左に曲がって、お城に進みます。

 静かな道が続いています。 観光客が少なく、あまり歩いていません ゴールデンウィークを過ぎた平日だから人が少ないのかな? 春ののどかな日に、静かに散歩できるとは・・・・・

 

・・・・・・ちょ、ちょっと待ってくれよー。 静かなのはいいけど、散歩を楽しむには、ちょっと道が急じゃない。 気分は静かな古都の杜の道を満喫していたのに、下半身の筋肉には乳酸菌がたまり始めて”痛いぞ・疲れたぞ”と騒ぎ出しました。 ようやく中門に着きました。

 道はカーブを帯びて、中門跡を通過しています。 この道路の線形カーブと勾配を見てください。 ストレートの道にするにはちょっとキビシイものがあるのでは? 

 この時、博物館にあった仙台城の復元模型を思い出しました。 この城は本来戦時の要塞となる”山城”だったのです。 だから、本丸には山登りで行かなくてはなりません。

昔のお侍さん達が登城した道なのでしょうが、現在のサラリーマンだったら、健康のためゆっくりとした通勤を楽しむことが許される立場の人(管理職でももっと偉い人)か健康ジョギング野郎でないと出社拒否しそう。

 目の前を市内観光バス”る-ぷる仙台”が通っていきました。 観光客の皆さん、事前情報をよく入手しています。 だから、道は静かなんですね。

 

 足の筋肉の乳酸菌どもはますますブイブイ騒ぎ出し、 ”(目的地はどこよりも)いつ着くのだ!”モードになってきました。  惰性に近い形で歩き続けていると、目の前に石垣が・・・・・

 きれいな曲線美を描いた石垣。 きれいですが、立派な軍事要塞の役目を果たしています。 ”武者返し”です。 下より上に上がるにつれて勾配が大きくなります。 石垣の下では上れそうに思うが、上りだしたら急勾配のあまり転落。

 たまたま、近くにいたおじさんとユンタク。 おじさんは熊本からの観光客で「熊本城の石垣によく似ている」とほめました。 私も熊本城をよく見に行きましたので、全く同感でした。 要塞という命の取り合いをする場所が、戦いのない時は美しいたたずまいを見せている。

 

 山の上に構築するという困難な条件を持つ山城。 その城は死という戦に耐えられ、かつ民衆の支配・威厳・人望(尊敬を集めることは重要な支配条件)を保つための作りでなければならない。 支配者の死が国変わりの時。 城は次の支配者一人の全欲望で作り替えられる。 城は支配者の哲学なのか、”死と美の混合体”を思わせる。 武将は支配者(自分の国を存続させる人)ですが、百姓は支配者が変わっても、いつまでも支配者に搾取される人(自分の田畑を存続させる人)。

 現代のような”軍隊”という概念がない時代です。 農耕民族である百姓達にとって、戦国武将という支配者は狩猟民族であり、異民族である欧米人に近いように写っていたのかもしてない。

 

 さて、ようやく山門に到着しました。

 ここから少し歩けば、”宮城県護国神社”があります。

 ここが昔の本丸跡です。 さて、休憩がてらにこの周りをぶらつきましょう・・・・・・(続く) 

 

 


お久しぶり・・・・宮古島の風景_1

2013-05-25 18:32:07 | 宮古島にて

 仙台の話題を変えまして、久々に宮古島の風景を。 これは3年前の梅雨明け直後、宮古島城辺(南部)で撮ったスナップです。

 

 初めは、友利漁港(堤防外)よこの砂浜。 きちんとしたビーチではないのですが、車の中で着替えて気軽に泳ぎたくなっちゃう感じです。

 

 ここは隠れた観光地”インギャーマリンガーデン” 入り江(内湾)みたいな場所ですので、少々風があったり、沖の波が高くても結構凪っています。 ダイビング初心者の練習や小さいお子さん連れの家族にはもってこいのビーチです。

 

 こういう海のきれいな場所ですから、リッチな方々は別荘を建てています。 別荘と何気なく庭に置いてあるサバニの風景。

 年間何日滞在するか分かりませんが、”癒される隠れ家”を持ってる人って幸せですね・・・・・・

 でも、私は掃除や窓ふきがあまり好きでないので、庭の草刈りも含めて別荘の管理って大変だろうなと思います(持ち主がやるか掃除代行がやるのか知りませんが)。

 はっきり言って、ひがみですけど。